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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第1章【ペニー・レイン】
3/219

1-2


「親にあんなに高い学費を出してもらいながら、廃講堂でクスリ打って乱交パーティーなんて、まったく羨ましいご身分だぜ」


 若い警官が、若者の頭を拳固で小突けば、若者は頭をダランと垂れ下げて笑う。


「あんまりナメるなよ、小僧。俺らはソウル市警の中でも気が短いので有名なんだ」


 中年の警官が若者の背後にいる若い警官に目配せすると、若い警官は若者の襟首を後ろから掴んで締め上げた。


「……っう」


 息を詰まらせ、顔色を変える若者の耳元に、若い警官は鋭い切れ長の瞳を光らせ囁いた。


「いつまで意地を張れるかな? 早く答えないと、脳に血がいかなくなるぜ。賢い頭が、もっと賢くなっちまうな」


 若者が、自分を締め上げる警官の腕を苦しげに叩く。


「吐く気になったか?」


 若者は青い顔のまま頷く。


「よし、聞いてやる。チョルス、もう離せ」


 苦しげに呻く若者を見下ろしていた中年の警官がそう指示を出すと、若い警官は言われたとおりに若者の襟首を解放した。


「さあ、どこから話してもら……」


 しかし、若い警官が言い終わらない内に、首の戒めを解かれた若者は、警官の靴の上にゲロゲロと盛大に嘔吐した。


「こんの野郎っ!!」


 警官の激高を他所に、周囲からは他人事の忍び笑いが漏れた。


「お前、絶対に許さねぇからな」


 再び若者の襟首を締め上げた警官は、吐しゃ物のすえた匂いも相まって、思い切り眉間に皺を寄せながら、同僚の間でも特段に『目付きが悪い』と評判の、睨みをきかせる。

 だが焦点の合わない視線をさ迷わせるだけの相手に、自慢の眼光が効く訳もなく、彼の鋭い視線は若者を通り越して、先ほどから拘置所の隅で膝を抱える、陰気な空気をまとった少年の元に辿り着いた。


「何だよ?」


 若い警官は、最早ただの軟体動物と成り果てた若者の身体を床に投げ出して、少年に向き合った。


「先輩、あいつ……」

明洞ミョンドンの路地で、最後に拾った奴だ」


 若い警官の耳打ちに、中年の警官が答える。


「よぉ、こいつらと違って、お前は随分寡黙なんだな」


 若い警官は吐しゃ物で汚れた靴もそのままに、カツカツと床を踏み鳴らして少年の元に向かった。

 長身の彼が座った姿勢のままの少年を見下ろせば、随分な威圧感が生まれる。それを充分分かった上で、更に胸を張り、少年を威嚇する。


「お前も見てただろう? あのバカじゃ話にもならない。床に倒れてる奴らも同じだ。見たとこ、お前は少しはまともそうじゃないか? せっかく大学行っておベンキョしてんだ。ここは賢く、先に吐いちまった方が、今後のタメってもんじゃねぇか?」

「……お、俺……」

「ん?」


 若い警官とは逆に、中年の警官は座り込み、顔を傾けて、俯いた少年の表情を覗き込む。

 威圧と懐柔。

 ターゲットに合わせて、使い分ける戦法。

 長年コンビを組むこの二人の警官の間では、今更打ち合わせなどしなくても、呼吸するくらい自然になせる技だった。


「……お……俺ぇ」


 だが、何事かを吐くかと思われたその少年は、自白の代わりに目に溜めた大粒の涙を零しながら、ただガタガタと震えるばかりだった。


「ダメだ。こりゃ」


 しばらく少年の言葉の続きを待ってみたものの、先に痺れを切らしたのは、若い警官の方だった。


「時間の無駄です。先輩、もう一人、適当なヤツ締めましょう」


 座り込んだ中年の警官の腕を引いて、重い身体を立ち上がらせるための手助けをする。


「オラッ! 拘置所は眠る場所じゃねぇんだぞ!」


 少年に背を向けて、汚れたままの靴で床に転がる若者を二三人蹴り上げながら、道を開ける。

 その時だった。

 少し後ろを歩いていた中年の警官が、突然バランスを崩して前につんのめった。


「ソン先輩?!」


 驚く若い警官の前で、中年の警官は床に転がった若者の一人を巻き込んで、拘置所内の冷たい床にベシャッと音をたてて倒れた。

 肉付きのいい中年の警官の下敷きとなった若者は、クスリが切れたこととは異なる種類の、悲痛な呻き声をあげている。


「ソン先輩、大丈夫ですか?!」


 下敷きになった若者そっちのけで、若い警官は慌てて床に倒れこむ先輩の身体を抱き起こそうと、その背中に手を差し伸べた。

 その瞬間、ヌルリと嫌な感触に手が滑り、そのまま若い警官の指は冷たい金属に触れた。

 その時初めて、若い警官は、先輩の腰に深々と突き立てたナイフに必死の形相でしがみついている、先ほどの陰気な顔をした少年の姿に気がついた。


「何してるんだ、お前っ!」


 若い警官は、慌てて腰に張り付くその若者を引き剥がそうとした。


「……うぅ……うぅっ」


 少年は意味のない嗚咽を繰り返すばかりだったが、骨と皮のようなその華奢な風貌からは想像できないほどの狂気めいた馬鹿力で、中年の警官に取りすがっていた。


「離れろっ、お前っ!」


 少年の身体をやっとの思いで引き剥がすと、少年はもんどりうって拘置所の端の壁まで転がった。


「……畜生、狂ってやがる」


 肩で息をしながらそう吐き捨てる警官の前には、見るも無残な先輩の姿が横たわっている

 溢れ出した血の海の中に腰から下を沈め、取りすがるために穿うがたれたくさびのように、腰から直角に突き出たナイフがきらめいていた。


「誰か、誰か来てくれ! 早くっ!」


 若い警官が大声で叫ぶと、拘置所内は騒然となった。




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