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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
番外編①【He`s Rain】
212/219

He`s Rain-3-


 気まずいまま別れた次の週末、ミンホはミジュの暮らす学生寮を訪ねて来た。

 ミンホから訪れてくれたのは、初めてのことだった。

 同じ韓国人のルームメイトは、ミンホの姿を見た途端、色めき立った。

 ハンサムだと聞いてはいたが、実際目にするミンホは想像を超えていて、驚いた様子だった。

 冷やかされては話も出来ないので、ミジュはミンホを学生寮の外へ誘った。


「……突然、ごめん」


 気まずそうにそう呟くミンホを振り返り、ミジュは微笑んだ。

 ミンホがここへ訪ねてきてくれた理由は分かっていたからだ。


「ねえ、オッパ……前から聞きたかったの」


 口に出したら、本当にそれを認めてしまいそうで、わずかな希望に縋りたかった自分の寄る辺を完全に失ってしまうのが怖くて、ミジュはこれまで敢えてミンホの気持ちを曖昧にしてきた。


「どうして、断らないの?」


 ミジュの言葉に、ミンホは一瞬目を大きく見開いた。

 だが、ミジュはミンホから目を逸らさずに、彼の言葉を待った。


「……断る理由が、ないから」

「正直ね」


 ミジュは思わず苦く笑う。


「私のこと、好きですか?」


 自分で自分の傷口を抉るようだと思いながらも、ミジュは今口にしなければ、きっと一生聞くことは出来ないだろうと思い、尋ねてみた。


「そう……なれると思うよ」

「正直すぎるよ、オッパ」


 苦し気にミンホの口から出てきた言葉に、ミジュは思わず笑ってしまう。

 優しい嘘すらつけない彼を、この先自分は、それでも愛してしまうのだろうか。


「……ごめん」


 視線を落とすミンホに、ミジュは言った。


「それなら、ねえ……今の私の好きなところ、教えてください」


 少し意地悪だと思ったが、聞いてみたいと思った。


「そしたら、許してあげます」


 そう言って、おどけたように首を傾げてミンホを見つめる。

 今はそれだけでも構わない

 そこに少しでも、将来への希望を見いだせるなら。






 ミンホとの会話を終えて部屋に戻ろうとした時、先ほど別れたミジュのルームメイトが、部屋から出てきたところに出くわした。

 牛乳パックと皿を抱えている彼女を不思議そうな顔で見ていたミンホに、ミジュが説明する。

 猫好きの彼女が、学生寮の裏を住処にしていた野良猫に餌をやっていること。

 つい最近、子猫たちが産まれて、彼女が世話をしていることを。


「見に行ってみる?」


 ミンホが興味を示したので、ミジュはルームメイトに断わって、彼女に同行させてもらうことにした。

 彼女の後について学生寮の裏にまわると、ルームメイトがこしらえた段ボールの住処の中に、母猫と生まれたばかりの小さな子猫たちが乳を飲む姿を見つけた。

 母猫の乳からあぶれた子猫のために、持ってきた牛乳パックから皿にミルクを注ぐ。


「おいで、ニャンコ」


 ルームメイトの言葉に、ミジュは笑って説明する。


「まだ、生まれたばかりだから、みんな名前がないの」

「……可愛いね」


 目を細めるミンホに、ミジュは言った。


「そうだ……オッパが、付けてくれる?」


 皿の側に座り込んでミルクをやっていたルームメイトも頷いて、ミンホを見上げる。

 ミンホは戸惑いながらも皿の横にしゃがみ、ミルクをむさぼり飲む子猫の顔を覗き込んだ。


 



 ガーデンパラソルの下で、ナビと対峙しながら、ミジュは不躾にならない程度に、ナビを観察した。

 気まずそうに俯くナビの黒髪が、サラリと風に揺れる。

 ミジュは、いつかのミンホとの会話を思い出していた。


(……今の私の好きなところ、教えてください)


 自分にしては、随分と大胆で思い切った問いを投げかけたものだが、半ば、自棄になっていたのかもしれない。

 申し訳なさそうに、それでも彼が答えてくれた言葉を、本当に愛されるまでの間の糧にしようと思っていた。


 癖のない髪――

 子どものような小さな手――

 クルクルとよく動く、黒目勝ちな瞳――


 その全部が、ナビのものだった。

 自分の中に、ナビに通じるものを無意識のうちに見出していたのだと、ミジュはナビに会って初めて理解した。

 もしかすると、ミジュとの婚約話を断らなかったのは、そんな理由もあるのかもしれない。


 ソウルに二人で帰って来たあの日、記憶を取り戻し、ナビを追いかけたミンホ。

 ミジュは、彼があんなにも強い衝動に突き動かされ、自分の意思をはっきりと貫く人だということさえ知らなかった。

 自分が見ていたカリフォルニアでの彼が、幻のような気さえした。

 遠くで、きつく抱き合う二人を見て、分かってしまった。


「……もう、行きますね。会えて良かった」


 ミジュはそう言って、ナビに微笑んで見せる。

 婚約を破棄することになり、父はカンカンだったが、そんなことは些細なことに思えた。あの父に、逆らうことなど考えたこともない自分だったのに。


 ミンホとナビに出会い、自分も変わったのかもしれない。

 

 ミジュになんと言葉をかけていいか分からず、オロオロしながら立ち上がるナビに、ミジュはもうひとつ、とっておきの秘密を教えてあげようと思った。


「知ってる? ナビさん」


 ナビはキョトンとした顔で、ミジュを見返す。


「オッパのつける猫の名前って、みんなナビっていうんですよ」



 ナビ1号、ナビ2号――



 あの日、学生寮の裏で生まれたばかりの子猫を優しい瞳で見つめていたミンホ。

 愛おしげに呟いた単純すぎる名前に当時は思わず笑ったが、今ならその意味が分かる。




 彼はいつも、雨の降らない土地で雨雲を探していた。

 やっと帰ってきた、恵みの雨が降る場所へ。

 枯れた土地に優しく染み込むように、彼の乾いた心を潤す雨――

 


 彼が探していた“雨”は、あなただったのね――












番外編①【He`s Rain】完



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