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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
番外編②【After the Rain】
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After the Rain-2-

「そういえば、僕のピアス、あなたが持っていてくれたんですか?」


 少し落ち着きを取り戻したミンホは、前から聞いてみたいと思っていたことを口に出した。

 今自分の右耳には、ナビの左耳を飾るドロップ型のピアスと同じものが揺れている。


「ああ、それはオンマが……」


 そう言って、ナビはあの日のことをミンホに語って聞かせた。

 意識のないミンホが運ばれて行くのを、路地裏に隠れて見送った後、側に寄り添っていた猫の『オンマ』が、プッと口から何かを吐き出した。


 濡れたアスファルトに転がった、キラキラと輝く雨の滴――


 二度と持ち主の元に帰ることは無いであろうそれは、ミンホが残していった想い出の形見のようで、どうしても捨てることができなかった。


「捨てられなくて、良かった」


 ミンホは自分の右耳に手をやり、長い指でその滴を弾く。


「言ったでしょう? これであなたは僕のものだし、僕はあなたのものだって。これは、その約束の証だから」


 仕事中は外していなければいけないけどね、とミンホは微笑み、付け加えた。


「それに、もしこれがなかったら、あなたのことを思い出せていなかったかもしれない」


 そう言って、ナビの左耳で揺れるピアスに手を伸ばす。


 そのまま頬を両手で包んで、ナビの顔を優しく上向かせると、ミンホはゆっくりと自分の顔を近付けていった。

 ナビがそっと目を閉じ、二人の唇が触れるまさにその瞬間、彼らのいるキャンピングカーの裏手から、ジャリッと砂を踏む音がした。

 どちらからともなく、慌てて身体を離す。


「あ、ごっめーん。タバコ吸ってただけなんだけど」


 キャンピングカーの影から、片手にタバコを挟んだまま、ボリボリと頭をかきながらオーサーが姿を現した。


「さて、お邪魔虫は消えますか」


 そう言って、雨の中に火の着いたタバコを投げ捨て、靴の底でもみ消した。


「あ、お構い無くぅ。もう消えるから、気にしないで続きどうぞぉ」


 人を食ったようないつもの軽薄な物言いに、ミンホが真っ赤になってワナワナと震えだす。


「あの……ミンホ……?」


 心配するナビをよそに、雨空の下に、ミンホの怒声が響き渡った。





 今夜も、ミンホの姿は『ペニー・レイン』のいつものカウンター席にあった。


 店の中はいつにも増してごった返しており、忙しく働くナビに声をかけることもはばかられた。

 だが、ミンホにとっては、そうして猫のようにクルクルとよく動くナビを、近くで眺めているだけで満足だった。


 先ほどナビが大急ぎで出してくれたグラスにつけた口元が、無意識に緩んでくるのを抑えられない。


「はい、お待たせっ! これは、オーナーからのサービス。雨の日はチヂミに限るよ」


 その時、完全にナビしか視界に入れていなかったミンホの横から、太い腕が伸びてきて、ドカンッと勢いよく湯気を立てたチヂミの入った皿が置かれた。

 驚いてミンホが皿が伸びてきた方を振り返ると、見慣れない大柄な女が、ミンホの横に立っていた。


「……あ、ありがとうございます」


 ミンホが慌てて頭を下げると、女は頭の先から爪の先まで、ニヤニヤしながらミンホを見つめた。


「ふーん、あんたが噂の“王子様”だね」


 ミンホにとっては初めて見る顔だったが、白いエプロンを着け、こうして料理を運んでいるところをみると、新しく雇った従業員なのかもしれない。

 でっぷりと太った体格のいい女は、丸い顔の鼻の頭に皺を寄せて、人懐っこい笑顔を見せた。


「私は、ジンソル。ナビにスカウトしてもらって、こうしてたまに店を手伝ってるのさ」


 ミンホの心を読んだかのように、女は自己紹介すると、肉付きのいい手を差し出して、戸惑うミンホと半ば強引に握手した。


「ナビヒョンと、お知り合いだったんですか?」

「“お知り合い”か」


 丁寧なミンホの言葉に、ジンソルと名乗った女はいたずらっぽく目を細めて付け足した。


「まあ、そうさね。“お知り合い”になってからは、家族同然の仲さ」


 自分がナビと出会った頃、家族同然だと言うこの女に会った記憶はないし、話を聞いたこともなかった。離れていた三年の間に出会ったのだろうか。


「知り合ったのは、塀の中さ。二年半、豆ごはんを一緒に食べた仲だよ」


 またしてもミンホの心を読んだように、ジンソルは豪快に笑いながら種明かしをしてくれた。


「暴力亭主を刺して、コレさ」


 そう言って、両手の手首をつけて差し出すジェスチャーをして見せる。

 返答に困るミンホにお構いなしに、彼女は自分の話の先を続けた。


「飲むと人が変わるやっかいな男でね。飲むたびに“他に男がいるんだろう”って、ありもしない理由で殴られて……それでも、娘のために我慢してたけど、あの夜は酷くてね……我慢できなくなって、プスッとね」


 努めて明るく語るジンソルだったが、その過去には、ナビの壮絶な生い立ちも重なって、ミンホは胸が痛んだ。

 自分は本当に恵まれた半生を生きてきたが、同じこの国には、ナビや目の前のこの女のように、辛く苦しい生活を余儀なくされている人間がまだ大勢いるのだという事実に、警官としての自分の無力さを思い知らされる。


 そんなミンホの視線に気づいてか、ジンソルはミンホから目を逸らし、遠くの方で忙しなく接客に追われているナビに視線を移した。


「初めてあの子にあった時には、驚いたよ。何かの間違いで、男の子が紛れ込んだのかと思ったくらいさ。周りもみんな、変な目で見てた」


 女は、刑務所の食堂で、初めてナビを見かけた日のことを思い出していた。

 癖のない短い黒髪と、白く丸い額。


 左耳にピアスひとつをつけた、幼い顔立ちの少年のようなナビを――



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