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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第5章【遠い日の歌】
139/219

5-3


おれは、ジプシーのところへ行った。

ジプシーはひとりぼっちで坐ってた。

おれは云った、教えてくれ、ジプシー、

何時おれの娘はかえってくるんか?


ジプシーは云った、銀貨だ、

銀貨をあたしの手におきな、

そうすりゃ未来をのぞいてみて

わかることはみんな教えたげよう。


おれは銀貨で彼女の掌に十字をかいて渡した。

すると嘘をつきだした。

ジプシーは云った、さあて、お聞き、旦那、

その娘はそのうちにもどってくるよ。


おお、何という嘘っぱち!


俺は待ちに待ってたんだ

だのにまだ帰ってきやがらねえ。

おれの娘に忘れちまわせる

何かが起ったにちがいねえ。


ああ! おれはいやだ、嘘をつくジプシーが

みんなから金をしこたまとるなんて、

きれいな話をしておいて

みんなから金をとるなんて――


でももしおれがジプシーだったら

おれも、あんたの金をとるだろな。


(引用:ラングストン・ヒューズ『ジプシーのバラッド』)


 

 フッ……

 軽く息を吐いて、寝そべった姿勢のまま、手にしていた本を開いたままの形で顔の上に乗せる。

 文庫サイズの本の重みさえ、酷く身体にこたえた。

 開いた本の下で、徐々に呼吸が乱れていく。


 ああ、まずい……


 そう思う頃には既に遅く、ジワリと嫌な脂汗が、鼻の頭に浮き始めていた。

 閉じた目の裏で、白い光がチカチカと輝きだす。

 遠ざかる意識の向こうで、不意にドアの開く音がした。


「バカヤロウッ!!」


 バンッと乱暴な音を立てて車に乗り込んできた男は、顔の上に乗せられていた文庫本を奪って後部座席に投げ捨てた。

 ダッシュボードからジェラルミンケースを取り出して、素早く蓋を開ける。

 中から出てきたのは、何本もの注射針と中に詰められた透明の液体だった。

 注射針の一本を取り出して、助手席で既に虫の息となっている男の細い枯れ木のような腕に、ゴムチューブを巻きつける。

 浮き出てきた静脈に狙いを定めて、針を落とす。

 男は息を詰めて、シリンダーの中の液体を寝ている男の血管の中に送り込んだ。

 全て注ぎ終わると、男はゴムチューブを外し、使用済みの注射針を専用の袋に入れてジェラルミンケースに戻した。

 寝ている男の顔に徐々に赤みが戻っていく。

 ジェラルミンケースを再びダッシュボードの中に仕舞い終えた男は、ようやくホッと息をついて、隣りの男を見つめる。

 ピクピクと瞼が震えて、男が目を開けた。


「……よぉ、助かったぜ」

「バカか、お前はっ!!」


 意識を取り戻した男に、掴みかかりたい衝動を辛うじて押さえ、男は運転席に深く背中を預けた。


「ヤバくなったら、何で自分でやらない。俺がもう少し戻ってくるのが遅かったら、今頃この世とオサラバしてるぞ」

「仕方ないだろ。俺、注射嫌いだし。自分でなんか、やれねぇよ」

「いい年こいて、ガキみたいなこと言ってるんじゃねぇよ」


 男は呆れかえって、後部座席へ目を移した。


「それに……俺が仕事してる間に、お前は優雅に読書か?」

「ああ、まあな」


 助手席で横たわる男は、再び目を閉じて薄く笑う。


「何読んでた?」

「……ラングストン・ヒューズ」

「は? 何だ、それは」


 助手席の男は、ワケが分からないという顔で男を見下ろす。目をつぶったままの男は、唇の笑みを深くして言った。


「詩人だとよ。ジャズの……」

「詩人? お前が詩なんて、気でも狂ったか?」

「それは、あいつに言ってくれよ」


 助手席の男は、身体を軋ませて運転席の男の方へ寝返りをうつと、子どものような得意げな顔をした。


「図書館の、あいつの貸し出し履歴盗んでやったんだ。あいつが、今何を好きなのか分からないから。昔は、水飴ユガに目がなかったけど……」

「何年前の話だよ?」


 子どもが好む菓子の名を口にする男に思わず苦笑しながら、運転席の男は足元に放り投げていた自分のバッグに手を伸ばした。


「それより、お前が本当に読みたがってたのは、これだろう?」


 男はバッグの中から、書類の束を取り出す。

 寝ている男にそれを手渡してやると、男は一番上の一枚を人差し指と親指で摘んで、日の光に透かしながら書かれている文字を読んだ。


「へぇ、お袋も親父も警察関係の公務員一家か。誰かさんを思い出させるじゃねぇか。どうりで、イケすかないワケだ」

「……これから、どうするつもりだ?」


 運転席の男が尋ねると、助手席の男は鼻を鳴らして笑った。


「さぁな……だが、俺がどうこうするまでもないかもしれないぜ」


 再び寝返りをうって、窓の外を見る。


「住む世界が違うって……嫌でも気付く時が来るだろ」


 運転席の男は何も答えず、黙って車のエンジンをかけた。





「早くしてくださいっ! もっと出るでしょっ、スピードッ!!」

「おっ前、ふざけるなよっ! 警察がスピード違反で捕まったらどうするよ」


 パトカーのハンドルを握るチョルスに、助手席に坐るミンホが食ってかかる。


「サイレン鳴らして、とっとと行ってください!」

「対向車線もこれだけ混んでる中で、そんなスタントみたいなマネ出来るかっ!」


 後部座席では、手錠をかけられたチンピラ風情の若者が二人乗っていたが、二人とも青ざめた顔をして前の警官のやりとりを眺めていた。

 ムチャクチャな走行をするパトカーに二人は既に血の気を失い、一人は完全に車酔いをして、何度となく込み上げてくる吐き気に耐えていた。

 ミンホは思うようにならない走行に舌打ちしながら、ラジオのチャンネルを回した。


『……今夜半にかけては、晴れ渡るでしょう……』


 途切れ途切れに聞こえてくるアナウンサーの声にミンホは頷くと、改めてチョルスを見た。


「僕、運転代わりましょうか?」

「断るっ! 今のお前に任せたら、命がいくつあっても足りねぇよ。俺はまだ死にたくない。お前らも、そう思うだろっ?」


 チョルスは後ろのチンピラ二人組に声をかける。

 二人は必死でコクコクと頷いていた。

 もはや、犯人と警察ではなく、完全にチョルスとチンピラ二人対ミンホの図式が出来上がっていた。


「あなたたちには分からないんですかっ?! 金曜の夜の約束に遅れることがどれほど酷い事態なのかっ!」

「生憎、俺らは金曜も土曜も日曜も関係なく、暇人なもんでっ!」


 チョルスの言葉に、チンピラ二人も大きく賛同の声をあげてチョルスを応援する。

 ミンホがバックミラー越しに後部座席に睨みを効かすと、二人はヒッと息を飲んで黙り込んだ。


「チョルスヒョンッ! 前空いてますよっ!」


 ミンホは厳しくチョルスに注意すると、腕時計を眺めながら唇を噛んだ。



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