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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第2章【スコールワルツ】
47/219

2-20

「ペク・ギョウンッ!」


 ギョウンより先に、壁の若者が驚いたように声をあげた。


聖智大学ウチの学生だった、ペク・ギョウンだよな?!」


 その途端、戸口の若者たちも一斉にざわめきだした。何日も櫛を入れていないボサボサの髪と、伸び放題になった汚らしい不精髭から、フィールドを駆け回っていた頃の輝かしい面影は皆無だったが、かつての母校のスターの顔は、皆良く覚えていた。


「嘘だろ? アメフトの?」

「退学したはずだろ? 何で、こんなところに?」

「今の会話、全部聞かれてたのか?」


 動揺はあっという間にその場にいた学生全員に広がった。思いがけない目撃者に出くわし、彼への対処をどうすべきか、皆考えあぐねていた。


「何? お宅ら同じ大学の生徒だったの?」


 オーサーが面白そうに話に割り込んでくる。


「ふーん、いいこと考えた!」


 愉快そうに膝を打って、オーサーは告げる。


「この子を仲介に立てるってのはどう? 情報が入ったら、君らはこの子に連絡して。俺はこの子を派遣するから、そしたら情報を渡して。それが俺の気に入る代物だったら、そこで始めて『ペニー・レイン』へご招待! どう? 完璧じゃない」

「……え? お……俺?」


 突然のことに事態が飲み込めていないギョウンが、驚きに目を見開いてオーサーを見る。


「そうだよ。さっきナビも言ったでしょ? どうせお金無さそうだし、身体で返してもらおうと思って。ロマネ・コンティ分は働いてもらわないとね」


 オーサーの女好きするウインクで、あっという間にこの無茶な商談は成立してしまった。



「さーて、じゃあまずは、まともに働ける身体になってもらわないとね」


 若者たちを帰した後の明るくなってきた店内で、オーサーはなぜかギョウンの身体をロープでグルグル巻きにしていた。


「……何してるんですか?」

「自覚あるでしょ? 手足はブルブル。君は立派な、アル中患者だよ」


 そう言うなり、縛ったロープの片方を担いで、ズルズルと店の奥へと進んでいく。カウンターの中の扉を開け、テントから繋がったキャンピングカーへとギョウンを連れて行こうとしていた。


「ジェビン、二週間くらいシャワー室借りるよ」

「えー?! そしたら僕たちがシャワー使えないじゃない」

「代わりに貸し切りサウナ行こうぜ、ナビ」

「ヤッホーイ! それなら、許す」


 呑気な会話が交わされる横で、ギョウンはこれから一体何が行われるのか検討も着かなかった。

 高級ワインを飲んでしまったことを恨まれて、まさかシャワー室で拷問を? そう思うと、恐怖で歯がガチガチと鳴った。


「さあ、今日から二週間、君は俺とここで我慢大会だよ。本当は俺も、ナビヤと一緒に貸し切りサウナへ行きたいところ、我慢して君に付き合ってやるから、我慢大会。君は、アルコール抜きの我慢大会。どっちに軍配が上がるかな? 俺のナビヤ中毒は、君のアル中より重症だから」


 空になったバスタブにロープでグルグルに縛り上げたギョウンの身体を乱暴に二つ折りにして放り込むと、自分はバスタブのヘリに腰掛けて、悠々と煙草に火をつけた。


「禁断症状で、イライラしちゃったらゴメンね。いつもは優しい先生だけど、ナビヤが足りないと俺、人格変わっちゃうから」


 そのまま火を消しもせず、浴槽に咥えていた煙草を投げ捨てる。


「熱っ!」

「ふふ、じゃあ……レディーゴーッ!」


 優しげに下がった目尻の奥から覗く鋭い目の光に、ギョウンは縮み上がった。だが、既に籠の鳥、まな板の上の鯉――彼に逃げ場は無かった。



***



「あの時の、先生の恩は一生忘れないよ」


 済州島チェジュド国際空港の柱の影でうずくまった姿勢のまま、ギョウンは弱々しい口調で呟いた。


「……あのまま酒に溺れ続けてたら、俺、本当の廃人になってた」

「俺はグルグル巻きにして縛ってただけ。あと、ナビヤ欠乏症でイライラしたから苛めてやっただけ。乗り越えたのは、お前自身の力だよ」


 いつものふざけた口調は別にして、滅多にかけられることのないオーサーの優しい言葉の響きに、ギョウンが思わず顔を上げる。


「『ペニーレイン』と学生たちの橋渡しをしながら、お前も俺の目を盗んでヤクに手を染める機会は沢山あったのに、お前は手を出さなかった。俺は正直、100%、お前を信頼してたわけじゃないのよ」


 ごめんねーと笑いながら、オーサーはギョウンの頭をまるで幼子にするようにグシャグシャと撫でる。


「……お前の愛しの彼女が、ヤクをやってるんじゃないかって、気付いたのはいつ?」


 ギョウンの目から、一旦収まっていた涙が再び溢れ出す。


「……確信が、あったわけじゃないんだ……でも、あいつの……アパートに行った時、あいつが……何かに、怯えてるみたいで……」


(……ごめんなさい。もう、離れられないの)


 あの時は、ガンホへの心変わりを告げる言葉としか受け取れなかった。

 だが、もしかしたら“離れられない”理由は、別のところにあったのではないのか。

 一年近く、オーサーの指示の元、聖智大学の学生を中心に薬物にハマった学生たちを『ペニーレイン』へ誘導する仕事をするうちに、この薬物騒動に明慶大学のガンホが絡んでいること、そして自分の傍を離れ、今はそのガンホの元にいるミラへの疑惑も深まっていった。




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