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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第7章【嵐の夜に】
182/219

7-7

(……いつ、雨が降りだすか分からないでしょ?)


 もう、会えないと思っていた。

 漢南大橋(ハンナムテギョ)で起きたトラックの衝突事故のお陰で、出来すぎた嘘のような偶然の再会を果たした時も、つまらない意地がぶつかりあって連絡先も交換できなかった。

 あの後、死ぬほど後悔したのに、結局自分に出来ることと言ったら、似合いもしない市立図書館に通い、ミンホが好きだと言った詩を探すことだけだった。

 あの詩が見つかれば、またミンホに会えるかもしれない。

 ミンホの「好き」なものの側にいれば、引き寄せられるように会えるかもしれない。そんな小さな願いを込めて、店の仕込みの合間を抜けて図書館へ通った。

 だけど、そこでいざ本当にミンホの姿を見つけたら、息が出来ないくらい驚いた。


「……いつ、雨が降りだすか分からないでしょ?」


 そして、ミンホも自分と同じ思いだと知った時、少しずつナビの中でミンホに対する気持ちが変わり始めていた。


「そんなに気になってたなら、連絡先でも聞けば良かったでしょ?」

「兄貴の方から聞けるかよ」

「ねぇ……だったら今、連絡先教えてくれませんか?」

「何で?」

「……本、返してもらわなきゃいけないでしょ。それに……まだ沢山あるんです。ヒューズの詩集」


 らしくなく頬を染めるミンホにつられて赤くなりながら、ナビは慌てて自分のカバンを漁った。

 取り出した布製のペンケースは、ミンホが明慶大学の購買で買ってくれたものだった。

 ジッと音を立ててナビが開けたその中身を見て、ミンホは眉を潜めた。


「これ、あなたが?」


 ミンホは大きな手で、人差し指よりも背が低くなってしまったエンピツの一本をつまみ出して、まじまじと見つめる。


「下手クソですね」

「笑うなっ!」


 思わずプッと吹き出したミンホの胸を叩いて、ナビは不貞腐れる。


「手の怪我も、ひょっとして?」


 笑うのを止めない生意気な弟を再度小突いてやろうと伸ばした手を逆に捕まえられて、絆創膏だらけの小さな手をミンホの目の前にかざされてしまった。


「……うぅっ」


 もうぐうの音も出ないと言った様子で、ナビは悔しげに唇を噛み締める。


「バカですねぇ」


 ミンホは傷だらけのナビの手を愛おしそうに眺め終わると、静かにテーブルの上に下ろしてやった。


「必要な時は呼んでください。僕が、削ってあげますから」


 机を挟んで見るミンホの目はどこまでも優しくて、反則だ――とナビは思う。

 いつも意地悪ばかり言うのに、こう言う時だけ飛び切りの優しい目をするなんて。

 反則だ――と。



「僕をね、すごく甘やかすヤツなんだ」


 どんどん小さくなるエンピツを、ナビは削り続ける。


「エンピツ削るためだけに呼び出しても、喜ぶようなヤツなの。バカでしょ? 僕は子どもじゃないのにさ」


 そう言いながら、ナイフを持つナビの手は震えていた。

 ドンファは黙って、今は穏やかな寝息を立てるサンウの横に腰を下ろすと、そっとナビから目を逸らした。


「何も言えないな。もっと、バカなヤツを知ってるから」


 そう言うと、眠るサンウの肩の上に、落ちかけたタオルケットを掛け直してやった。

 二人の間に後の会話はなく、代わりにナビの手元から発せられる小さく木を削る音だけが、いつまでも静かな空間に響いていた。



 黒いセダンの中で、黙ったままハンドルを握り締めるチョルスの横で、オーサーは滝のような雨を払うためにフル稼働しているワイパーの動きを、目で追いながら尋ねた。


「聞きたいことって、何?」


 左右に忙しく動かした視線のついでに、チョルスを横目で見やる。


「あんたが俺を選んでデートに誘うなんて、何か理由があるんでしょ?」


 チラリと振り返ったチョルスの鋭い視線に、オーサーはグーの形にした両手を口元に持っていった。


「実は本命でした! なんてオチは止めてね。あんたはハンサムだと思うけど、俺の好みは、あくまでナビヤ……」

「ふざけるなっ!」


 悪ノリを一蹴され、オーサーは苦笑しながら「ぶりっ子ポーズ」を解除した。


「あーあ、怒られた」


 しょんぼりとうなだれる真似をしながらも、その口元は小憎らしい笑みを浮かべている。


「……9年前の明慶のことだ」


 堅い口調でようやく吐き出されたチョルスの言葉に、オーサーは「やっぱりね」と言うように笑みを深くした。

「隠匿に一枚噛んだって、言ってただろ?」

「ああ、そのこと」


 オーサーは素っ気なくそう答えると、今度はワイパーでも弾ききれずに、フロントガラスを縦に流れ落ちていく雨の跡を目で追い始めた。


「詳しく聞かせろっ! お前が大学を追われたのは、インターンの身で、黒い噂塗れだったからと聞いてる。韓国系アメリカ人二世で、この国に馴染めず、犯罪まがいなことにまで手を染めた……だけど、本当にそうなのか? 本当にそれだけか? 明慶の事件、お前はひょっとして、何か大事なことを知っているんじゃないのか?」

「何を知りたいの?」


 落ち着き無く動いていたオーサーの視線が、雨に煙るアスファルトの先を見据えてピタリと止まる。


「『何』を知りたくて、あんたは『誰』を信じるの?」

(……いい加減、現実を見るんだ。チャン・チョルス)


 病室で聞いたノ・ヒチョルの声が蘇る。

 目を逸らしたい現実が、すぐそこまで迫っていた。


「……俺は、ただ真実を知りたい」


 チョルスはハンドルに縋り付くように頭を垂れる。


「教えてくれ……頼む」


苦しげにそう呟くチョルスに、オーサーはフロントガラスの先を見据えたまま静かに頷いた。


「……分かった」




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