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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第7章【嵐の夜に】
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7-21

 左の耳たぶからは、ジンジンと熱を持った痛みとともに、首筋にかけてヌルリと血の滑る感触がした。それをミンホが熱い舌で舐めとってゆく。

 

 ミンホはナビを片手で抱いたまま、二人で無造作に脱ぎ散らかしたシャツに手を伸ばし、ポケットから小さな箱を取りだした。

 歯で包み紙を破りリボンを解くと、ミンホは小さな箱を開け、ナビの前に差し出した。


「今日から、これを着けて」


 そう言うミンホの手の中には、たった今、ナビの耳から外されたピアスに良く似た、だが、より優しく上品な輝きを放つ小さなドロップ型のピアスが収まっていた。

 ミンホは長い指で片方のピアスを丁寧に取りだすと、まだ血を流したままのナビの左耳の傷跡に埋め込んだ。


「……ンッ」


 微かな痛みに顔をしかめると、ミンホはそんなナビに口づけた。


「……あなたも、手を出して」


 ミンホはそう言うと、ナビの手を取り、そのまま自分の右耳へと導いた。

 ナビの小さな手の中に何かを握らせ、それごと包むように上から自分の手を重ねる。


「……ミンホ?」


 不安げな瞳を向けるナビに、ミンホは無言で目を閉じる。


「ミンホ!?」


 驚くナビが手を引っ込める前に、ミンホは両手でナビの手を掴み、そのままグッと力を入れた。


「……ッ」


 わずかに息を詰めたミンホの右耳から、先ほどナビの左耳を汚したのと同じように、ダラリと血が流れ、首筋を伝っていった。


「お前っ、何てこと……」


 血で滑る首筋に手を這わせ、ナビは泣きそうな声を上げた。


「それ、着けてください」


 痛みに顔をしかめながらも、ミンホは先ほどナビの耳に飾ったばかりのピアスの箱を顎で示す。


「あなたの手で、僕に刻んで」


 血で汚れた手でナビの手を取り、箱に残った片割れへと誘導する。


「バカなの?……お前は、何で……僕のために、そこまでするの?」


 ナビはしゃっくり上げながら、自分の左耳で揺れるピアスと同じものを、箱から静かに取り上げる。

 ミンホの手に導かれるまま、おずおずと刻んだばかりの右耳の傷に、そのピアスを通すと、そっと舌を這わせた。

 苦い鉄の味が口内に広がり、ナビの胸を苦しさで満たす。


「これで、あなたは僕のものだし、僕はあなたのものだよ」


 身体に傷をつけたミンホはどこか誇らしげで、両手で包みこむようにナビの頬に触れると、そのまま指を伸ばし、左耳の滴を弾いた。


「……ハヌル」


 その名を初めて呼んだミンホに、ナビは一瞬、驚いたように動きを止めた。


「あなたの、本当の名前」


 遠慮がちにそう呟くミンホに、ナビは自嘲気味な吐息を漏らす。


「知ってたんだ」


 ミンホは黒く濡れた目で、真っ直ぐにナビを見つめて言う。


ハヌル――きれいな名前だ。あなたに、似合ってる」


 大真面目に呟いた後、ミンホはほんの少し眉を下げて笑った。


「それに、ハヌルも、ナビも気まぐれだから」


 ポカッと小さな拳でお約束の一撃を食らわせた後で、ナビはそっと人差し指を立てて、ミンホの唇に押し当てた。


「僕は『ナビ』がいいよ。ジェビン兄貴ヒョンナビで、お前の子猫ナビ


 恥ずかしいこと言わせるなよ、と膨れっ面をしてみせるナビが可愛くて、ミンホは再びナビを押し倒し、二人でシーツの海に堕ちていく。

 外では深夜の時間帯になって本格的に上陸した台風がもたらす強い風が、古いモーテル全体をガタガタと軋ませ、叩きつける雨が滝のように窓を濡らしていた。


 そんな嵐の中で決して離れぬように、二人は何度も何度も身体を重ねあった。






 東の空が白み始める前に、ナビはそっと目を覚ました。

 相変わらず風は強く、遠くで雷鳴も聞こえる。


 ミンホの長い両腕が何も身に着けていない自分の胸の上でしっかりと絡まり、まるでナビを逃がすまいとしているかのようだった。

 ナビは少し苦笑して、ミンホの腕を持ち上げると、寝返りをうって眠るミンホの顔を覗き込む。


 知り合ってから、何度となく目にしてきた彼の寝顔。

 長い睫毛に綺麗な鼻筋、眠ると少し口角が下がって、不満げな顔になる。

 それを知った時、やはり年下の彼を“かわいい”と思ったものだった。


 乾燥した唇を指でなぞると、少しささくれ立ってザラザラしていた。

 ナビはそんなミンホの唇に、自分からそっとキスをした。


 ミンホの右耳、自分の左耳に揺れる揃いのピアスに手を触れる。


 途端に、昨晩激しく求めあったあの時の光景が蘇り、ナビの心臓がドクンッと音を立てた。腰のあたりには鈍い重さが残っており、気だるい情事の余韻にナビは一人で赤面してしまう。


「……ありがとう、ミンホ」


 濡れたまま寝たせいで、少し寝癖のついたミンホの髪を掻き上げてやる。


「こんな僕を、好きになってくれて」


 言いながら、またナビの瞳には涙が溢れてくる。


「……口の悪い、王子様。僕もお前が、大好きだったよ」


 もう、行かなければならない。

 ドンファと約束した夜明けが迫っていた。

 自分は行かなければならない。


 サンウが“ハヌル”を待っている、あの場所へ――

 

 ナビはミンホを起こさぬように静かに身体を起こし、ベッドを下りる。

 ベッドの片隅に丸めて脱ぎ捨てられていたシャツを引っかけて、ナビはもう一度ミンホを振り返り、その額にキスを落とすと、一人モーテルの部屋を後にした。



 パタンッ――



 小さくドアが閉まる音がして暫くの後、ミンホは静かに目を開けた。


 ナビを抱きしめていた時も、握りしめたままだった拳をゆっくりと開いていく。

 中からは、ナビのシャツのポケットから密かに抜き取っていた、小さなメモの切れ端が出て来た。


 ソウルの外れの住所――。


 メモが示すその場所を、ミンホは目に焼き付けた。





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