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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第2章【スコールワルツ】
57/219

2-30


***


「焼酎と、チャンジャ塩辛」

「俺にも、同じのね」


 立ち並ぶ屋台の暖簾を捲って腰を下ろした中年男の隣りに、チョルスは有無を言わさず滑り込んだ。

 ギョッとして振り返った男に、チョルスはニッコリと微笑んで見せた。


「お疲れ様です、ホン・サンギョ警査」

「お前……」

「捜査課の、チャン・チョルス警査です」


 そう言って、敬礼のポーズを取る。


「ご一緒しても?」


 もう片足は椅子の上に乗せていて、断らせない体勢だったが、慇懃無礼にそう申し出る。


「……ああ、別に。構わんよ」


 サンギョは警戒しながらも、強硬に断る理由もないので、チョルスの着席を許した。


「この前は、お疲れ様でした」

「この前?」


 チョルスは目の前に出された焼酎のビンを掴むと、空になったサンギョのグラスに勝手に注ぎ、次いで自分のグラスも満たした。

その挙句に、まだ手に取ってもいないサンギョのグラスにぶつけて、勝手に乾杯の音頭を取る。


「くはーっ! 美味いっ!」


 喉を焼きながら落ちていく度数の高い酒に唸り声を上げながら、心底美味そうに目をつぶる。


「重労働した後は、焼酎に限りますよね。この前の一斉捜査が上がった後の酒も、美味かったなぁ」


 ねぇ? と、同意を求めるチョルスの目を、サンギョは初めて警戒の色を込めて見つめ返した。


「大変でしたよ。俺らが入った聖智大学はね、お上品なオツムからは想像できないくらい、破廉恥にトンでる学生が多くてね。半裸のアホどもが、拘置所の中に入りきらないくらいだったんですから。それに引き換え……」

「はい、お待ち!」


 話の途中で頼んでいたツマミの皿が出されると、チョルスは歓声を上げた。


「俺、ここのチャンジャ大好物なんですよ。いい鱈使ってるのが分かるでしょ?このコリコリの歯ごたえ、堪んないなぁ。先輩も、ほら、どうぞ」

「……ああ」


 美味そうにツマミを頬張っては、早いペースで焼酎をグイグイと空けていく。


「で、何の話でしたっけ?」

「拘置所に入りきらない逮捕者の話」

「ああ、そうそう」


 チョルスはパシンと自分の額を打って、舌を出した。


「話した傍から、すぐ忘れていけねぇや。学生のオツムを云々言えませんね。それに比べて、先輩が潜入した明慶は、さすがですよねぇ。唯一、シロだったんですから。先輩にしてみりゃ、とんだ無駄足でしたね」

「……医者と警察は、ヒマなのに越したことないって、昔から言うだろ」

「違いないです」


 チョルスは豪快に笑って、またサンギョのグラスに自分のグラスをぶつけた。


「じゃあ、先輩はかなりツイてる方ですね」

「何でだよ?」

「だって、先輩……九年前も、入ってますよね? 明慶に」


 その途端、サンギョの目の色が変わった。


「……お前、何でそんなこと」

「俺、捜査課の人間ですよ?」


 チョルスは、サンギョの肩を馴れ馴れしく抱いて、顔を近づけた。


「……いえ、なに。たまたまですよ。たまたま昔の資料洗ってたら、あんたの名前見つけましてね。ほぉ、同じ警察官の中にも、俺みたいな貧乏くじを引く奴と、捜査するとこするとこ、全部クリーンなラッキーガイもいるんだと、世の不条理を嘆いてみたわけですよ」


 立ち上がろうとするサンギョの肩を、チョルスは無言で強く押さえつける。


「俺、本当はあの捜査の後、焼酎なんか飲んじゃいないんですよ。捕まえたガキの一人が、俺の上官を刺しやがりましてね。署内は騒然だったんです。せっかく明慶に潜入しても、一人もアゲる学生がいなかった先輩は、あの後、どうしました? 手が回らない俺らの代わりに、アゲた証拠品のヤクの処理は、あんたたちがやってくれたんですよね」


 チョルスは不意に、サンギョの肩に回していた手を、そのままサンギョの胸元に滑らせた。


「何するんだ、お前っ!」


 顔を真っ赤にして慌てるサンギョに構わず、チョルスはサンギョの胸ポケットから束になったウォン紙幣を引きずりだした。


「こんなところでも、差がつくんだから嫌になっちまうなぁ」


 チョルスはワザとらしく溜息をついて、サンギョの肩を抱いたまま紙幣を数え始めた。


「先輩は、羽振り良さそうですねぇ。俺みたいなボンクラと違って、真面目にお仕事してる証拠なんでしょうねぇ。先輩にしか出来ない大きな仕事をね」

「お前、一体、何が言いたい?」


 イライラし始めてきたサンギョが、チョルスを睨みつける。


「教えてくださいよ、先輩。俺だって、重労働安月給に、いい加減嫌気が差してるんだ」


 サンギョの目が血走るほどに、チョルスの笑みは深くなる。


「……例えば、そうだな。書類の改ざんとか? 情報の漏洩とか?」

「っな! お前……」


 ガタッと音を立てて立ち上がったサンギョの前で、チョルスはゲラゲラと笑い出した。


「冗談ですよ、先輩! 酔っ払いの戯言です。本気にしましたぁ?」

「不愉快だっ! 帰るっ!」


 サンギョはそう叫ぶと、屋台の椅子を蹴り飛ばして夜の闇の中に消えた。相当狼狽したのか、チョルスが先ほど胸ポケットから拝借したウォン紙幣を、そっくりそのままテーブルの上に残していた。


「親父さん、お勘定ね」


 チョルスはその中から一枚抜き取ると、涼しい顔で屋台のテーブルの上にそれを置いた。



 暗い路地裏に飛び込んだサンギョは、落ち着きなく周囲をキョロキョロと見回すと、携帯電話を取り出した。

 震える手で番号を押す。

長々と鳴り続ける呼び出し音に、苛立ちながら唇を噛む。


『……何だ?』


 ようやく応答した電話の向こうの相手に、サンギョは噛み付くように叫んだ。


「追われてるんだっ! 狂犬に」

『狂犬?』


 一瞬、クスリと笑いを含んだ声に、サンギョはカッとなった。


「捜査課のチャン・チョルスだよっ! 分かってるだろ?!」


 だが、上擦るサンギョの声とは違い、電話の相手は冷静だった。


『落ち着け。何があった?』

「カマかけてきやがったんだ。絶対、感づいてる。俺たちのこと……」

『俺たち……ね』


 電話の声は、今度はハッキリと嘲笑の色を滲ませて呟いた。


『俺とお前の関係まで、気付いてるとは思えないが』

「ふざけるなよっ! 俺は、捨て駒か?」

『まさか! 俺とお前は運命共同体だよ。昔から……決まってるじゃないか』


 電話の相手は、大げさに驚いてみせる。


「明慶だけに捜査情報流したことも、あいつは掴んでるんだ」

『そうかな? さっき自分で言ったじゃないか。カマかけてきてるって。それだけだよ。証拠なんか掴んでいない。うろたえるお前の反応を見ていただけだ』


 熱くなるサンギョに応えて、電話の相手は今度はなだめるような猫撫で声を出した。


『心配しなくても、あいつは何も出来やしない。それより、お前にはまだ大きな仕事が残ってるだろう?』


 携帯を持つサンギョの肩がピクリと動く。

 それをどこかで見ているかのように、電話の声は満足そうに笑って言った。


『期待してるよ。パーティが楽しみだ』




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