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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第2章【スコールワルツ】
54/219

2-27


***


 ソウルを南北に流れる漢江ハンガンは、ソウルに住む人々の水源となっているだけでなく、夜になればライトアップされた美しい姿を披露し、海外から訪れる旅行客に対して、重要な観光地としての役割を果たしている。

 商業や観光、生活の拠点としての美しく豊かな姿が表の顔ならば、その清流の下を流れる、澱の浮いた汚水を湛えた姿も裏の顔として持ち合わせている。

 漢江の川岸に並び立つ貨物倉庫の影で、男は先ほどからイライラと煙草に火を点けては消しを繰り返し、待ち合わせ場所に現れるはずの男を待っていた。男の足元には、既に吸殻の山が築かれている。


「悪い、遅くなったな」


 その時ようやく、長い影を従えた待ち人が現れた。煙草を咥えていた男は怒鳴り倒したい気持ちをグッと抑え、早くどこからも姿を見られない自分の側へ来るように手招きした。


「約束の時間、一時間以上過ぎてるぞっ!」

「そんなに、怒るなよ。オベンキョしてて遅くなったのよ。学生の本分は勉強だろ?」

「当直を抜け出して来てるんだぞっ! 戻るのが遅かったら怪しまれるだろう」


 悪びれる様子もない男の襟首を掴み、煙草の男は声を荒げた。


「それより、ハイ。例のもの、出してよ」


 男はおどけた調子で手を差し出す。煙草の男は忌々しげに舌打ちして、男の手の上にいくつもの紙包みが入ったビニール袋を置いた。


「いつもどうも」


 男はヒヒヒッと嫌な笑いを零して、捲りあげたTシャツの中、デニムのウエストに無理やり袋を捻じ込んだ。


「いい加減にしておけよ、ガンホ。死人まで出したんじゃ、もう庇いきれない」


「薬物反応出なかったんだろ?」


 不適に笑う男に、煙草の男はついに激高して言った。


「出なかったんじゃないっ! 出さなかったんだ! いつまでも、こんなこと続けられないからな」

「はいはい、用心しますよ。ったく、相変わらず小心者だな」


 そう言うと、男はケラケラ笑いながら、煙草の男の胸を叩いた。



「……おかしい」

「何が?」

「うわっ!!」

「ちょっと、あんた何やってるのよっ!」


 チョルスとクムジャの悲鳴が同時に狭い資料室の中で交錯する。

 朝からこの部屋に籠もりっぱなしだったチョルスを心配したクムジャが、コーヒーを持って現れ、背後から覗き込んだ瞬間、飛び上がったチョルスの肩とコーヒーを持ったクムジャの右手がぶつかった。


「熱っ! 姉さん、熱いよっ!」

「あんたが突然動くのが悪いのよ」

「いるなら、いるって言ってくださいよ。突然背後に回りこまれたら、怖いじゃないですかっ!」


 ギャーギャー言いながら、チョルスはクムジャが差し出したおしぼりで、コーヒーで汚れてしまったワイシャツを拭いた。


「朝から一体、何調べてるの?」


 ようやく落ち着いて、チョルスが叩いていたパソコン画面をクムジャが覗き込む。


「ああ……ソン先輩と上げたヤマを、もう一度洗い直してるんですよ。一ヶ月前の、あの一斉摘発の記録ね」

「おかしいって、何のこと?」


 チョルスはマウスをクリックし、クムジャの前に新たな画面を展開させた。


「……ここ。摘発で押収した、ヤクのグラム数。こんなモンじゃなかったはずだ」


 クムジャはチョルスの横に椅子を引っ張ってきて腰を下ろし、チョルスの話に真剣に耳を傾ける。


「俺が先輩と、廃講堂の乱交パーティーに乗り込んだ時、ざっと数えても二十人以上の学生がいた。そん中でも、しょっ引いた時に自分でヤクを持ってた奴は、半分以上だ。それなのに、押収したことになってるヤクは、俺と先輩の目算の三分の一もない。残りは、どこに消えちまった?」


 クムジャも画面上のデータの数値に目を通しながら、厳しい表情でチョルスを見る。


「俺たちだけじゃない。あの夜摘発に参加した他のチームが上げてきたヤクの数値だって、おかしなもんばかりだ」


 チョルスは無意識に親指の爪を噛みながら、パソコン画面を睨みつける。


「押収した証拠品を好きにできるなんて、内部の人間だけだ」

「ちょと、チョルス! 滅多なこと言わないでよ。誰に聞かれてるかも分からないのに」


 クムジャは慌てて、声を潜めながらチョルスの胸を叩く。


「だから、人目を忍んで慎重にやってるんです。怪しい人間を絞り込むためにね」

「怪しい人間?」


 チョルスはマウスをクリックして、ほぼ白紙に近いページを表示させた。


「今回の摘発で、唯一シロだった。一人のヤク中も洗い出せなかった大学」

「……あ……もしかして、明慶大学?」


 恐る恐る尋ねるクムジャに、チョルスが頷く。


「過去にも一度だけ、明慶に同じように捜査が入ってる。それを見つけ出すのに苦労しましたよ」


 チョルスが噛んでいた爪をようやく唇から離して、隣りに置いた埃塗れのデスクトップパソコンのキーを押す。ウィーンと低い唸り声を上げた旧式のパソコンは、セーブ状態の暗い画面から静かに目を覚ました。


「九年前、明慶に在学してた院生の変死体が漢江の河口で発見された。だけど、そもそも死後の遺体の損傷が激しすぎて、まともな検視は行えなかった。それなのに、死因は持病によって起こった心臓麻痺の末、河口に転落しての事故死として発表されてる。秘密裏に入った捜査でも、明慶の学生間での薬物使用はシロ」


 クムジャがゴクリと唾を飲む。


「検視結果を記した書類も、どこにも残ってない。保存年限が過ぎてないにも関らず、です」


 クムジャに向かって、チョルスはゆっくりと頷いて見せる。


「そう。最近、よく似た事件が起こりましたよね」


 チョルスはデスクトップの画面に指を突きつけた。


「当時行われた捜査の、担当捜査官の名前が載ってる」


 そして、続けてクムジャの前で開きっぱなしにしていたノートパソコンのキーボードを忙しなくクリックして、乱暴にデスクトップの側に、手にしたノートの画面を並べて見せた。


「今回の、一斉摘発で明慶を担当した捜査官」


 チョルスの目がギラリと光り、クムジャを捕らえる。


「両方に入ってるのは、ホン・サンギョ捜査官だけだ」


 次の言葉を紡げずにいるクムジャの隣りで、チョルスは厳しい顔でパソコン画面を睨みつけていた。



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