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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第2章【スコールワルツ】
36/219

2-9


「……ここ、いいですか?」


 ナビが頬杖をついて講堂の中をキョロキョロと見回していた時、不意にヒョロッと痩せて頼りない印象の男子学生が現れ、ナビの前に立った。


「どうぞどうぞ、座ってよ!」


 ナビはパアッと顔を輝かせて、造り付けの椅子を引いてやった。


「誰も隣りに来てくれないからさ、寂しかったんだよね」


 そう言って振り返るナビの背後五列には、一人の生徒も座っていなかった。

 広い講堂の中、一番前の席にナビとその男子学生、そのすぐ後ろ五列を空けて、最後列から順に学生の集団が出来ていた。


「この授業、退屈で眠くなるって有名だから。みんな眠りに来てるようなものなんだよ。僕がこの授業取ってから、最前列でノート広げてる人を見るのなんて、君が初めてだよ」


 男子学生の言葉に、ナビはキョトンと不思議そうな顔をした。


「えー? 眠ったりしたら勿体ないじゃん。一番前の方が先生の声も聞こえやすいし、中身なんか分かんなくたって、こんな素敵な校舎の匂い嗅いで、難しそうな講義聞いてるだけで、僕って勉強してるんだーって、気分になるじゃない。眠かったら、僕、家に帰って寝るよ」

「勉強してる、気分?」

「そう、気分だよ、気分。僕、今は学生なんだーって、思うだけで楽しいじゃん」

「今? 君はずっと、学生でしょ?」


 男子学生の言葉に、ナビは慌てて口を噤んだ。そうだ、浮かれて妙なことを口走ってしまった。


「もしかして、兵役帰り? 僕も、この4月に除隊になったばかりだけど」

「そ、そそそそうっ! あの辛い生活から抜け出して、僕は今“学生”なんだって……敬礼もしなくていいし、夜間訓練で叩き起こされることもなくて……」


 必死に取り繕うナビを見て、男子学生は突然プッと吹き出した。


「確かにね。でも、君って面白いね。変わってるよ」

「……そ、そう……かな?」


 今さらになってマゴマゴし始めたナビを尻目に、男子学生はクスクス笑い続ける。


「この授業は初めて? 見ない顔だから」

「へ、編入してきたんだ。前の大学でも、法学部だった」


 ナビは、予めミンホと口裏を合わせていた嘘をついた。


「この時期に編入なんて珍しいね。優秀なんだね。うちの編入試験は、競争率高いでしょう?」

「……そ、それほどでもないよ」


 ナビは冷や汗をかきながら必死に取り繕う。それ以上突っ込まれて聞かれたら、嘘をつくのが苦手な自分にはきっと耐えられなかっただろう。

 しかし男子学生はそんなナビを不信には思わず、人の良さそうな細い目を更に細めて、手を差し出してきた。


「僕は、コ・ヒョンス。よろしくね」

「ユン・ナビだよ。こちらこそ、よろしく」


 ナビもニッコリ微笑んで、ヒョンスの手を取った。



 授業が終わった後、ヒョンスとナビは連れ立って学食のカフェテリアへと向かった。

 九十分に及ぶ、「睡眠薬」との異名を取る法律概論の事業だったが、外国語のような法律用語も、ナビには魅惑的な言葉に聞こえて、ちっとも飽きなかった。

 意味は分からずとも、講師が黒板に書き殴った文字を、講師と競争するかのようにノートに綴った。授業始まって以来の熱心な生徒だと、講師の方が授業後にえらく関心して、わざわざナビのところに来た程だった。


「君って本当に面白いよ。ナビ」


 ヒョンスは先ほどから、ずっとそう言っては笑っている。


「そうかなぁ……」


 ナビは襟足の短い毛をいじりながら首を傾げる。


「僕が知ってる学生の中で、間違いなく最高……あっ!」


 その時、不意にヒョンスの足が止まった。


「……どうしたの?」

「ユリッ!!」


 ナビに答える間もなく、ヒョンスは駆け出していた。人ごみの向こうで、大胆に肩を露出させたワンピースを着た小柄な少女の腕を掴んでいる様子が見えた。


「ユリッ! 昨夜は一体どこに行ってたんだよ。おじさんも心配して寝ないで待ってたんだよ。大事な会食もすっぽかして!」

「うるさいわねっ! どこで寝ようと私の勝手でしょ? 離してよ。皆見てるじゃない」


 少女はヒョンスから逃れようと、金切り声を上げて身を捩る。


「ユリッ!!」

「人の女に勝手に触ってんじゃねぇよ」


 その時、ヒョンスと少女のやりとりを遠巻きに眺めていた人垣の中から、サングラスをかけた長身の男が現れた。


「手ぇ離せよ。運転手」


 男はそう言うと、ヒョンスの細い肩を掴み、乱暴に少女から引き剥がした。反動でヒョンスはよろけ、地面に尻餅をついた。ナビは慌ててヒョンスの元に駆け寄った。


「ふん」


 男はヒョンスを見下ろすと、側にペッと唾を吐き捨てた。


「……このっ!」


 思わず立ち上がりかけたナビのシャツの裾を、ヒョンスが握って押し留めた。

 男はもう一度、ヒョンスとナビを見下ろすと、少女の剥き出しの肩に手を回し、そのまま二人に背を向けた。



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