3-7
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色とりどりのネオンが揺れる長安洞は、全盛期の頃と比べると明かりの数も消え、昔ほどの活気は無くなっていたが、今もソウルを代表する歓楽街として、清濁入り乱れた地下社会が形成されている。
問題の風俗店の前では、既に駆けつけた何名もの警察官と客や従業員などが揉み合い、大変な騒ぎになっていた。
あられもない姿の女の写真を載せた看板が倒れ、飛び散ったガラスが道路の上で煌いていた。
チョルスはそんなガラスを踏み分け、人ごみを掻き分けながら、ズンズンと店の奥に進む。ミンホもチョルスの姿を見失わないように後を追った。
「ちくしょうっ! 離しやがれっ!」
「触るなっ、このっ!!」
店のあちこちから聞こえてくる罵声。バスタオル一枚を胸に巻いた姿のまま、部屋の隅で一塊になって震える女たち。
表向きはマッサージ店であり、その実態は春を売っているという、よくある地下営業店だったが、売上金の一部がマフィアの資金になっているとあっては、見過ごすわけにはいかなかった。
粗末なカーテンで仕切られたいくつも並んだ個室を、チョルスとミンホは端から確認していく。
その時、勢いよくシャッと音を立てて開けたカーテンの隙間から、少年が一人飛び出してきた。
「……っう!!」
少年は頭からチョルスの腹に突っ込むと、そのままチョルスをなぎ倒し、自分は慌てて立ち上がると、脱兎の如く駆け出した。
「……ミンホッ!! 追えっ!! 逃がすなっ!」
苦しげに呻きながらも、チョルスが鋭く指示を出す。
ミンホも弾かれたように少年の後を追って駆け出した。
店を出て、少年は細い路地を自在に駆けていく。
息を切らせながら、逃すまいとミンホも必死に後を追う。毒々しいネオンに反射して、視界の隅で少年の鮮やかな金色の髪が揺れる。
何本目かの路地を曲がった時、不意に少年の足が止まった。
路地の先端は、行き止まりになっていた。
「……もう、追いかけっこは、終わりですよ」
追いついたミンホが、ジリジリと少年の背中に近付いていく。
「諦めて、こっちへ来なさい。君みたいな年少者に、手荒なマネはしたくない」
そう言って手を差し出したミンホに向かって、少年は路地の脇に積まれていたビールケースを投げつけた。
「抵抗しても無駄ですっ! 大人しく、言うこと聞きなさいっ!」
ミンホは次々に飛んでくるビールケースを避けながら、一気に少年との間合いを詰めて、遂にその手首を掴んだ。
その時、金色の髪の下に片耳だけつけたピアスが、路地から漏れるネオンの明かりに反射してキラリと輝いた。
その瞬間、ミンホの鼓動がドクンッと跳ね上がる。
「……っあ」
振り返ったのは、ニキビ痕の目立つ、まだ二十歳にも満たないであろう少年だった。少年は一瞬ミンホが力を緩めた隙を見逃さず、その手を力いっぱい振りきると、再び路地を逆走して、ネオンの街へと消えた。
少年の背中を見送りながら、ミンホは動けなかった。
一瞬、躊躇した原因は分かっていた。
少年が、ナビの姿に見えた――
***
「馬鹿野郎っ!!」
腹の底から搾り出されたようなチョルスの怒声が、捜査課の部屋中に響き渡る。
「……あ……痛てて」
だがそのすぐ後、情けなく腹を押さえながら身を捩る。そんなチョルスを、クムジャが呆れ顔で支えてやる。
「行き止まりまで追い詰めて、取り逃がすたぁどういうことだよ? ああ?! 何か理由があるなら聞いてやるから、言ってみろ」
「……いえ。気が緩んでいました」
「気が……緩んでた、だと?」
ミンホの言葉は、チョルスの逆鱗に触れた。
「ふざけるなよっ!! お前っ!!……あ……痛ぇぇぇぇっっ!!」
怒りで顔を真っ赤に染めたチョルスは、今度は痛みで更に顔の赤みを増した。
「ちょっと、あんたも落ち着きなさいよ。ひとまず、座ったら?」
クムジャに手を貸してもらいながら、チョルスが椅子に腰を下ろす。ミンホが手を差し出すと、チョルスは邪険にその手を振り払った。
「現場で気ぃ抜くなんて、随分お偉くなったもんだな。そんな奴とはコンビなんか組めねぇな。お前、刑事向いてないんじゃないの?」
皆の前で激しく叱られ、ミンホは唇を噛み締めながら黙ってチョルスの言葉を聞く。
「出てけ。今は顔も見たくない」
チョルスが吐き捨てると、ミンホはグッと握った拳に力を入れ、そのまま静かに頭を下げた。
「……すみませんでした」
短くそう言うと、ミンホは言われたとおりに捜査課のドアに向かって踵を返した。
「ミンホ君っ!」
「放っとけ!」
後を追おうとするクムジャを、チョルスが鋭く止める。
パタンと扉が閉まり、ミンホは一人部屋を出て行った。