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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第4章【路地裏の猫】
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4-35


 韓国で学生寮に入りながら医学部生活を始めた俺は、『脱出計画』成功後の、まさに燃え尽き症候群だった。

 DNAの出所は、間違いなく母国であるはずの韓国にさえ、馴染めない。

 アメリカでも孤独だったが、まだ家族がいた。

 その家族も捨ててきた今、俺は正真正銘の孤独に陥っていた。

 ジプシーの気持ちが、痛いほど分かるような気がした。

 だから俺は、得意の方法で孤独や寂しさを誤魔化した。

 アメリカ渡りの変なヤツ、いつもヘラヘラ笑って、ちょっと顔が可愛いのをいいことに、女にだらしなくて、集団に馴染まない。他学部の不良学生とツルんでるくせに、仲間に入るわけじゃない、サボりの常習犯、医学部仲間からは白い目で見られてる。だけど成績は常にトップクラス……

 アメリカで身につけた処世術は、あながち無駄でもなかった。

 俺はぬるま湯の中を漂うような、メリハリのない大学生活を続けていた。


 20歳を迎える頃、同級生たちが大韓民国男子の当然の義務として次々と大学を休学して兵役の義務に着きはじめた頃、俺にも選択の時が迫っていた。

 アメリカ国籍と韓国籍。

 どちらの国の人間として生きるか。

 DNAに刻まれた暗い影のようなイ・ジミンの名を取り戻し、韓国で兵役に着くか。これまで通り、気ままな根無し草のオーサー・リーとして生きるか。

 迷った末、俺は米国籍を選んだ。

 兵役に着くのを拒むためじゃない。

 それどころか俺は、大学を休学してアメリカに舞い戻り、自ら米軍に志願した。


 一年以上もの間、連絡一つ寄越さなかった不肖の息子の突然の帰還に喜んだ母は、俺が米軍入隊を決めてきたことを知るや否や、烈火のごとく怒り出した。

 万が一中東の方へでもやられれば、廃人同然になって帰還することだって珍しくない。それこそ、命があるだけマシだったというような、非現実の世界。

 母にしてみれば奇跡のような医学部合格を果たした息子が、なぜわざわざ生き急ぐような真似をするのか、理解できなかったのだろう。

 失恋でもしたのか?

 真面目にそう問われた時は、悪いと思いながらもつい吹き出してしまった。


 俺が米軍に志願した理由はただ一つ。


 あやふやな自分のアイデンティティの所在を確認したかったからだ。

 あまり知られていないが、その昔、第二次世界大戦中のアメリカで、日系アメリカ人のみで編成された、第442連隊戦闘団は、ヨーロッパ戦線に投入され、9,000人を超える死傷者を出しながら、枢軸国相手に勇戦敢闘した。

 彼らはアメリカ合衆国の歴史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊でもある。

 彼らの編成のいきさつは、当時の日本が第二次世界大戦の戦争目的として白人社会からの脱却を謡い、真珠湾攻撃をきっかけに開始されたアメリカの日系人に対する強制収容を、白人の横暴の事例であると宣伝していたため、それに反芻する手段として、日系人のみによる連隊を組織したのである。

 歴史の波に翻弄されながらも、自ら志願してアメリカのために死闘を繰り広げた彼らの胸の内と、自分の卑小なアイデンティティへの戸惑いを並べる気など更々ないが、自分の居場所の証明、自分の存在意義を、あの頃の俺はどうにかして掴み取りたいと、若造なりに必死だった。


 アメリカ陸軍に入隊した俺は、訓練期間を経て、皮肉にも第二の故郷である韓国へ再び舞い戻ることになる。

 在韓米軍基地へ配属された俺は、そこで、在韓米軍に配属される韓国軍である「KATUSA(Korean Augmentation to the United States Army)」の若い連中と、日々を過ごすことになる。

 そのKATSUSAの連中の中で、一際目立つ奴がいた。


 それが、ユン・ジェビン――。


 奴に初めて会った日のことは、今でもよく覚えている。

 在韓米軍の兵士と、KATSUSAの連中は、事あるごとに対立を繰り返していた。

 米軍の連中は、もちろん俺のような大学出もいるにはいたが、脳みそまで筋肉のような、無学で金に困って入隊したような奴らが大半だった。一方、KATSUSAと言えば、大学在学中のエリートばかり。プライドの塊のような彼らが、見るからに下品で粗野な米兵たちに、支配国家だと言わんばかりに毎日偉そうな顔をされては、面白くないのは当たり前だった。

 米兵はいつでも彼らにケンカをふかっけられるネタを捜していたし、KATSUSAの奴らはそんな米兵を、心の底から軽蔑していた。


 その日も、一日の訓練が終わり兵舎に帰って来た後、夕食までのひと時を、俺は米兵の中でも一際品性の欠けてる連中とつるんで、相変わらずヘラヘラしながら、喫煙ルームで一緒になって煙草をふかしていた。

 世界のことなんて、爪の先ほども知らないくせに、いっちょ前に世の中に不満を垂れてみせる奴らの浅すぎる持論を内心では鼻で笑いながら、調子のいい相槌を打って、狭い喫煙ルームを紫煙で満たしていた。

 その内、韓国軍がいかに無能かについて熱く弁舌をふるうことにも飽きてきたヤツらは、もっと面白いイベントを思いついた。


 見渡してみれば、この狭い喫煙ルームに集まったのはむさ苦しい男ばかり。

 そんな中に、花が一輪添えられたら、それだけで刺激的じゃないか?

 サル並みの知性しか持ち合わせていない、無駄に若い肉体を持て余し、禁欲生活を強いられている男どもの考えることなんて、所詮その程度だ。

 奴らの数々の悪事の尻拭いに、ちょいとオツムを捻ってやったことが何度かあった俺を、奴らは便利に思ったのか、別にグループのリーダーというわけでもないのに、何か悪さを始めようする時は、必ず俺に耳打ちしてから事を起こすようになっていた。。

 その時も俺は許可を求められ「面白そうだから、いいんじゃない?」と適当に頷いた。


 街に出かけて、適当な娼婦でも連れ込んでくる――俺はその程度に考えていた。



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