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「持ってきたぞ! あ、何だ先生。あんたもいたのか?」
スポーツバックを左右の肩にかけた上に、大ぶりのトランク二つを持ったチョルスは、ミンホに傘を差しかけてもらいながら『ペニーレイン』の中に入ってきた。
「ひどいよー。こんなに面白いこと、俺にナイショで進めるなんてさ」
オーサーはカウンターに腰かけ、頬杖をつきながら唇を尖らせた。
「ナビのコスプレ、見ーたーいー」
「コスプレって何だよ?」
呆れたチョルスが尋ねると、オーサーはシレッとした口調で言った。
「え? 女子高潜入ハラハラ大作戦!でしょ? その中には、二人分のセーラーフクがー……」
「んなわけ、あるかっ!!」
その時、カウンターの奥からナビが姿を現した。
「おっ!! ナビ」
その場にいた皆の視線が、ナビに集中する。
ナビは金色に近い明るい茶色の髪を黒く戻し、サラサラの前髪を下ろしていた。
元々童顔だったが、落ち着いた髪の色と髪型のせいで、今は初々しさは残るものの、きちんと大学生に見えないこともなかった。
「ナビヤ可愛いー」
「可愛いって言うな」
ナビは赤くなって、髪に伸びてくるオーサーの手を振り払いながら、乱れた髪をグーのカタチにした拳で、何度も何度も撫で付けた。
照れ隠しの仕草なのだと、ミンホにも何となく分かった。
ミンホはチョルスの荷物を半分持ってカウンターの席についたが、なぜだか今日はナビの顔をまともに見れなかった。
見慣れぬ姿が新鮮で、何だか初めて会う人物のような気恥ずかしさがあった。
「なかなか似合ってるぜ。あとは、その左耳のピアス、取った方がいいな。特徴になるようなモンは、なるべく身につけない方がいい」
チョルスの指摘に、ナビは左手をグーの形に握ったまま、その手でピアスを隠すように左耳の上に持っていった。
「……これは、ダメだよ」
「ダメ?」
左耳に手を当てたまま俯くナビを覗き込もうとしたチョルスの顔の前に、突然銀色のお玉が降ってきた。
「……っな?」
「ピアスくらいしてた方が、今ドキの大学生っぽくって、却って目立たなくていいと思うけど?」
お玉の柄を掴んだジェビンの腕は、青い血管が幾つも走り、もう一度本気でそのお玉を、今度は頭上に振り下ろされたらと思うと、チョルスは震え上がり、これ以上口にすることが躊躇われた。
気を取り直して咳払いを一つすると、チョルスは用意してきた話を振った。
「下準備もなかなか大変だったんだぜ。いくつか考えてきたんだけど、ナビ、お前、希望の学部あるか?」
「体育学部!!」
即答するナビの頭を、チョルスがにべもなくペチンと叩く。
「何だよっ!」
頭を押さえてナビは抗議する。
「明慶に、体育学部はありません。それに、仮にあったとしても……だ。体力自慢の健康優良児集団が、廃人寸前になるようなヤクに手を染めると思うか?」
チョルスは目の前に突き出した人差し指を左右に振って言った。
「ニ年の法学部、四年の文学部。人数も多くて顔の知らない奴が紛れ込んでも分からない。この線が潜るには丁度いいと思うんだ。二人バラバラの学年と学部で、目ぼしい学生を見つけて欲しい。ナビがニ年……ミンホが四年……」
「分かりました」
「ちょっと待ってよっ!」
素直にナビの言葉に頷いたミンホとは違い、ナビは勢いよく手を上げた。
「はい、ナビ君、どうぞ」
律儀にチョルスに指名され、ナビはカウンターから身を乗り出した。
「何でこいつが上の学年なの? 僕の方が年上なんだから、可笑しいでしょ?」
「……いや、でも……見た目的に? ほら、ミンホの方が……」
「ぜーったい、四年が僕だもんね! お前は二年! 年下なんだからっ!」
「別にいいですけど。あなたが卒業間近のゼミの勉強にもついていけるって言うなら。ちなみに、潜入対象は英米文学科を選んでますから、一部には全編英語、韓国語使用禁止の授業もありますけど。それでもあなたがどうしても四年がいいと言うのなら、僕は一向に構いません」
ミンホの言葉に一瞬グッとつまったナビだったが、すぐに体勢を立て直して言い返した。
「バカにするなよ! 僕だって毎日新聞ちゃんと読んでるんだぞっ」
「ああ、それは失礼しました」
「お前ら、ケンカばっかりするなよ。これから協力して捜査してかなきゃならないんだぞ」
チョルスが呆れて口を挟む。
「と言うわけだから、不満はあるだろうけど我慢してくれ。ナビは二年の法学部、ミンホが四年の文学部でいいな? おい、ナビ! ちゃんと聞け!」
英語くらい、何だよ……そう言いながら、未だにミンホに恨めしげな視線を送りながらブツブツ言っていたナビの額を弾いて、チョルスが注意を戻す。
「連絡用のプリペイド携帯はそれぞれに渡しとく。くれぐれも、慎重にやってくれよ。身元がバレたらお仕舞いだ」
チョルスの言葉に二人は一旦休戦を決め込んで、頷く。
「雨が降ったら、兄貴のところへ帰してね。それが、条件だよ」
先にジェビンから聞いていた、ナビの譲れない条件を、チョルスたちは承諾していたところだったので、それには素直に頷いてやった。
「心配しないで、ナビ。俺も、ナビの捜査の間はこの店手伝うことにしたから」
その時、カウンターに座り面白そうにナビたちの様子を眺めていたオーサーが言った。
「何だって? 俺はそんな話聞いてないぞ?」
驚いたのはチョルスだった。
「当たり前だよ、今話したんだから」
オーサーはニッコリ微笑んでカウンターの中のジェビンにウインクする。
「オーサーもいたら、心強いよ」
その笑みを受けて、ジェビンも微笑んだ。