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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第6章【許されるなら】
169/219

6-16

 

「ふあぁぁぁぁ」


 大欠伸をしながら、バタンッと乱暴にロッカーを閉める。

 当直開けの重い身体を引きずって署内の廊下を歩けば、朝の登庁ラッシュで出勤して来た同僚たちとすれ違う。


「よぉ、チョルス! お疲れ」

「ああ、お前もお勤めご苦労さん」


 気の無い返事をしながら、チョルスは肩に担いだスーツを小脇に抱えなおすと、もう一つオマケの大欠伸をした。


「ふあぁぁぁ」

「ふあぁぁぁ」


 口を押さえることもなく、顎が外れるくらいの豪快な欠伸だったが、そんなチョルスに負けずとも劣らない大口が不意に目の前に現れて、チョルスは思わずパクンッと口を閉じた。

 目尻に浮かんだ涙が、ツーッと一筋チョルスの頬を伝う。


「あ……お前……ジノン?」


 同じように、パクンッと口を閉じて目尻に涙を浮かべている若い男もチョルスに気づき、気まずそうに笑った。


「何だ、お前も今帰りか?」

「俺は当直。お前も?」

「俺は……残業?」


 男は肩をすくめて見せる。細い顎に、不ぞろいのヒゲがポツポツ顔を出し始めている。


「残業って、お前今所属どこなんだ?」

「鑑識」


 へぇっとチョルスが大げさに声を上げる。


「それで、朝まで残業ってワケか。同期一のエリートも大変だな」


 ジノンは、チョルスの年上の同期だった。

 チョルスは高校を卒業して、ジノンは大学を卒業して、入庁時から階級が異なり年もジノンの方が4つも上だったが妙に馬が合い、有志で集まる同期会などで顔を合わせる度に互いの近況を報告し、酒を酌み交わす仲だった。


「調子はどうだ?」

「忙しいよ。内部にもコキ使われてるからな」

「無理しないで、少しは休めよ。お前は昔っから真面目でお人良しで、人に利用されるばっかりの馬鹿パボだったから」

馬鹿パボは余計だろ」


 年長者を敬うこともなくバカ呼ばわりするチョルスの粗雑な愛情表現に、ジノンは苦笑しながら答える。


「仕事は嫌いじゃないから。それに、ちょっと気になることもあるしな」

「気になること?」


 怪訝な顔で問い返すチョルスに、ジノンは顔を上げた。


「ブー。守秘義務がありますので、むやみにお答えできません」


 わざとふざけて固い口調で拒むジノンの脇腹を、チョルスは肘で小突きまわる。


「何だよ、もったいぶりやがって!」


 チョルスに突つかれて笑うジノンは無邪気で子どものようだったが、肘に当たる骨の感触ややつれた頬から、本当に仕事に忙殺されている様が見て取れた。


「それより、お前はどうなんだ? 当直明けだって言うのにスーツなんか来て、これからどこか行くのか?」


 女か?

 そう言って小指を立てて見せるジノンに、チョルスは笑って首を振る。


「女はまた今度。今日は、ソン先輩の見舞いに行こうと思ってな」


 ああ……と、ジノンは合点したように頷いた。


「酷い怪我したんだってな?」

「ああ。もう大分いいみたいだけどな。どうしても足に後遺症は残るらしい。でも、リハビリをきちんとすれば、復帰は出来るって医者も言ってる」


 熱く語るチョルスを見て、ジノンはからかうような笑みを向けた。


「お前は昔から、本当にソン先輩にベッタリだな」

「うるせ」


 チョルスは頭を掻きながら、まんざらでもない様子で笑った。





 ドンドンッと、激しくキャンピングカーを叩く音にジェビンがドアを開けると、開いた隙間から長い腕が伸びてきて、あっという間に部屋の中に身体を滑らせた。


「お前っ!? 何だよ、いきなり!」


 ジェビンは挨拶もなく、まるで強盗のようにズカズカと部屋に入ってきたミンホを慌てて追いかけた。

 咎めるように声を荒げ、肩を掴んだ瞬間、振り向いたミンホと目が合った。


「……ッ」


 ひるんだのはジェビンの方だった。

 張り詰めた空気を漂わせるミンホのただならぬ様子に、ジェビンは反射的に肩に置いた手を離した。


「ナビヒョンはどこですか?」


 有無を言わさぬ口調で迫るミンホに押されて、ジェビンはしどろもどろに答える。


「……奥の……ベッドで寝てるけど……」

「ヒョンを、お借りします」

「え? おいっ! 待てよ、お前っ!」


 静止するジェビンを振り切って、ミンホは真っ直ぐにナビが眠るベッドへと歩いていく。


「ナビは具合が悪いんだ。無理強いは止め……」


 ジェビンが止める前に、ミンホはナビの枕元に辿りついた。


「ヒョン」


 騒動に目を覚ましたナビが、寝ぼけ眼でミンホを見上げる。


「……ミン……ホ?」

「行きましょう、ヒョン」


 ミンホはナビの毛布を捲って、ナビを抱き起こした。


「え? 行くって、どこへ?」


 眠気の飛んだナビが、驚きに目を見開いた時には既に、ミンホの腕に抱き上げられた後だった。


「どういうつもりだ、ミンホッ!」


 二人の前に立ちはだかったジェビンに、ミンホは一歩も引かずに言い放った。


「どいてください。あなたと言えども、今の僕は何をするか分からないですよ」


 殺気さえ漂わせた目で、ミンホは告げる。

 ミンホはナビを強く抱えなおすと、そのまま動けずにいるジェビンの脇を通り抜けて、キャンピングカーを出て行く。


「ミンホ?! どうして、こんなっ……」

「暴れたら落ちますよ」


 気まずさに身じろぎをするナビを、ミンホは短い言葉で制する。

 仕方なく、ナビはミンホのシャツの腕をギュッと掴む。


「どこへ、連れてく気なの?」

「黙って」


 遮るように言われ、ナビは押し黙った。

 こんなにピリピリと張り詰めた様子のミンホを見るのは初めてだった。

 やがて止めてあった車の前までたどり着くと、ミンホは助手席にナビを押し込んでから、運転席に乗り込んだ。

 乱暴にドアを閉め、唸るようなエンジン音を上げて車を発進させる。


「……今夜は、帰しませんから」


 無言でハンドルを握っていたミンホが、前を向いたまま、宣言するようにそう呟く。

 至近距離でその低い声を聞いたナビの頬が、カッと赤く染まる。

 身体の芯が熱を持ったように熱い。

 盗み見るように見上げた横顔の美しさに、ナビは思わず息を止めた。


 

 無言で車を走らせる。

 綺麗な横顔――。

 僕の男……。





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