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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
番外編②【After the Rain】
217/219

After the Rain-5-


 アメリカから連れて帰って来たミジュが、早々にアメリカへ戻りミンホとの婚約も破棄すると言い出した時、ミジュの父は当然ながらカンカンだった。


 ミンホのみならず、後輩であるミンホの父も呼び出され、家族揃っての話し合いの場がもたれた。

 だが、その場でもミンホは怯むことなく、記憶を失くしていた3年の間に、心に決めた人がいたこと。それを思い出した以上、ミジュとの結婚は出来ないことを正直に伝えた。

 ミジュもまた、それを知ってしまった以上、他に愛する人がいるミンホと、このまま一緒になることは出来ないと言った。

 当の本人たちの気持ちは固かったが、愛娘をコケにされたような形になったミジュの父は納得しなかった。


 埒が明かず、何度も先輩であるミジュの父に頭を下げながら、引きずるようにミンホを連れ帰って来た父は、殴りかからんばかりの勢いで、ミンホに詰め寄った。


「一体誰なんだ?! お前に恋人がいるなんて、聞いたことがなかったぞ。もし、ミジュさんとの婚約を破棄するための嘘なら、そんな卑怯な真似許さんぞ」

「嘘じゃありません」


 ミンホも真っ直ぐに父を見返して言う。


「父さんも、会ったことがある人です。一度……スヨンの誕生会で」


 ミンホの言葉に、父は頭の中でその記憶を素早く反芻する。

 だが、浮かんできた人物の姿は、ますます彼の脳内に混乱を与えた。


「スヨンの誕生会って……あの……だって、相手は男じゃないか!」


 思わずミンホの腕を掴んだ父に、ミンホは静かに言った。


「それには、事情があるんです。時期が来たら話しますが。性別なんて、どうだって良いですけど、父さんがそれで安心するなら……あの人は女性ですよ」


 父の手が一瞬緩んだ隙に、ミンホは掴まれた腕をほどき、父に背を向けた。


「おいっ! だからって、父さんは認めないぞ! あんな、どこの馬の骨とも分からない……」


 言いかけた父は、振り返ったミンホの鋭い視線に射抜かれて、思わず言葉に詰まった。


「今度、あの人を侮辱する言葉を吐いたら、いくら父さんでも許しませんよ。あの誕生会の時もそうだった――これ以上、僕から尊敬する父さんを、奪わないでくださいね」


 これまで、思春期は別にしても、反抗らしい反抗をしてこなかった期待の長男の冷たい言葉に、父は二の句が継げなくなってしまった。


 ミンホはそのまま黙って、父に背を向けた。




 帰国してから、一人で暮らすアパートを見つけるまでの間、実家に身を寄せていたミンホの自室のドアを、コンコンと遠慮がちにノックする音が聞こえた。


「……兄さん? 入ってもいい?」


 小さく聞こえてきたのは、妹のスヨンの声だった。


「ああ、どうぞ」


 答えると、静かにドアを開けて、スヨンが遠慮がちに入って来た。

 ベッドに腰掛けるミンホの前で、促された勉強机の椅子に腰を下ろす。

 スヨンが口を開く前に、ミンホの方からスヨンに切り出した。


「お前にも迷惑をかけたね。アメリカにいた時も――まだちゃんと言ってなかったから。すまなかった……ありがとう」


 突然のミンホの言葉に、スヨンは思わず対面した兄の目をマジマジと見つめた。

 そこには、彼が本来持っていた、力強い生気が宿っていて、スヨンは数年ぶりに自分が知る本当の兄と対面できたような気がして、思わず込み上げてくるものがあった。


「身体の方は、大丈夫なの?」

「見てのとおり」


 そう言って、ミンホは肩を竦めて見せる。本当に、もうすっかりかつての兄の姿を取り戻しているように見えた。


「……ミジュのことだけど」


 そんな兄の姿を確認したうえで、スヨンはようやくこの部屋に訪ねてきた本来の目的を口にした。 


「ああ」


 言いにくそうに口ごもる妹に、ミンホも視線を落とす。


「私は、驚かなかったよ。兄さんが、思い出しても思い出さなくても、ミジュとは上手くいかなかったと思う」


 思いがけないスヨンの言葉に、ミンホが思わず顔をあげる。


「誤解しないで。ミジュは友達だし、いい子よ。だけど、ずっと――私は、兄さんに“いいひと”がいるんじゃないかって、思ってた」


 驚いたようにスヨンを見つめるミンホに、スヨンは続けた。


「マンションに行った日のこと覚えてる?」


 それは、記憶を失くして以来、呆けたように日々を過ごすミンホのために、スヨンが車を走らせ、アパートで見つけた謎のマンションの仮契約書の住所まで連れて行ってくれた時のことだった。

 その辺りの記憶は曖昧だが、ミンホもそのこと自体は覚えていた。


「兄さん、あの時言ったのよ。“壁側って決めてたんだ――寝相が悪いの知ってたから”」


 スヨンの口から語られるそのセリフは、かつて確かに自分がナビと過ごした時間の中で、将来一緒に暮らすことを夢見て口にした言葉だった。


「私あの時思ったの。兄さんには、“いいひと”がいたんじゃないかって」


 そして、真っ直ぐにミンホを見つめて言った。


「“いいひと”がいたことには驚かなかったけど、相手には驚いたわ――まさか、ナビさんだったなんて」


 何と答えていいか分からず、言葉に詰まるミンホに向けてスヨンは微笑んだ。


「でもすごく納得したの。兄さんの、ナビさんを見る目が、とっても優しかったから」


 スヨンの言葉に、ミンホは思わず耳まで赤くなった。兄として、事情を知らない筈の妹にまでバレるくらい、無防備にナビへの好意を晒していたのかと思うと、急に居たたまれないくらい気恥ずかしくなった。


「……父さんは?」


 恥ずかしさを誤魔化すように、ミンホは咳払いしながら話題を変えた。


「大丈夫よ。母さんがなだめてるから」


 スヨンはいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。


「時間はかかるかもしれないけど、父さんもいつかは認めるしかないと思うよ。ミジュと比べたら、色々な意味で前途多難だけど――父さん以外の家族はみんな、応援してるから」


 キョトンとするミンホにスヨンは微笑んだ。


「一度会っただけだけど、私も母さんも、チヨンも、ナビさんが好きよ。母さんなんか、私にナビさんを薦めてたくらいなんたから」


 思い出して、スヨンはクスクスと笑い始めた。


「それに……兄さんの頑固さは伊達じゃないって、家族みんな知ってるもの」

「スヨン!」


 最後に妹らしい憎まれ口をきくのも忘れずに、スヨンは明るく笑いながら立ち上がった。


「今度、改めて紹介してね。兄さんが、そこまで好きになった人なんだから」

「ああ、もちろん」


 力強いミンホの言葉にスヨンは微笑むと、そのまま部屋を出て行った。



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