7-6
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店の外でタイヤが泥を抉る音に続けて、低く唸るようなエンジン音が止まった。
ジェビンとオーサーは自分たちが濡れるのも構わずに、弾かれたように外へ飛び出した。
「チョルスッ!!」
「ミンホッ!!」
車から降りてきた二人に駆け寄る。
傘を差し出す余裕もなく、ジェビンはジリジリしながら待っていた二人に詰め寄る。
「チョルス、ミンホ、ナビは……?!」
胸を掴むジュビンの手を掴み、自分も雨に打たれながら、チョルスは低い声で言った。
「ナビは、ソン先輩と一緒だ」
「ソン先輩って、お前の……」
「説明は後だ」
チョルスはジュビンの手を解き、運転席のドアを開けて車中へ頭を突っ込んだ。
ダッシュボードを開けて、中からソウル市内が詳細に描かれた地図を取り出す。
使い込まれたそれは、赤や青のペンで様々な書き込みがされていた。横目でそれを捕らえたオーサーには、過去の麻薬取引や殺人の舞台になった箇所の目印であることが分かった。
雨に打たれてせっかく書き込んだマークが滲まないように、チョルスは運転席にそれを広げ、自分は雨の降りしきる車外へ再び顔を出した。
「ソン先輩と一緒なら、捜し出すのは簡単じゃない。ここ20年ばかりの、ソウルで起きた犯罪を追ってきた人だ。犯人の身の隠し方を熟知してる。逆に言えば、身を隠すコツを知り抜いたプロだ」
チョルスは車の反対側で同じく雨に濡れそぼったミンホを見てから、まだ呆然としたまま立ち尽くしているジェビンとオーサーを振り返った。
「お前らの協力が必要だ。手分けしよう。ナビの行きそうなところ、ソン先輩が利用しそうなところ、それぞれシラミ潰しにしていくんだ」
状況の全ては飲み込めないまでも、ジェビンとオーサーはチョルスの言葉に決意したように頷いた。
「車もう一台必要だよね? 俺のが、店の裏に停めてあるから」
そう言って雨の中を走り出そうとしたオーサーを、チョルスが止めた。
「リー先生。お前は、俺と来い。聞きたいことがある」
振り返ったオーサーは、いつになく厳しい表情をしたチョルスの視線に戸惑う。
「……分かった。じゃあ、俺の車はお前らが使いなよ」
オーサーはポケットから車のキーを取り出すと、ミンホに向かって投げた。
弧を描いてミンホの手に治まったキーを見守ると、オーサーは先に運転席に滑り込んだチョルスの後を追って、助手席のドアを開けた。
「逐一連絡は入れること。いいな」
「はい、チョルスヒョン」
運転席の窓を開けて、チョルスはミンホに確認する。
「行くぞ!」
チョルスはアクセルを踏み込んで、泥を巻き上げながら慌しく出発する。
雨の中をあっという間に見えなくなったチョルスの黒いセダンを見送った後、ミンホがずぶ濡れのジェビンを振り返る。
「僕らも急ぎましょう」
その時、不意に『ペニー・レイン』の店内から、これまで大人しく人間たちの成り行きを見守っていた灰色猫のオンマが飛び出してきた。
「オンマ!」
ジェビンが慌てて駆け寄る。
「何だよ、お前。店に入ってろ。俺らもこれから、出かけて……」
抱き上げようとしたジェビンの手を前足で引っ掻いて、オンマはオーサーたちが消えた方角、雨の向こうへと猛スピードで駆けて行く。
「オンマッ!」
叫ぶジェビンの声を振り切って、オンマの痩せた背中はあっという間に見えなくなってしまった。
「ジェビンさん」
ミンホがジェビンの肩に手をかける。
「行きましょう」
ジェビンは諦めたように頷いて、二人は並んでオーサーの車が停めてある店の裏へと駆け出した。
*
カリッ……カリッ……
不規則な乾いた音が、暗い倉庫の中に響き渡る。
立てた膝を支えにして、ナビはお世辞にも器用とは言えない手つきで小さなナイフを動かしていた。
他に音のない静かな空間を乱暴に叩き起こすように、突然ガラガラとシャッターを開ける音が鳴り響いた。同時に、ほんの少し漏れて入り込んで来た外の明かりは、すぐに閉じられるシャッターの音と共に掻き消える。
一定のリズムをつけて杖がコンクリートの床を叩く音を追いかけるように、ズルッズルッと足を引きずる音が続く。
見上げたナビの視線の先には、大量の買い物袋を提げたドンファの姿があった。
「少しでも食っとけ」
ドンファは買い物袋の中から菓子パンを取り出すと、ナビの膝の間に投げた。
「……何してる?」
ドンファがナビの手元に目を留める。
鈍く光るナイフに、ドンファが眠るサンウの傍に身体をずらして、無意識に守ろうと身構えるのがナビには分かった。
ナビは肩をすくめて首を横に振ることで、サンウに危害を加える目的ではないことを、暗に示してやる。
「エンピツ、削ってただけ」
「エンピツ?」
まだ堅い声でドンファが問い返す。
なるほど、見れば確かにナビの手の中には、削られすぎてチビたエンピツたちが何本も握られていた。
「見れば分かる。俺が聞いてるのは……何で?」
「文字書く時は、エンピツって決めてるから」
不可解なままのドンファを置いて、ナビは再び危なっかしい手つきでエンピツを削り出す。
「僕ね、上手くなったの」
次第に尖り始めるエンピツの先に目を落としながら、ナビは微笑む。
「あの頃より、ずっと」
いつか自慢してやりたくて、生意気な弟の鼻を明かしてやりたくて、こっそり練習したのだ。
あの時から。