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取調室を後にしたチョルスとミンホは、二人で並んで歩きながら捜査課へ戻った。
ドアを開けるなり、部屋の隅に置かれたテレビから流れる大音量に、二人は仰け反った。型の古い青少年課からのお下がりであるそのテレビは、昼のニュース番組を流していた。
「クムジャ姉さん! 何でこんな……ボリューム絞ってくださいよっ!」
チョルスが耳を塞ぎながら文句を言うと、クムジャはテレビの音に負けないくらいの大声で言い返してきた。
「今日が何の日だか、あんた知ってて言ってるの?」
「何の日? 俺の誕生日はまだずっと先……」
チョルスが言い終わらない内に、クムジャの放ったボールペンがチョルス目がけて飛んでくる。ミンホは頭を下げて、上手くその矢を避けた。
「まったく、これだから! たまにはちゃんとニュースでも見て、勉強しなさい。ほら、ここに来て座りなさい。ミンホ君も」
結局クムジャには逆らえず、二人は渋々テレビを囲む、埃まみれのソファーにクムジャを挟む形で腰を下ろす。
ちなみにこれは、鑑識課からのお下がりだ。
クムジャはお気に入りのミンホが側に来てくれてご満悦の様子で、テレビのリモコンを取ると更にボリュームを上げた。
テレビには、見慣れたソウル市警の正面玄関が映し出されている。
玄関から門まで、制服を着た警察官が真っ直ぐ一列に並び、もうすぐ姿を現すであろう人物を、微動だにせず待ち構えている。
門の外ではいつくもの黒塗りの車が並び、報道関係者の嵐のようなフラッシュが焚かれている。あまりの明滅ぶりに、画面を見ていたチョルスは目がチカチカしてきた。
「何なんですか? この騒ぎ」
「あんた、本気で言ってるの?」
クムジャが呆れ返った声を出したのと同時に、正面玄関から一人の男が姿を現した。
居並ぶ警官たちが、一斉に敬礼の姿勢を取る。フラッシュの嵐は激しさを増し、画面は一瞬、男の顔すら判別できないような白い光の渦の中に飲み込まれた。
『ソウル地方警察庁長パク・ヨンチョル氏、退任――』
画面に大きなテロップが流れた。
「あ……」
「ようやく分かった?」
思わず声を漏らしたチョルスに、クムジャは溜息を吐く。
「我らが大ボスの顔、知らないなんて言わせないわよ」
それは、若干41歳の若さで、韓国全警察機構の中、1名の治安総監に次いで、わずか4名しかいない治安正監の座につき、今日までの九年間、ソウル地方警察庁長として、事実上韓国国家警察の中枢の座に君臨し続けた、パク・ヨンチョルの退任セレモニーの中継映像だった。
「やっぱり、凡人とは違うわよねぇ」
クムジャがうっとりと画面に釘付けになる。
五十手前の男盛りであることに加え、若々しく溌剌とした容姿に、気品溢れる立ち居振る舞いで、大きな事件が起きてマスコミへ登場する度に、多くの女性の心を捉えていった。
「警察大学校主席卒業のエリートですもんねぇ。辞め方もスマートだわぁ」
「警察大学校なら、ミンホだって同じじゃないですか」
チョルスの言葉に、ミンホがとんでもないと顔の前で手を振る。
「僕なんかとは比較になりませんよ。今でも学校では伝説になってるくらいです。在学中から文武両道で、鳴り物入りで警視庁へ入庁した、エリート中のエリートです」
「おまけに、家柄も申し分ないのよ。亡くなられたお父様も、元治安正監。普通、二世は煮ても焼いても食えない奴が多いのに、彼に限っては父親の上を行ってるわね」
「何で、姉さんがそんなに詳しいんです?」
「ゴシップ誌の情報を甘く見ないで」
悪びれもせずに胸を張るクムジャに、今度はチョルスが呆れる番だった。
「上を行ってるって……治安正監の上って言ったら、総監しかないじゃないですか? しかも、今日で退任なのに?」
チョルスの問いかけに、待ってましたとばかりにクムジャはしゃべりだす。
「バカね! あれだけの人が、何の目的もなく定年前にただ黙って退任するわけないでしょう? 政界進出を目指してるのよ。第二のステージね」
「それは、確かな話なんですか?」
珍しく話しに食いついてきたミンホに、クムジャは胸を張る。
「間違いないわ。ゴシップ誌にも、確かな情報筋の話って書いてあったし」
「……何だよ、結局そっちのネタかよ」
「何か言った?」
舌打ちしたチョルスを見逃さず、クムジャは目を光らせる。
「……いえ、何でも」
チョルスが弱々しく首を振りながら、ソファーの上でにじり寄るクムジャから身体を逃がしていた時、捜査課の前の廊下を慌しく走る足音が聞こえてきた。
バンッと勢いよく開いた捜査課のドアの先には、額に汗の玉を光らせたチョルスたちの同僚が、青ざめた顔で立っていた。
「どうかしたんですか?」
ただならぬ様子にミンホが尋ねると、彼は肩で大きく息をしながら、乾いた声で告げた。
「……ホン・サンギョ警査が、拘置所内で首を吊った」