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俺に背中を押されたと勘違いしたのか、奴らは異様なテンションで、獲物になるカワイコちゃんを狩りに出て行った。
一人残された俺は、西日の当たる喫煙ルームの壁にもたれて、欠伸をしながら新しい煙草に火をつけた。
しばらくしてから、バタバタと下品な足音を響かせて、奴らが帰ってきた。
「お姫様の、ご到着ー!」
頭の悪い煽り文句にキヒヒと笑い声が起きて、喫煙ルームのドアが乱暴に開かれた。
「見ろよ、オーサー! すげぇカワイコちゃんだろ?」
そう言って、背中を突き飛ばされ紫煙まみれの喫煙ルームの中によろける様に入ってきたのは、カワイコちゃんどころではない、凄みの利いた美人だった。
思わず、手にしていた煙草が指の間からポロリと落ちた。
首筋にかかる真っ黒な髪に白い肌。
そのコントラストが、人形めいた顔立ちを更に引き立てている。
わずかに赤みの差した唇が膝を擦りむいた苦痛に歪み、その美人が人形ではなく、確かに生きた人間であるのだということを教えてくれていた。
「……ッチ」
美しい顔立ちにおよそ似つかわしくない下品な舌打ちをして、その美人は俺をキッと睨みあげた。
灰色の瞳が、憎々しげな炎を宿して俺を捉える。
その時マヌケにも、俺は初めて、その美人が何ともそそられるボディラインを強調した娼婦特有のドレスではなく、俺らと同じ軍服――ただし、韓国軍の――を着ていることに気がついた。
「……男……だよね?」
俺は思わず、美人の背後でニヤニヤしながら控えていた米軍の奴らに尋ねた。
「他に、何に見える?」
だが答えは、そいつらからではなく、俺の足元から聞こえてきた。
「何なら、全部脱いで見せてやろうか? 変態野郎」
続けて紡がれる威勢のいい言葉は、まことに流暢な英語だった。
だがその英語が、美人の口をついて出たものだと分かるまでに尚、数秒の時間を要した。
「面白れぇ、脱いで見せてもらおうじゃねぇか。お姫様よぅ!」
俺が呆然としている間に、後ろの男たちが奇声を上げ始めた。檻の中に追い詰めた非力な獲物をいたぶりたくて堪らないという顔だった。
「……いいぜ。ただし、俺に勝てるなら」
ズボンについた埃を払いながら立ち上がると、その美人は男たちに背を向けたまま言った。
「俺は、そんなに安くないぜ」
美人のセリフに、男たちから笑いが起きる。だが、笑われているのはその美人ではなく、男たちの方だった。
俺だけに顔を向けているその美人の口元から、乾いた冷たい笑いが漏れた。
思わず背筋に悪寒が走るのを感じて、止めさせようと一歩踏み出したその時、その美人は素早く首元まで詰めた軍服の前を開くと、中からさっき見せた微笑以上に冷たく光るナイフを取り出した。
「止めろっ!!」
そう叫んだ時には、既に遅かった。
ナイフを構えた美人は、思い切り身を翻して男たちと対峙すると、たった一人で屈強な米兵の間に切り込んで行った。
「うわっ!」
大きな悲鳴が上がるのと同時に、細い血の糸が宙を舞い、ヤニだらけの喫煙ルームの床をビチャッと濡らした。
「ッヒッ!!」
息を飲むような情けない声を漏らして、集団の一番前にいた米兵が床に尻餅をついた。
軍服の肩口には切れ目が入り、そこから赤い血がドクドクと流れていた。
「……や……野郎っ!」
「もう止めろっ!」
仲間をやられた仕返しにその美人に飛び掛っていこうとする男を、俺は大声で制した。
「基地内でこんな騒ぎ起して、見つかったらただじゃ済まないぞ。早く出てけ」
「オーサー、てめぇ……」
「この間娼婦に怪我させたのを、揉み消してやったのは誰だ? 上官にチクって、本国へ強制送還になりたくなかったら、早く出てけっ!」
腕を切られた男に肩を貸しながら、奴らはまだ何か言いたそうにしていたが、奴らの数限りない悪事の全てを握っている俺を怒らせるのは得策ではないと判断して、悪態をつきたい口をめいいっぱい歪めて出て行くしかなかった。
生臭い血の匂いと、煙草の匂いで胸が悪くなるような澱んだ空気に満たされた狭い部屋の中で、ナイフ片手に振り返った美人は、俺に向かって先ほどのゾッとするような笑みを浮かべて言った。
「お前も、チャレンジしてみるか?」
美人のイチモツを拝みたい誘惑も確かに無いでは無かったが、俺は命の方が惜しかったので、激しく首を横に振って辞退した。
ユン・ジェビン――別名『Princese Of KATSUSA(KATUSAのお姫様)』。
それが、俺と奴との出会いだった。
俺はナイフを持った姫の機嫌を損ねないように、仲間の(本当は、仲間などでないのだが)非礼を丁重に韓国語で、それも、きちんとした敬語で詫びた。
美人は虚を突かれたのか、少し驚いたように目を見開いた。
「お前、韓国人なのか?」
「そう。両親ともにね。俺は在米コリアン2世。イ・ジミンて言う、イカさない韓国名も持ってるけど、オーサー・リーが本名」
値踏みするように、美人の視線が俺の足の先から頭の天辺まで、無遠慮に這い回る。不躾な行為の筈なのに、それがちっとも不快ではないのだから、嫌になってしまう。
お姫様の灰色の目は不思議な色合いで、東洋人にしては白すぎる肌の色と相まって、韓国軍の軍服を着ているのに違和感を覚えるほどだった。
「……君は混血?」
その途端、お姫様はプイッと横を向いてしまった。どうやら、失言だったらしい。
「失礼だったら、謝るよ。ごめん――。でも君を見て、弟を思い出したんだ。君と同じ、灰色の目をしてる。母さんが米兵との間に産んだ、混血なんだ。まだ、4歳だけど」
美人が再び、俺に顔を向ける。
どうやら、この話題は興味を引いたらしい。
俺はチャンスとばかりに、持ち前の好奇心の赴くまま、その日からうんざりするくらい、ジェビン姫に付きまとった。