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「オーサーのところに来る学生も増える一方だし、俺も今回の一連の騒動は何だか気になるんだ。チョルスたちに、力を貸してやってもいいんじゃないかな?」
「ジェビン……」
感動したチョルスが口を開こうとした時、ナビは猛烈な勢いでジェビンの肩を掴んだ。
「そんな……兄貴ッ! 店はどうするの? 僕がいなかったら、どうやって開店準備するの?」
「……お前がいない間は、チョルスに手伝ってもらうよ」
「え? 俺?!」
ニッコリ微笑むジェビンに、驚いたのはチョルスの方だった。
「こっちからも大切な人員を一人出すんだ。おあいこでしょ? 心配しなくても、毎日じゃないよ。雨が降りそうな時だけ、開店準備だけ手伝ってくれればいいから」
「……いや、でも……」
接客業には向いてないとよく言われる。十八の年から野獣のような叩き上げの警官の中で育ってきたチョルスに、今さら客の顔色をうかがう仕事が出来るのか。当のチョルス自身が不安になってきた。
「お願いします。いいですよね? チョルスヒョン」
躊躇するチョルスに代わって、ミンホがサクッと返事をしてしまった。
「おい、ミンホ……お前!」
「次に来る時までに、潜入用の学生証や教材その他を揃えてきます。詳しい打ち合わせもその時に。ですよね? チョルスヒョン」
「……お、おう」
ミンホに押され気味のチョルスが頷く。
「その時一緒に、チョルスヒョンにも接客の何たるかを教えてください」
「任せといて」
ジェビンはミンホの言葉に頷き、親指を立てた。
不満と不安の表情をそれぞれ浮かべたナビとチョルスは、そんな二人を見てムッツリと押し黙った。
***
「……ナビ、いつまで拗ねてるの?」
完全に店じまいをして、チョルスとミンホを送り出した後、キャンピングカーに引き上げたジェビンは、先に引き上げさせ、今は枕を抱いて、ロフトスペースでこちらに背を向けて横になるナビの背中に声をかけた。
しかし、ナビからの返事はない。
ジェビンは苦笑しながら、下にある自分の簡易ベッドに腰をかけた。右手で左足のふくろはぎを持って、やっとの思いでベッドの上に乗せる。
すると、ロフトで不貞腐れていたナビが、まだ不満いっぱいの顔をしながらも、ジェビンの元へ降りてきた。
「……兄貴のバカ」
顎を真っ直ぐ引いて、上目遣いで文句を言うナビは、本当に幼い子どものようだった。
「あれ? ナビちゃん、ちゃんとお口あったんですか?」
ジェビンはクスクス笑いながら、ナビの手を取る。そのまま引っ張られて、ナビはジェビンの座るベッドに腰を下ろした。
すぐ側にある、ジェビンの左足に手を伸ばす。
小さめの手のひらで、固く強張ったジェビンの左足のふくろはぎから足首までを、丁寧に揉み解すようにさすっていく。
「……痛む?」
「んーん、今日は平気」
ナビが枕を壁とジェビンの身体の間に差し込んでやると、ジェビンは、ありがと、と言ってそのまま後ろに体重を預けた。
「僕がいなかったら、誰が雨の日に、こうやって兄貴の足をさすってあげるのさ?」
ジェビンが見下ろす先で、うつむき一心に足をさするナビの頬が赤く染まっている。長年の付き合いで、これはナビが泣き出す一歩手前で我慢している印だと分かる。
「あの、チョルスってオマワリに任せるの?」
「……まさか」
ジェビンは笑って、ナビの熱くなった頬に手を伸ばした。
ああ、やっぱり。
ジェビンは笑い出したいような、切ないような、くすぐったい気持ちになった。
顔を上げたナビは、予想通り、泣き出す寸前だった。
「お前のマッサージ受けたら、他には頼めないよ。ゴールドフィンガー、ナビヤァ」
真っ赤な顔から赤みが引いて、途端にパァッと効果音が付きそうな笑顔を輝かせる。
「雨が降ったら、絶対戻ってくるよ」
「……分かった。でも、無理はするなよ」
こうなったら、ナビは意外に頑固だ。
行ってもいいという気持ちになっただけでも、儲けものだろう。
「髪、少し切ろうか?」
ジェビンはナビのトサカ頭に手を伸ばした。ハードムースで無理やり固められた、本来は柔らかい猫っ毛を、優しく解していく。
「あまり目立たない方がいいなら、色も少し染め直したほうがいいな」
「イヤだよ。ジェビニヒョンと同じ色がいいんだ」
ナビは大人しくジェビンに髪をいじられながら、唇を尖らせた。確かに、首筋まで伸びたジェビンの髪は、薄暗い『ペニーレイン』の店内でも一際目立つ艶やかな金色だった。
「お前には、もう少し落ち着いた色が似合うよ。顔が明るいから」
「何それ?」
ナビの怪訝な顔に、ジェビンは手の甲を口に当てクスクス笑う。
「表情の話だよ」
ナビは両手を自分の頬に当て、首を傾げる。
「俺が、切ってやるよ。カッコ良くしてやるから……な?」
髪を撫でながら、優しく微笑むジェビンに、やがてナビも素直に頷く。
拗ねて膨れて見せたって、結局はいつも、この優しい兄に反発したままでいることなんて自分には出来ないのだ。
心地よく髪を流れるジェビンの細い指の感触に、目を閉じて身を任せようとしたその時、不意にジェビンの手の動きが止まった。
「……兄貴?」
怪訝に思って見上げた視線の先で、ジェビンの灰色の瞳に出逢う。思慮深く、いつもどこか憂いを秘めた、その瞳に。
「……ナビ」
「うん?」
「……バレない自信、ある?」
不意を突いた言葉に、ナビが喉を詰まらせる。
「行けって言ったのは俺だけど、保護者としては、それだけがちょっと、な」
すると突然、ナビがバチンッと音を立てて、さっきまでジェビンの足をさすっていた小さな手で思い切りジェビンの白い頬を挟んだ。
「ナビ?!」
驚いて見開かれたジェビンの目の前に、額を付き合わせるような距離でナビの黒めがちな目が迫る。
「大丈夫だよ。兄貴の弟を信じなさい!」
大真面目な口調が可笑しくて、ジェビンはナビの丸い後頭部を抱き寄せて頷いた。