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チャポーン……
ミンホが浴槽に溜めてくれた温かいお湯に首まで浸かると、ようやく人心地がついた。疲労に負けて、ウツラウツラしそうになったところで、見計らったように脱衣所に戻って来たミンホに声をかけられた。
「そのまま寝ないでくださいね。溺れますよ」
「わ、分かってるよっ!」
図星を指されて、ナビは慌てて目を擦る。
曇りガラスの向こうで、ミンホがナビの洗濯物を拾っている様子が分かる。
「それにしても、今時こんなスーツ、どこで手に入れたんですか? 買おうと思っても、売ってないでしょ」
「前に先生にもらったんだよ。20歳の誕生日プレゼントに」
オーサー・リーのことだ。
全く、あの変態医者ときたら、何を考えているのか。
ミンホは苦々しげに舌打ちした。
「……ナビヒョン」
未だガラスの向こうで立ち去る気配のないミンホが、静かに切り出す。
「何?」
「……さっき、何でジェビンさんと一緒に行かなかったんですか?」
雨が降って来たのに――。
差し出されたジェビンの腕ではなく、ミンホの手を取って駆け出したナビ。ミンホは、その理由が知りたかった。
「……『遊びでやってるんじゃない』って、言っただろ?」
雨が降ったら姿を消す――
遊びでやってるんじゃない。
それは、ヒョンスのことで喧嘩をした時の、ミンホの台詞だった。
「……そんなこと、気にしてたんですか」
気まずさに、ミンホの方が押し黙る。
「そういうわけじゃないけど。ここにいる間は、僕もお前に協力するって決めたんだ」
だからって、今日みたいな無茶な真似は――そう言いかけて、ミンホは口を噤んだ。
不器用でやり方は突拍子もないが、ナビが彼なりにミンホの役に立ちたいと思っている気持ちは伝わってきたからだ。
ミンホはズシリと重いナビのスーツを抱えて、脱衣所を出た。だが、自然にほころぶ口元には、未だ本人ですら気付いてはいなかった。
***
「そんなことが?」
講堂の前で見つけたヒョンスを見つけたナビとミンホは、昨晩の騒動の一部始終を説明した。どうせ黙っていたところで、あんな大騒ぎを起こして、ユリを始め彼女の取り巻きたちにも現場を押さえられていては、ヒョンスにバレるのも時間の問題だったからだ。
「君って本当に、無茶するね。ナビ」
ヒョンスは呆れた顔をしていたが、次第に耐え切れずにクスクスと笑い出した。
「本当に、君たちと話してると、何だか悩んでることがバカみたいに思えてくるよ」
ヒョンスはひとしきり笑うと、顔を上げてナビと向き合った。
「……俺、決めたよ。ユリをラストダンスに誘う」
「本当? ヒョンス」
「ああ。ナビがこんなことまでしてれたんだ。本人の俺が、頑張らなきゃ嘘だろう」
「うん! 頑張れ、ヒョンス」
力強くガッツポーズを取るナビに、ヒョンスは少し寂しげな笑みを浮かべながら言った。
「……ありがとう、ナビ。本当に、ありがとう」
ミンホはその横で、そんなヒョンスを、何か言いたそうな顔でジッと見つめていた。
***
大学の帰り道、一人で歩くヒョンスの行く手を、突然現れたガンホが塞いだ。
その背後には、ユリの姿もある。
「探したぜ、親友」
ガンホはヒョンスの肩に手を回し、耳元に顔を近づけた。
「あの夜以来、サボリ癖が着いたのか? お前が学校になかなか来ないから、話もろくに出来やしない。ユリも寂しがってたんだぜ。なぁ?」
ガンホがユリを振り返ると、ユリは彼の顔色を見て、曖昧な笑みを浮かべた。
「折り入って、お前に頼みたいことがるんだよ、親友」
ガンホはいやらしく『親友』という言葉を連呼すると、ヒョンスの抵抗を許さないことを示すように、回した腕に力を込めた。
ヒョンスはそんな腕を強く振り払うと、ガンホを真っ直ぐに見据えて言った。
「そんなことしなくても、俺は逃げないよ。どこへでも、連れて行けよ」
「アハハハハハッ! 聞いたか? ユリ」
ガンホは腹を抱えて笑い出した。
「俺たちの『親友』は勇ましいな。この間の大仕事を終えてから、一皮剥けたみたいだ」
ガンホの言葉に、ユリはソワソワと落ち着かない様子を見せたが、ガンホは相変わらず不適に微笑んだまま、路肩に止めてあった自慢のスポーツカーを顎でしゃくった。
「来いよ。男同士の話をしようぜ」