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「追加、頼むよ」
ナビにそう話しかけているのは、テーブルの一番端の席にゆったりと陣取った、この集団のリーダーらしき男だった。周囲を取り巻き連中が囲んでいる。
「長ったらしいカクテルなんかじゃなくてさ、もっとキメられる、強い酒ないの?」
その男を見つめるナビの顔が、無表情のまま、みるみるうちに赤くなっていく。様子がおかしいので、ミンホは人ごみを掻き分けてナビの側まで寄ってみた。
すると、不自然に身を捩るナビの腰から尻にかけたラインを、男の手が執拗に這い回っていた。
「テキーラでいいですか?」
「何でもいいよ。兄ちゃんも、一緒にそこに座って飲めよ」
「仕事中ですから」
「構わねぇだろ、金は払ってやるんだから」
「……」
男の手がナビのベルトにかかった。
ミンホが思わず飛び出そうと身構えた時、パリンッとグラスの割れる乾いた音と、水が飛び散る音が聞こえた。
「うわっ! 何すんだ、この野郎!」
先ほどまでナビの尻を触っていた男が立ち上がり、大げさに声をあげた。テーブルに置いてあった飲み残しのグラスが床に落ちて割れ、そのグラスに残っていた酒が、見事に男の足元を濡らし、男が着込んでいたスーツの色を変色させていた。
「すみません、手が滑りました」
ナビは無表情のまま、そっけなくそう言って、男の足元にテーブルに置いてあったおしぼりを投げた。
「弁償してくれるんだろうな?」
男はナビに一歩グッと詰め寄ると、ナビの細い顎に手をかけて力を加えた。
「すぐ拭いたら、取れますよ」
ナビも負けずに睨み返す。それで刺激されたのか、男はますます声を荒げた。
「そんなモンで済まされると思ってんのか? 弁償って言ったら、やっぱりこれしかねぇだろ?」
そう言うと、ナビのシャツの胸元を乱暴に掴んだ。その拍子に弾け飛んだボタンが、床に転々と転がっていく。
ハラリとはだけた胸元に、無遠慮に侵入してくる手をナビが振り払う前に、横から伸びてきた腕が、男の手を強い力で取り押さえた。
「……っい?!」
「恥ずかしくないんですか?」
突然手首を押さえられ、そのまま背中側にねじ上げられる。
「僕は、見てましたよ。あなたがあんな破廉恥な真似をしなければ、そもそもこの人だって、グラスを引っくり返すことはなかった」
男の腕をガッチリと固めたまま、ミンホは厳しい口調で言った。
狭い店内で、客たちの注目も自然にこの騒動に集まる。
「っな?! 何が破廉恥だ! そいつの方から色目使ってきやがったんだ。俺は誘いに乗っただけだ」
「ウソつきは、モテないよー」
その時、店のドアが開いて、雨の音とともに、あの気障な帽子を被ったオーサーが現れた。
「先生っ!」
ナビが思わず声をあげると、オーサーはナビに向かってニッコリ微笑んだ。
「遅くなってゴメンね、ナビヤァ。ちょっと取り込んじゃってて」
そう言うと、オーサーはミンホに取り押さえられている男の元までゆっくりと歩いて行き、面白そうに男の顔を覗き込んだ。
「ナビが色目使ってきたって?」
「そ、そうだよっ!」
「うーん、有り得ないね」
「何だと?」
「猫は、そんなに気安い動物じゃないわよって言ってんの」
柔らかい口調で言いながら、男を見据えるオーサーの目は冷たく尖っていた。
「この色男の代表格、オーサー・リー先生だって誘われたことなんかないのに。ちなみに、おたく、鏡見たことある?」
「っな?!」
途端、男は顔を真っ赤にして、オーサーに向かって飛びかかって行こうと暴れ出した。それをミンホが更に強い力で抑えつける。
「兄貴っ!」
男の取り巻きたちも腰を浮かせて騒ぎ始める。
「失礼します、お客様」
その時、人垣の間を掻き分けて、この店のオーナー、ジェビンがスッと男の前に歩み出た。
「従業員が、大変失礼をいたしました」
男に向かって、深々と頭を下げる。
「本当にどうなってんだ、この店は!」
男はミンホに抑えられたまま、唾を飛ばして咆えた。
「躾がなってないんだよ! 客にこんな真似して、どう責任取ってくれるんだ」
すると、ジェビンは、ズボンのポケットから皺くちゃになった一万ウォン札を数枚取り出して、男のシャツの胸ポケットにグイッと突っ込んだ。
「これで、ご勘弁を」
そう言うと、ポケットの上から、紙幣で膨らんだ男の胸を軽く叩いた。
「それで、二度と来るな」
カッと男の頬が怒りに紅潮する。『兄貴』をバカにされた取り巻きたちも、一斉に席を立ち、ジェビンたちに襲い掛かってきた。
「やっと、俺の出番だぜ」
このタイミングを待っていたかのように、先ほどジェビンが出てきた人垣の間から、チョルスが勢いよく飛び出してきた。
そのままの勢いに乗って、長い足が宙を切り、ジェビンに向かってきた取り巻きの一人の喉元にヒットした。
「……ゥグッ」
声も出せないまま、後ろの集団をドミノ倒しのように巻き込んで、床に倒れこむ。
「加勢しろっ! ミンホッ!」
「はいっ!!」
チョルスが叫ぶやいなや、ミンホも男の腕を固めて両腕の自由が利かない状態で、次々に襲い掛かってくる男たちに強烈な蹴り、頭突きをお見舞いした。