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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第6章【許されるなら】
155/219

6-2

「何があったの?」

「分からない……話は後だ。ナビを運ぶ。手伝ってくれ」


 ジェビンは端的にそう告げると、両腕にナビを抱えあげて立ち上がった。

 オーサーがすぐさまキャンピングカーのドアを開けに走る。


「身体が冷え切ってる。お湯を沸かしてくれ……あと、タオルも……」


 ジェビンがそうオーサーに指示を出していた時、不意に意識のないナビの口から、何かうわ言のような言葉が漏れた。


「……何? ナビ」


 ジェビンがその言葉を聞きとろうと、ナビの口元に耳を近づけた。


「……サン……ウ」


 漏れ出た言葉は、か細いながらも側にいたオーサーの耳にも届いた。

 オーサーとジェビンは顔を見合わせる。


「チッ」


 派手に舌打ちしたのは、ジェビンの方だった。


「……何で、今更そんな名前」


 思い切り顔をしかめるジェビンの横で、オーサーはこの店を始めたばかりの頃、出会ったばかりの幼いナビの姿を思い出していた。





「……どうだ?」

「若干栄養失調気味ではあるけど、いたって健康、問題無し。身体の方はね」


 枕を抱きしめてスースーと寝息を立てるナビの口を、無理やりこじ開けて突っ込んだスプーンで舌を押さえていたオーサーは、スプーンをそのまま引き抜くと、親指と人差し指を使って、ガマ口を閉じるようにナビのふっくらした唇を閉じた。

 ナビは、ウウともムムとも付かないような唸り声を上げて、眉を顰めながらしばらく口をムニャムニャと動かしていたが、やがて元通りの規則正しい寝息を立て始めた。


「発声器官がイカれてるわけじゃないから、声が出ないのはもっぱらコッチの問題だと思う」


 そう言って、オーサーは自分の胸を親指でトンッと叩いて見せた。


「お前、精神医学は専攻してないよな?」

「俺を誰だと思ってるの? 天才オーサー・リー先生よ。専門外でも、一通りの知識は入ってるよ」


 オーサーは心外だと言う様に胸を張って見せたが、すぐに表情を曇らせた。


「ダメ元でやってみる? 催眠療法」


 オーサーの言葉に、ジェビンはどう答えていいのか考えあぐねているようだった。


「あんまり、乗り気じゃなさそうだね」


 俺も同じ――そう言って、オーサーは溜息を吐くように笑った。


「他人の心を、無理やり覗き込んで暴き立てるような気がしちゃって、ね」


 ジェビンなら、分かるよね?――オーサーの目は無言でそう問いかけていた。


「……それでも、声が出るようになるかもしれないんだろ?」


 ジェビンは暗い表情のまま、オーサーから目を逸らし、眠るナビを見つめながら言った。


「こいつの、笑い声……聞きたいよ。あんなに可愛く笑うのに」


 ジェビンはナビのサラリとした黒髪をかきあげてやる。

 白く丸い額のすべらかな感触が、ジェビンの指先を通じて伝わってくる。


「……分かった」


 オーサーはそんなジェビンの様子を見て、静かに頷いた。


「やるだけ、やってみよう」


 ポンポンとジェビンの肩を叩き、オーサーは立ち上がった。


 

「ナビちゃーん、オーサー先生と、あーそーぼー」


 翌日、準備中の札を下げた店内に、いつものように何の前触れもなくオーサーが訪れた。

 ナビは隙あらばベタベタしたスキンシップを求めてくるオーサーを苦手にしていて、今日もつれなく、サッとジェビンの後ろに隠れてしまった。


「いやーん、ナビちゃんのイケズゥ」


 オーサーはクネクネしながら、相変わらずふざけた調子でカウンター越しにナビにちょっかいをかける。


「今日はナビちゃんと面白いゲームしたくて、準備して来たんだけどなぁ」


 オーサーが残念そうに呟くと、ナビは好奇心を隠せなかったらしく、ジェビンの背中から窺うようにオーサーの手元を覗き込んだ。


「ナビちゃんが遊んでくれないなら、帰ろっかなぁ」


 そう言って、オーサーは背を向ける振りをする。

“面白いゲーム”の言葉が気になって、思わずジェビンの背から顔を出したナビを見て、オーサーはニヤリと笑った。


「あれ? ナビちゃん、気になるぅ?」


 してやったりのオーサーの顔に、ナビは悔しげに眉根を寄せたが、その表情のままで、先ほどから何かを器用に操るオーサーの手元を覗き込んだ。

 オーサーが手にしているのは、糸に結ばれたコインだった。まるでハイパーヨーヨーのように、クルクルと自在に空中で円を描きながら、オーサーは飛びきりの笑顔でナビを誘う。


「可愛いナビヤ、これから先生のクイズに答えてくれない?」


 オーサーはコインを操る手とは逆の手で頬杖をつきながら、ナビに向かって片目を瞑る。


「正解したら、いいものあげる」


“いいもの”の一言に、一瞬、ナビの目が好奇心にキラリと光るのをオーサーは見逃さなかった。

 だが、いくらジェビンにベッタリで子どもっぽいとはいえ、ナビも十六歳にもなるのである。一人前だといういっぱしのプライドもあるし、日頃からオーサーにからかわれてばかりいる分、バカにするなという反発心もある。すぐになびいて堪るかというように、小鼻を膨らませて興味の無い振りをするナビに、オーサーは口元を押さえて笑いを噛み殺した。


「ゴメンゴメン、こんな子ども騙しな方法じゃ、ナビ様には通じないよね。やっぱり、ゲームは無しね」


 そう言うと、オーサーはあっさりと糸に吊るしたコインを回す手をとめ、それをポケットに仕舞おうとした。

 それを見たナビは、思わず身を乗り出してオーサーの手の行方を追っていた。これには、隣りにいたジェビンの方が、思わずブッと吹き出していた。


「そんなに気になるんなら、遊んでやれよ、ナビ。この哀れなヤブ医者は、お前が相手してくれるだけでいいんだと」


 そう言われるとオーサーは、ナビに向かってさわやかな笑顔で言い切った。


「そうだよ、俺、ナビちゃんも知っての通りの変態さんだから」


 そこまで言って、オーサーはハタと先ほどのジェビンの言葉を思い出し、横目で軽く彼を睨みつける。


「ちょっとぉ、さっきの発言、ヤブはないでしょ?! モグリだけど、腕は確かよぉ」

 

 そのクネクネとシナを作るような口調が可笑しくて、ナビもとうとうつられて笑いを漏らした。


「ああ、やっと笑ってくれた」


 オーサーが目を細める。


「じゃあ、ナビちゃん。始めようか」


 オーサーはそう言って、ナビをカウンターから誘い出すと、自分と向かい合うように目の前の椅子を引き寄せて、そこへナビに腰かけるよう促した。

 そこで、人差し指に巻きつけていた糸を解き、その先に下がったコインをナビの目の前に持ってくる。

 眉間に皺を寄せて寄り目になるナビに、オーサーは笑いながら「リラックス、リラックス」と何度も声をかけて肩を叩く。

 その隣りではいつのまにか笑顔を消したジェビンが、真剣な面持ちで二人の様子を見守っている。


「ナビ、コインを見て――何も考えないで。じっとコインの動きだけを目で追ってごらん」


 オーサーの声も、いつものふざけた調子ではなく、ナビを導く深いものに変わっていく。


「そう、そのまま。気持ち良く、ゆっくり目を閉じてごらん」


 オーサーの言葉に従って、徐々にナビの瞼が重くなってくる。ナビの青白い頬に、長い睫毛がつくる濃い色の影が落ち、やがてナビの瞼は静かに閉じられた。


「僕の声が聞こえる?」


 ナビはコクリと頷く。


「今から三つ数える間に、君は時間を遡るよ。君が自由におしゃべりが出来ていた時間に帰るんだ」


 ハナトゥルセッ――


 オーサーはそう数えて、静かに指を鳴らした。ナビの肩が、ピクリと震える。


「君は今、どこにいる?」


 オーサーの問いかけに、しばらくは何の反応を示さなかったナビだが、やがて徐々にその表情が険しくなると、顔から血の気が引いていき、それに伴い、華奢な肩が小刻みに震えだす。


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