2-17
ゴミの山に頭から突っ込んだせいで、我ながら胸の悪くなるような腐臭を漂わせながら小雨の中を一人歩いている時、高架橋の下で隠れるように明かりを灯すテントを見つけた。
九月の終わり頃だった。
長く続く秋の雨に打たれていると、肌の体温を奪われていくのが分かった。眩しい太陽が照りつける夏は終わり、自分の人生にもうら寂しい秋が訪れたような気分になった。
温めて欲しくて、何でもいいから慰めて欲しくて、ギョウンはその灯りに導かれるように、覚束ない足取りで高架橋の下へと降りていった。
テントの入り口にはまだ『準備中』の札が下がり、中から人の話し声が聞こえて来た。
「遅すぎない? ナビヤが下見に行ってから、何時間経つのさ?」
「オンマも一緒だから、その辺で遊んでるんじゃないかと思うけど……」
「だって、もう六時だよ? 暗くなる前に帰れって言ってあるんだろ?」
子どもでもいなくなったのか、中で交わされる二人の男の話し声には焦りの色が滲んでいた。
「やっぱり俺、ちょっとその辺見て……」
店の中で誰かが立ち上がる気配がしたのと同時に、粗末な黒テントのドアが開いた。
「あっ!」
全く心の準備をしていなかったギョウンは、突然のことに動揺して口をあんぐりと開けた。
彼の動揺の原因は、店の人間との突然の対峙だけではなかった。
ドアを開けて現れた男の、人間離れした容姿にまるで魂を抜かれるような気持ちになった。
蝋のように白い肌と、灰色の瞳、東洋人か否かすら定かではない。プラチナブロンドに近い明るい金色に染められた髪も、常人であれば少々奇抜すぎて違和感のある代物に見えたが、彼にかかっては、地毛だと言えばそれで納得してしまうほど馴染んでいた。
「あっ!」
ギョウンと同様に、その金髪の彼も声をあげた。
「オンマッ!」
だがその視線はギョウンを見事に素通りして、彼の背後に向かっていた。
「へ?」
思わず後ろを振り返ると、ギョウンの後ろには痩せた猫が一匹、雨に濡れそぼって立っていた。
金髪の男は邪魔なギョウンを押しのけて、その猫に向かって手を伸ばした。
猫は一声、ニャアッと高く鳴くと、そのみすぼらしい見かけに反して、さも当然といったような優美な動きで美しい男の胸に治まった。
「ナビはどこにいるの? 一緒じゃないの?」
男はまるで言葉が分かるとでも思っているかのように、猫に向かって話しかける。
猫もそれに応えるように、男の胸で身じろぎをした。
また、ニャアッと甲高く鳴くと、男の胸から飛び降りて雨の中を駆け出した。
「待て! オンマ!」
金髪の男はそう叫ぶと、急いで店の中を振り返った。
「オーサー! オンマが帰って来た。ナビに何かあったんだ。追いかけるよ」
「待てよ、ジェビン! 俺も行く!」
しかし中の男の返答を待たずに、金髪の男は猫の後を追って既に駆け出していた。
「ったく、せっかちなんだから」
ブツブツ言いながら、二人目の男もテントの入り口に現れた。手には『CLOSE』の札を持っていた。
「ん? おたく、誰?」
呆気に取られたまま立ち尽くしていたギョウンに目を留め、二人目の男が声をかける。
誰? と問われても、何と答えていいのか分からなかった。自分はただ、明かりに惹かれ、ひっそりと立っている黒テントに温もりを求めて立ち寄った、ただの客に過ぎなかったから。
「ちょうどいいや。緊急事態だから、ちょっと店番してて!」
「は?!」
言うが早いか、男は有無を言わさずギョウンの手に『CLOSE』の札を押し付けた。
「ちょ……ちょっとっ!」
「札下げて、中にいていいよ。客が来たら、断って店に入れなくていいから」
それだけ言うと、傘も差さずに、先ほどの金髪の男と猫が消えた雨の中へと飛び出して行った。
突然押し付けられた店番に戸惑いながらも、誰もいない店を放って帰ってしまうわけにも行かず、ギョウンは恐る恐る店の中に足を踏み入れた。
外から見るよりも案外中は広く、ジャズの名盤などがディスプレイされた店内は小奇麗に片付いていた。
言われた通り『CLOSE』の札を下げ、自分はカウンターに腰を下ろす。
店内は静かで、屋根を打つ雨と壁にかけられた振り子時計の秒針の以外に音は無かった。
やることもなく店内を見回した時、ふと、カウンターの中の飾り棚に陳列された数々のワインやウイスキー、酒のビンが目に留まった。
意識した途端に、指先が震えた。
誰も見ていない――そんな誘惑が、ギョウンの頭の中を駆け巡る。
自主退学してからというもの、毎日浴びるように酒を飲む生活を送ったお陰で、すでにギョウンの身体は、本人が意識するよりもずっと深刻に、アルコールに侵されていた。