2-13
「どうしたの? 何があったの?」
驚いたヒョンスがユリの肩を掴んでも、ユリはただしゃくりあげて泣くだけだった。
「泣いてちゃ分からないよ、ユリ。俺に話して?」
そう言ってユリの頬に手を伸ばした時、ポトリとユリのジーンズのポケットから何かが落ちた。
「……何?」
屈みこんでそれを拾おうとしたヒョンスに、ユリは鋭い声で叫んだ。
「ダメッ!」
だが、一歩遅く、拾い上げた白い包み紙は既にヒョンスの手の中にあった。
「……これ……ユリ、まさか……」
その途端、ユリはワッと泣き崩れて、ヒョンスの胸に縋った。
「……ヒョンス、助けて……お願い」
「……ユリ」
戸惑いがちにユリの背に手を回すと、ユリはますます身体を密着させてヒョンスに縋り付いた。
「ねぇ……あんた、いっつも私を助けてくれたわよね。小学校一年の時、オネショした時も、あんたが庇ってくれた」
胸の中で震えるユリは、本当にあの頃の小さな少女に戻ってしまったようだった。
「……助けてよ、お願い。あんたはいつだって、私を喜んで助けてくれたじゃない」
確かに、そうだった。
今でもよく覚えている。
***
『……ヒョンスゥ』
『ユリ? どうしたの? 眠れないの?』
真夜中、みんなが寝静まった後、泣きながら枕を抱えて自分の部屋にやってきたユリのために、ヒョンスは身体を動かしてベッドの半分を空けてやった。
もぐりこんできたユリの身体は、ヒヤリと冷たく濡れていた。
『……ん? ユリ?』
不信に思って、嫌がるユリの寝巻きの尻を触って確認すると、しっとりとした感触がした。
『お前、まさか……』
絶句するヒョンスに、ユリはシクシクと泣き出した。
『……どうしよう……パパに怒られる……』
あまりにも哀しそうに泣くものだから、ヒョンスはそれ以上責めることが出来なくなってしまった。
仕方なく二人の上にかけていた布団を剥がすと、ヒョンスは自分のパジャマのズボンを脱ぎ、シーツも剥ぎ取った。
『……ヒョンス?』
『代わってやるよ。おじさんには、俺が怒られるから』
キョトンとするユリの前で、ヒョンスはテキパキと作業を進める。全てが終わると、ユリを連れて、こっそり階下のシャワールームへ連れて行った。
肩に掴まらせながら、ユリの汚れた身体を洗う。
『……ありがとう、ヒョンス』
翌朝、オネショがバレたヒョンスは、大人たちにこっぴどく叱られた。罰として、屋敷の廊下に正座させられ使用人たちにからかわれても、ヒョンスは恥ずかしいどころか、むしろ誇らしい気持ちになっていた。
シャワールームで、肩に触れていたユリの小さな手の温度を思い出せば、何だって出来るような気がしていた。
今、ユリの手はあの頃のように小さくもなく、暖かい温度も持っていない。
白くなまめかしいその細腕は、先ほどから媚びるようにヒョンスの肩に触れている。
ヒョンスはライトも付けずに、そっと真夜中のガレージから車を発進させた。
「……あんただけが、頼りなの」
ユリは泣いた後の濡れて甘えた声で、そう囁く。
ヒョンスは言われるままに、車を走らせた。
しばらく走り続けて、やがて、明かりの消えたクラブの前に車を止めた。ユリの後に続いて、フロアの奥の配水室へと歩を進める。
「何も聞かないで。ただ、黙って言うとおりにして」
ユリが振り返り、もう一度念押しする。ヒョンスはただ黙って頷くしかなかった。
懐中電灯を手に、鍵のかかっていない配水室のドアを肩で押して中に入る。毛細血管のような配水管の合間を縫って、奥へ進んでいった時、足元を不意に駆け抜けた生暖かい生き物の感触に思わず悲鳴を上げた。
「しっ!」
ユリが厳しい口調で振り返る。
チューという泣き声とともに、ネズミが駆けていく音がした。
「……どこまで行くんだよ? 何があるんだ、一体……」
その時、ヒョンスの照らす懐中電灯の明かりの先に、大型受水槽が姿を現した。その陰に隠すように、簡易ベッドが見える。
「……何だ?」
そう言って目を凝らした次の瞬間、その上に乗せられた黒い塊を捉えて、ヒョンスの目が大きく見開かれた。
「っな?!……」
悲鳴を上げる寸前で、突然横から飛び出してきた大きな影に口を塞がれた。
「……見たよな? 見たからには、お前も共犯だからな」
その影は、ヒョンスの耳元で低い声で息を吹き込むように囁く。
目だけを動かしてその影の手の先を追うと、正気ではない光をたたえたガンホの目と視線があった。
「……手を貸せ。ユリのためだ」
口を塞いでいた手がスルリとヒョンスの首に巻きついた。ヒョンスがゴクリと唾を飲み込む音が、狭い配水室に響いた。