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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第2章【スコールワルツ】
56/219

2-29


***


「13号、面会だ。出ろ」


 拘置所の床と同じだけの冷たく固い声でそう呼ばれ、お情け程度の背の低い目隠ししかない、剥き出しになったトイレの横にうずくまっていたコ・ジョンヒョンは、力なく顔を上げた。


 面会?――

 会いに来るような親もいない。

 友人と呼べる者は皆ヤクザ者ばかりで、頼まれたって警察に出向くような奴らではない。

 一体誰が? 不審に思いながらも、二度目は更に冷たさを増した看守の声に促され、ジョンヒョンはノロノロと腰を上げた。


「15分だ。時間になったら、合図するからな」


 ここまで移送される間にはめられた手錠の鍵を外しながら、看守は素っ気なくそう告げる。

 肩を押されて初めて入った面会室では、透明ガラスの向こうに、野球帽を目深に被った見知らぬ男が立っていた。

 灰色の囚人服を着たまま、ゆっくりとガラス一枚を隔てた男の元に近づいていくと、ジョンヒョンは改めて首を傾げた。


「……あの、どこかでお会いしましたか?」


 室内だと言うのに、野球帽に合わせて大きなサングラスまでかけた男の表情は良く見えず、何の目的があって、こんなところまで自分に会いに来たのかが分からなかった。


「座れ」


 低い声で命じられ、ここ何日かの拘置所暮らしで、自分でも情けないと思いつつすっかり板に付いてしまった従順な服従姿勢で、ジョンヒョンはガラスの前の椅子に腰を下ろした。


「……あの」

「俺が、分からないか?」


 サングラスをほんの少しだけずらすと、男はその影からジョンヒョンに向かって、鋭い一瞥をくれる。


「……っあ!」


 思わず声を上げそうになるジョンヒョンを威嚇するように、男はガラス戸を拳でドンッと叩いた。


「どうした?!」 


 部屋の外から看守が叫ぶ。


「何でもありません。僕が、ぶつかっただけです」


 慌ててそう叫ぶと、ジョンヒョンは改めて男に向き合った。


「ペク・ギョウン。どうして?」


 ガラスの向こうでは、苛立たしげに唇を噛みながら、ジョンヒョンを睨みつけているギョウンの顔があった。


「先生からの伝言だ」


 ギョウンは声を潜めて、ガラスに顔を寄せた。人差し指をクイッと曲げて、ジョンヒョンにも顔を近付けるように無言で指示を出す。


「……先生って、『ペニー・レイン』のオーサー・リー?」

「“さん”を付けろよ。礼儀知らずだな」


 再びギョウンに怒鳴られ、ジョンヒョンは縮こまる。


「『もうすぐ、ビックイベントが起こって、この事件は解決する。そしたら真っ直ぐ済州島チェジュドへ行くといい。もしまだあの娘が、君のお姫様だと思うなら』だとよ」


 オーサーの甘い口調を無粋な棒読みでレコーダーの様に再生し終わると、ギョウンはさっさと席を立った。


「ま、待って! ビックイベントって何? ジスクは今、済州島チェジュドにいるの?」

「知るか! 言っただろ。俺は先生の言葉を伝えに来ただけだ」


 ギョウンはにべもなくそう言い放つと、立ち上がりガラスに縋るジョンヒョンに背を向ける。

 だが、ふと思い立って振り返った。


「看守、呼ばないのか?」

「え?」


 聞かれている意味が分からなくて、ジョンヒョンはキョトンとした顔でギョウンを見つめる。


「俺はお尋ね者なんだぜ。お前を置いて、さっさと逃げた。なのにマヌケにも、自分からノコノコこの監獄に来てやったんだ。チャンスだろ? ドアの向こうの看守に言ってやれよ。『早く捕まえろ』って」


 小鼻を膨らませ、自棄になったようにそう告げるギョウンに、ジョンヒョンは哀しげに首を横に振った。


「そんなこと、しないよ」

「何でだよ?」

「……君まで捕まったら、完全にジスクへ繋がる道が絶たれるから」


 ジョンヒョンの言葉に、ギョウンは盛大に舌打ちした。


(あの坊やを見てられなかったんでしょ? 今の自分を見てるみたいで、イライラして苛めたくなった?)


 済州島チェジュドでの、オーサーの言葉を思い出す。

 悔しいけれど、図星だった。

 愚鈍なほどの一途さと執着は、目を背けたかったギョウンの内面そのものだった。


「お前の女でもないのに」

「……関係ないよ。僕が好きで、ジスクを助けたい、それだけだから」

「マヌケ野郎」


 そう吐き捨てて、ギョウンは野球帽を被り直すと、今度こそ振り向かずに面会室を出て行った。


 俺があの時、今のあいつのようにミラを想っていたら、ミラは死なずに済んだのか?

“俺の女”でなくなったミラを恨んで酒に溺れていたあの時に、つまらないプライドなど捨てて、ただミラを助けるためだけに行動していたら。

 あいつはガンホから離れて、クスリで命を落とすこともなかったのか。


「チクショウッ!」


 終わりの無い自問は自分自身へのやりきれない悔恨の情に変わり、ギョウンは思い切り拘置所の床を蹴った。

 廊下ですれ違った面会人の老夫婦が、そんなギョウンを見てビクッと身を縮める。

 顔が割れているのだから、拘置所内で目立つ真似はするな――

 出発間際にそう釘をさされたオーサーの言葉を思い出し、ギョウンは老夫婦から顔を背けて、足早に拘置所を後にした。



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