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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第5章【遠い日の歌】
141/219

5-5

「……あ」


 呼び止めようとしたナビの肩を、ミンホが掴んだ。


「……本当に、ごめんなさい。ナビヒョン」

「ミンホ……僕、遠慮した方が……」


 不安な目で訴えるナビに、ミンホは縋るように肩を掴んだ手に力を入れた。


「お願い……嫌じゃなければ、一緒に来てください。二人きりにはなれなくなっちゃったけど、今日は大事なあなたとの記念日だから」


 その言葉に、つられてナビも赤くなる。


「……大げさだよ、バカ」

「お洒落、してきてくれたんでしょ?」


 ミンホは明慶大学のダンスパーティ以来になる、ナビのめかし込んだ姿(前回は“女装”で、今回はジャケット姿だが)に目を細めた。


「別に、お前のためじゃないよ」

「ふーん」

「着てく服がぁ、全部洗濯しちゃってなかったからぁ、仕方なくジェビニヒョンのを借りてぇ」


 照れ隠しのためにどんどん大きくなるナビの声を聞きながら、ミンホは手の甲で口を押さえてクスクスと笑う。


「可愛いよ、似合ってる」

「だからっ! 兄貴に向かって可愛いとか言うなっ!」


 ポカッと胸に当てられたナビの小さな拳を、ミンホは大きな手のひらで捕まえた。


「ミンホ? ナビさん? 早く行きましょ!」


 その時、前を歩いていたミンホの母が、なかなか追いついてこない二人を見かねて振り返った。

 ミンホは慌てて捕まえていたナビの拳を離し、二人はほぼ同時に、寄り添っていた身体を離した。


「……行きましょう」


 ミンホはそっとナビの背中に手を回し、ナビを促した。


「……うん」


 ナビも素直にそれに従い、二人はぎこちない距離を保ったまま歩き出した。



「あ! やっと来た。母さん、兄さん! 遅いわよ」


 百貨店が立ち並ぶ新開発区域にオープンしたばかりの高級イタリア料理店で、先に来ていたミンホの妹二人と父親が、ボーイに案内されフロアに入って来た三人を出迎えた。


「……そちらは?」


 黒々とした髪を油で撫で付けた、体格のいいミンホの父親が、ジロリとナビを一瞥して尋ねた。


「電話でお話したでしょう? ミンホのお友達で……」

「ユン・ナビです。初めまして」


 ナビは気後れしながらも、ミンホの父に向かって丁寧に頭を下げた。


「兄さんがお友達を連れてくるなんて初めてよ! どうぞ、ナビさん、座って座って」


 並んで座るミンホの妹二人の内、ナビに席を勧めた方が、上の妹スヨンだった。快活な印象で、ミンホによく似た大きな目と、くるくると変わる表情が魅力的な美少女だった。

 隣りに座る末の妹チヨンは、少し恥ずかしそうに姉に隠れてナビを見ていた。


「お誕生日、おめでとうございます」

「わぁ、ありがとうございますっ!」


 明るく屈託のないスヨンの雰囲気に、ほんの少し、ナビの緊張も解ける。

 スヨンの向かいにナビが座り、その隣りにミンホが、ミンホの母はナビを挟んで父の向かいに腰を下ろして、全員が席に着いた。


「気楽にしてね、ナビさん」


 ミンホの母はここでも気を使って、ナビの腿をポンと叩いた。ナビはそんな彼女の心遣いが温かく頭を下げると、促されるままグラスを取った。


「では改めて、スヨンの留学を祝って、カンパイ!」


 よくしゃべるミンホの母やスヨンとは違い、寡黙なミンホの父は、カンパイの音頭の時になってようやく口を開いた。

 低く響く厳かな声に、背筋が伸びるような気持ちになる。


「ナビさんは、ミンホとはどういったお友達なの?」


 カンパイを済ませたミンホの母は、隣りに座るナビに、興味深々といった様子で質問を開始した。


「警察大学校の同級生?」

「……いえ」


 口ごもるナビに代わって、ミンホが答える。


「僕がよく行くお店の店員さんです。そこで、親しくなりました」

「店?」


 その途端、ミンホの父親の黒々とした眉がピクッと動いた。


「どんな店だ?」


 暗に水商売を咎めるような響きがその一言には含まれている気がして、ナビは思わず縮こまる。


「料理店ですよ。ソウルでも評判の、知る人ぞ知る名店です。僕も職場の先輩に連れて行ってもらいました」


 ミンホがほんの少しムッとした表情で、父の問いに答える。


「まぁ、是非行ってみたいわ」


 ミンホの母はフォローするように明るい声で頷く。


「でも、余程気があったのね。そんな名店なら、お客さんだって大勢いて大変でしょうに。金曜日の夜のこんな忙しい時間帯に、ミンホに付き合ってくれるなんて」

「趣味が合ったんです」


 苛立ちを押さえながらボソッと呟くミンホに、ナビの向かいに座ったスヨンが言った。


「本でしょ? ナビさんもきっと本が好きなのね。兄さんは、片時も本を手放さないから」


 スヨンの言葉に曖昧に首を傾げるナビを、彼女は照れ隠しの仕草なのだと受け取った。


「警察大学校は特殊な世界だからね。ただでさえお堅い性格で、家族は心配していたのよ。違う世界のお友達ができて良かったわね、兄さん?」


「うるさいよ、スヨン」


 悪戯っぽく微笑むスヨンに、ミンホは厳しい目を向ける。


「兄さんは面白味には欠けるかもしれないけど、これからも仲良くしてあげてね、ナビさん」


 スヨンは懲りずに、ナビの顔を覗き込む。ナビは少し困ったような笑みを浮かべて頷いた。


「ナビさんは、大学はどちらなの?」


 ミンホの母が料理を口に運びながら、気楽な調子で尋ねる。

 ナビは両膝の上に置いた手でズボンの布をギュッと握って、俯いたまま小さな声で答えた。


「……行って、ないんです」


 その瞬間、その場の空気が明らかに凍りついた。


「そ……そうなの!」


 ミンホの母が慌てて明るい声を出す。


「偉いわ! 高校を出て、直ぐに働いたの?」

「ええ……まあ」


 そこで、見かねたミンホがナビと母の間に入った。


「今日はスヨンの誕生会でしょ? ナビヒョンばかり質問責めにしたりして、失礼だよ」

「そ、そうね。ごめんなさいね、ナビさん」


 ミンホの母も頷き、内心助かったと言うように、ナビから目を逸らし、再び料理に視線を戻した。


「ヒョンって、ナビさん、兄さんよりも年上なの?」


 スヨンが話題を変えるように尋ねる。


「……ええ、一つだけですけど」

「ええー?!」


 スヨンが隣りの妹のチヨンと顔を見合わせて、大げさに驚いた顔をして見せる。


「全然見えない! 可愛い!」

「チヨン、可愛いって失礼でしょ」


 そう末の妹をたしなめながらも、スヨンも同感だと言うように頷いてみせる。


「ナビさんは、お付き合いされている方はいるの?」


 ミンホの母の言葉に、ナビは手持ち無沙汰で弄っていたビールが注がれたコップを思わず倒しそうになり、ミンホに慌てて支えられた。


「……いえ、今は……」


 しどろもどろになりながらようやくそう答えたナビに、ミンホの母は手を叩いた。


「まあ! じゃあ、うちのスヨンなんかどうかしら?」

「止めなさい」


 その時、黙って女性陣の話を受け流していたミンホの父が、静かな声でそれを制止した。


「詰まらない冗談はいい加減にしなさい。ナビさんも困っているだろう」


 低く冷たく響く声は、それだけでナビを萎縮させるには充分だった。


「それにその髪の色、普通の勤め先でないことは、見れば分かるよ」


 ナビの明るい金色の髪を一瞥し、思わず漏れたミンホの父親の本音に、テーブルの空気が一気に凍りつく。


「父さんっ!」


 ミンホは尊敬していた父親の非礼な振る舞いに、思わずテーブルを叩いて抗議の声をあげた。

 そんなミンホの様子を察した母が、テーブルの下でギュッと、息子の太ももを掴む。


 楽しい筈の宴には、気まずい沈黙が降りてきた。





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