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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第1章【ペニー・レイン】
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「まずは、ナビを返してって言ったよ。当然だろ? だけど、ヤツらだってバカじゃない。ヤバい場面を見られて、大学にチクられでもしたら終わりだ。ナビちゃんは大事な人質ってわけだから、簡単には返してくれない。だから、粘り強く交渉してみることにした」

「交渉?」

「そ。まずは、友好の証に、そのキメてるクスリをお裾分けしてくれないってね。俺も同じ穴のムジナだって教えてあげたわけ。ヤバいことを喜んで共用するんだから、俺らが奴らをチクることはないって、安心させるためにね」

「……ちょっとだけ、吸った」


 ナビが小声で、言いにくそうに呟く。


「でも、ちょっとだよ! 僕を助けるためにしたんだから、そのくらい多めに見てくれるよね!」

「ナビ、今は取り敢えず、それは置いておこう」


 ジェビンに遮られ、渋々ナビも押し黙る。


「だけど、キメるまでもなかった。本当は、吸う前から匂いで見当はついてたけど」

「見当?」


 チョルスの問いに、オーサーが答える。


「やつらがキメてたクスリは『エデン』なんて呼ばれてたけど、そんなご大層な名前が似合う代物じゃない。混ぜモンの粗悪品だ。気持ちイイのは、最初だけ。常習すれば強い頭痛、吐き気、死にたくなるような幻覚……簡単に命も持ってかれる。まあ、あの世へ直結って意味では、確かに『エデン』かもしれないけど。問題は、俺が以前にも似たようなクスリを見たことがあるってことだ」

「何だと?」


 チョルスとミンホの顔色が変わる。


「九年も前の話だけどね。今回の『エデン』そっくりな、混ぜモンの粗悪品がある大学を中心に出回って、死人も出した」

「死人も? 待てよ……そんな記録あったか?……」


 コメカミを押さえて、警察の過去の事件を思い出そうと考え込むチョルスに対して、オーサーは鼻で笑う。


「いくら考えたって思い出せっこないよ。“無かったこと”になってる事件だから」

「一体どう言うことだ? 何で、お前がそんなこと知ってる?」


 謎かけのようなオーサーの言葉に、苛立ちを募らせたチョルスが詰め寄る。

 目を剥くチョルスに、オーサーはクスクスと手の甲で口元を押さえながら笑う。


「九年前、『ある大学』を中心にそのタチの悪いクスリが出回り始めた頃、俺は知り合いに頼まれて変死した女子大生の周辺を洗ってたんだ。警察発表では既に“心筋梗塞しんきんこうそく”として処理されてたけどね。だけど、途中で依頼主が死んで、調査は頓挫した。結局、肝心のクスリの出所も掴めないまま、真相は闇の中だ」


 オーサーの目が暗い光を放つ。ミンホは、今さらながらこの医師が、普段見せているような柔和で軽くいい加減なイメージは、カモフラージュなのだと実感した。


「似てるんだよ。九年前と、クスリの出回り方が。素人の甘ちゃん学生集団相手に商売してるようだが、もっと大きな土壌を隠すためだと俺は思ってる。俺らが見つけた“聖智大学”以外にお宅らが摘発した大学はいくつある?」


 チョルスが答える前に、ミンホはチョルスから預かった資料に書いてあった数値を反芻する。


「ソウル市内だけで、5大学、学生数にしたら50弱」

「一大学10人弱の計算だ。数にしたらそう多くも無いが、そいつらに、間も切らせずクスリを運ぶには、組織だった販売ルートが必要なはず。だが、肝心の大本は、功名に姿を隠していて分からない」

「まるでトカゲの尻尾だな。いくら下っ端の尻尾を捕まえたところで、胴体には辿り着けない。俺たちが手をこまねいていたのもそこだ」


 チョルスの言葉に、オーサーは意味深な笑みを漏らした。


「そう悲観するものでもないよ。尻尾だって、一本一本丁寧に辿っていけば、どれか一本くらいは胴体に繋がっているもんさ」

「それは、どういう……」


 眉を潜めるミンホに、オーサーは子どものように無邪気な、満面の笑顔で答えた。


「君らと違って、俺には時間も暇も売るほどあるからね。シッポちゃんたちを一人一人集めて、逆から追ってやることにしたんだ。廃材置き場で捕まえた学生の一人に吹き込んだ。今よりもっとキメられる、特製の『エデン』を持ってるって。だけど、本当に特製だから、一度にちょっとしかあげられない。君と、君の彼女の分くらい。他の仲間には秘密。じゃないと、殺到しちゃうからね。俺の“お気に”の子しか呼ばないよって念押ししたら、噂はあっという間に広まった。みんな『ペニー・レイン』に気に入られようと、競争を始めた。『ペニー・レイン』の“お気に”になる方法はたった一つ、胴体に繋がる情報を持ってくること。俺は彼らに競争させて、一人一人別々に『ペニー・レイン』に呼び出した。大抵の場合は男の方から先に呼んで、彼女を呼び寄せたいがために頑張らせたってわけ。クスリを抜いた後じゃないと、彼女も呼ばせないし特製の『エデン』もあげないよってね」


「じゃああなたは、堕胎の幇助ほうじょをしていた訳ではないのですね?」

「あれ、何? そんな噂になってるの?」


 ミンホの問いに、オーサーは目を見開いて、面白そうに口の端を歪めた。


「そっか、時間差でもカップルで消えれば、そう怪しまれても仕方ないかもね。男女で呼んだ理由は簡単だよ。男の子は女の子のためなら、頑張っちゃうでしょ? 君にも経験あるんじゃない?」


 バチンとミンホに向かってウインクしながら、さり気なくその目はナビの姿を追う。


「ジロジロ見るなよっ!」


 思わずオーサーの視線の先を追ってナビと目が合ってしまったミンホに、ナビから厳しい一言が飛ぶ。


「別にっ! あなたなんか、見てません」


 苦し紛れにそう反論しながら、第一、あなたは“女の子”じゃないでしょうと、モゴモゴと口の中で呟いた。



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