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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第1章【ペニー・レイン】
2/219

1-1



 降りだした雨が、開店の合図……










 薄いシャツの胸元を押さえて、先ほどから二度三度と深呼吸を繰り返す。

 狂ったように早鐘を打っていた鼓動は、先ほど腕の内側に落とした痛みのために、大分和らいでいた。

 それでも、一時は吐き気まで伴った程の緊張感が短時間で完全に去ってくれる訳もなく、少しでも気を逸らすため、視線を落とし、足元のアスファルトの目地に集中した。


「おいっ!」


 その時、アスファルトに反射していた、路地から漏れるネオンの明かりが突然陰ると同時に、粗野な声に背中を押され、少年は飛び上がった。


「何ビクついてんだよ。情けねぇな」


 少年が身を隠していた路地裏に、無理やりその大きな身体をねじ込むように入ってきた若い男は、バカにしたように鼻を鳴らしながら彼の肩を小突いた。

 ただでさえ狭いこの空間には、途中から割り込んできた男のお陰で、ますます暗くこもった空気が満ちた。


「ほら、これ」


 そう言うと、突きつけるように、少年の胸に千切られたノートの切れ端を押し付ける。


「“お前の番”だよ。嬉しいか?」

「……あ」


 渡された紙切れを開いた少年の手が俄かに震えだす。


「ジスクは?!」

「は?」


 叫ぶように尋ねた少年に、紙切れを渡した男は呆れ顔で振り返る。


「あの冴えないお前の女か? 知らねぇよ。どうせ、もうすぐ“そこ”で会えるだろ」

「お……お前は、おかしいと思わないのかっ?」


 震えながらも、少年は男の太くたくましい腕に縋りつき、食い下がる。


「何で、誰も帰って来ない! 今まで“あそこ”に行った奴ら誰も……」

「おい、いい加減にしろよっ!」


 男は苛立たしげに腕を振り上げ、それを掴んでいた少年ごと路地の壁に叩き付けた。

 息を詰まらせて崩れ落ちそうになる少年の髪を掴んで、後頭部を固い壁に押し付けて顎を上げさせる。


「誰も帰って来ない? それは、帰って来たくないからさ。お前の女も、夢中でシャブってるか、さもなきゃ今頃、ブツを金に換えて、新しい男と海外に高飛びでもしてるかもな」

「っな?!」

「どっちにしろ、俺の知ったことじゃない」


 その時、不意に男の厚い胸板を揺らして、胸ポケットに入れた携帯が震えだした。


「どうした?」


 少年の髪を掴んだ手は離さぬまま、顎と耳に挟んで携帯に応答する。


「何だって?!」


 漏れてくる受話器の向こうの声はよく聞き取れないが、酷く慌てている様子だけは少年にも伝わってきた。それを受けた男の方も、見る見る顔から血の気が失せてゆく。


「バカどもがっ! だから、あれほど待てって、俺が……ックソ!」


 男は吐き捨てると同時に、乱暴に少年の髪を掴んでいた手を離した。


「……どうしたの?」

「一斉摘発だよっ! 畜生っ。こんなに早く……ハメられた」


 男は悔しげに歯噛みして、手にしていた携帯を壁に叩きつけ頭を抱えた。

 戸惑うばかりの少年を残して、悪態をつきながらその大きな体躯を翻して男が路地へ出ようとしたその時、これまでの薄暗く淀んだ空気を一掃するような、強いサーチライトが、一直線に路地裏に入り込んできた。




***




「うわっ!!」


 床に折り重なって倒れうめき声をあげる若者の山に、巡回から戻ったばかり警官は、思わず驚きの声を上げた。拘置所内に入りきらないそれは、廊下にまで溢れかえっている。


「……なぁ……くれよ……頼むよ……」


 地獄の亡者のように長い髪を振り乱した若者の一人が、警官の足に縋り付いてきた。


「離せっ! ったく」


 足で踏みつけて署内の奥へと進む。


「ああ、お疲れ、ハ警査」


 同じように群がる若者を足蹴にしていた同僚の一人が振り返る。


「一体何なんだよ、これは?」


 同僚の元まで辿り着くのにも苦労しながら尋ねると、彼は拘置所の柵の向こうを顎でしゃくった。


「ソン先輩とチョルスのヤマだよ。ほら、何ヶ月も前から追ってただろ? 学生の間で出回ってたクスリの……」

「いい加減にしろっ! さっさと吐けっ!」


 その時、拘置所内に耳をつんざくような怒声が響き渡った。


「クスリはどこで手に入れた? どっから仕入れて、大学で流したのか聞いてるんだ」

「……へへ……エデン……フフフ」

「本当の天国に送ってやろうか?! ああっ?!」


 床に伸びた若者の襟首を掴んだ中年の警官は、乱暴にそれを揺さぶった。若者はされるがままに首をガクガクと前後に揺らし、気味の悪い笑い声をあげている。


「素直に吐いたほうが身のためだぞ。どうせ、就職は絶望的だ」


 もう一人の若い警官が、軟体動物のように揺れる若者の首を支えて、中年の警官と二人で挟むようにその若者に詰め寄る。




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