3-2
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パイプ椅子に深く腰かけて俯いていたヒョンスは、軋んだ声を上げながら開く取調室のドアの音に顔を上げた。
「調子はどうですか? コ・ヒョンス」
入ってきたミンホは、少しやつれた感のあるヒョンスの顔を見て、労わるような笑みを浮かべた。その後ろではチョルスが、ミンホよりは難しい顔をしてヒョンスを見ている。
ミンホは静かに自分とチョルスの分の椅子を引くと、ヒョンスの向かいに腰を下ろした。
「……保釈申請が出ています」
座るなり、ミンホは単刀直入に切り出した。ヒョンスは驚くでもなく、ただ落ち着いた様子でミンホの言葉を聞いていた。
「イ・ヒョンジュン氏ですよ」
それは、ユリの父親の名前だった。
「君と話したいって」
ヒョンスは静かに首を横に振る。
「手紙も、受け取らないらしいな? 何でだ? 親父さんはもちろん、イ・ヒョンジュンはお前に特別に目をかけてきた、第二の父親みたいなもんだろう。あんなに心配してるのに、何で……」
「ユリは?」
我慢できずに口を挟んできたチョルスの言葉の途中で、ヒョンスは言った。
「ユリには、何て?」
ヒョンスの言葉に、ミンホもチョルスも一瞬黙り込んでしまった。
だが、やがてミンホが言いにくそうに口を開いた。
「……申請は、出ていないよ」
初めから知っていた――そんな表情で、ヒョンスは微笑んだ。
「お前は取調べにも素直に応じてる。保釈したって、ヤクに手を出す危険も、証拠隠滅の恐れもない。高額の保釈金だって払ってやるって人がいるんだ。お前さえ望めば、明日にでもこんなとこ出て行けるんだぞ」
理解できないと言うように、チョルスは熱くヒョンスを説き伏せようとする。だが、チョルスが熱くなればなるほど、ヒョンスは反対に落ち着いていくようだった。
「でも、ユリがいない」
そう言って微笑むヒョンスの表情は、穏やかそのものだった。満ち足りた表情で繰り返す。
「出て行く時は、ユリも一緒だよ。ユリの居る場所が、僕の居場所だから」
いままでずっと、下僕扱いされていたのにか?――
喉まで出かかった言葉を、チョルスはグッと飲み下す。
取調べの中でも、ユリやガンホの態度は酷かった。お互いがお互いへ罪の擦り付け合いをしているだけで、とても自分の過ちを悔いる様子はなかった。警察官を恫喝したり、ヒステリックに泣き喚く二人の取調べから戻ってヒョンスの取調室に来ると、その落差に複雑な気持ちになる。
お前がそこまで献身的な愛を注ぐ価値のある女か?
チョルスは本気でそう問いただしたくなる。
幼い頃から側にいて、他の世界に目を向けなかったから、愛することを義務のように感じているだけじゃないのか?
そんな残酷な問いかけをしたくなるが、ヒョンスの凪いだ海のような穏やかな表情を見ていると、言葉を失ってしまう。
「……僕は、本当にいいんだ。後悔してない」
割り切れない思いに悶々とするチョルスを察してか、ヒョンスの方が気遣うようにチョルスに言った。
「それより、気になってることがあるんだ」
ヒョンスは今度はミンホに視線を移し、そこで初めて表情を曇らせた。
「……ナビに、ゴメンって伝えて。嘘ついて、ゴメンって……ちゃんと、謝れなかったから」
ヒョンスの言葉にミンホは微笑んだ。
「気にすることはないでしょう。嘘をついたのは僕らも一緒、お互い様です。だけど、ちゃんと伝えておきますよ。あの人も、あなたをとても心配していました」
ヒョンスは膝に手を置いた姿勢で、深く頭を下げた。
ナビが持つ生来の純粋さは、出会う者の心を深く捉える。それは、例え二週間という短い期間であっても変わらない。現に全てを達観したような向きのあるこのヒョンスでさえも、たとえ愛するユリのためとは言え、ナビに嘘をついたことを気に病んでいる。
本当に、不思議な人だ。
ミンホはヒョンスを通して、二週間を共に過ごしたナビの姿を思い浮かべていた。