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熱いシャワーの合間に恐る恐る目を開ければ、排水溝に向かって細く長く赤い糸が、自身の足首を伝って流れていくのが見える。
息を詰めて震えだすナビの濡れた髪に、オーサーがそっと手を触れる。
「……もしかして、初めて?」
コクコクと、力なく頷くことしか出来ない。
「心配することないよ。“女の子”の成長の証だから。誰にでもある、普通のことだよ。シャワーから上がったら、鎮痛剤をあげる。あとは、足腰を冷やさないようにして……」
言いかけたオーサーの太腿に、不意に伸びてきたナビの小さな小さな手が触れる。
「ん?」
煙の向こうから伸びてきたそれに、縋るような力がこもる。
「何?」
震えながら静かに這い上がってくるナビの小さな手の意味をようやく理解して、オーサーは思わず押し黙った。
ナビの手は震えながらも、オーサーのジーンズの付け根にまで辿り着いた。
だがそれは、事実だけを見れば大胆な行動とは裏腹に、とても誘っている姿には見えず、むしろ必死に苦行に耐えているような有様だった。
「……おバカさんだね」
オーサーは短くそう呟くと、腿に載せられたナビの細い手首を掴んで戻した。
「オーサー・リー先生をナメてもらっちゃ困るよ。確かに俺は君みたいなかわいコちゃん大好きな変態
先生だけど、ニャンコちゃんの弱味につけ込んで、モノにしちゃうほど鬼畜じゃないよ」
煙の向こうのナビの横顔が、カッと赤く染まったのが分かる。恥じ入るように身を縮こまらせて更に震えるナビに、オーサーは気まずさを取り払ってやるように、ボトルから手のひらに移したシャンプーでガシガシと髪を洗ってやった。
『……何で、何も聞かないの?』
少々荒っぽいオーサーのシャンプーが終わり、流された泡が排水溝の中に消えていくと、ナビはオーサーの手を取り、手のひらの上で静かにそう尋ねた。
「君も、聞かないから」
ナビが振り返ると、風呂場のヘリに足を組んで座るオーサーが、苦く笑いながら片目を細めた。
「聞かないでしょ? ジェビンの、コレのこと」
そう言って、組んだ方の自分の左足を手のひらで軽く叩く。
「……一緒でしょ?」
オーサーは濡れたナビの髪に手を伸ばして、優しく撫でてやる。
「……話す必要なんかないよ。分かるから」
同質の痛み――
ああ、この男も知っている。
ジェビンと自分の間に共通する、あの種の傷みを。
雨の夜、大量のチャプチェを作り、壁の写真を爪が割れ血が滲むまで抉るジェビンと、足の間から血を流し、その事実に怯える幼い精神の持ち主でありながら、ジェビンに追い出されないため、オーサーに事実の口止めの依頼するための“術”を、既に“知っている”自分と。
オーサーの言葉に、ナビは風呂場のタイルの剥がれ落ちた床に手を着いて、肩を震わせた。
オーサーは蛇口を捻って、再び暖かいシャワーの雨をナビに浴びせてやった。
ナビが雨に隠れて泣きやすいように。
「子猫ちゃんは余計なことは考えずに、可愛くしてればいいんだよ。ドゥー ユー アンダースタンッ?」
努めて明るくそう言うと、オーサーはいい加減温まって湯気を上げ始めたナビの手を取って立ち上がらせ、あっという間に柔らかいタオルで身体をくるみ水分を拭き取ってやると、ジェビンに用意させたパジャマを着せ、手際よくボタンを閉めた。
そして、脱衣所の隅に放り出してあった自身の大きなボストンバックを手繰り寄せると、中をゴソゴソと漁り始めた。
「はい、これ。あ、変態っ!って顔して見ないように。これでも俺、お医者さんだからね。無資格の」
悪戯っぽく笑って、小さなナプキンを差し出す。
「使い方分かる?」
首を横に振るナビに、オーサーはパリッと封を破って、ナビに恥じ入る間も与えず、いつの間にかナプキンと一緒に取り出していた小さなショーツと合わせて、ナビの足を通し履かせ終えていた。
幼子の着替えのようで、ナビは恥ずかしさで居たたまれなくなったが、今日始めて会うこの男には、気づくと知らぬ間に身を任せてしまうような、不思議な包容力のようなものがあった。
「ジェビンがおかゆを作ってくれてるからね。ソレ食べて、薬を飲んだらさっさと寝ること。話はまた
明日ね」
オーサーの勢いに押されて頷いたナビの肩を抱いて、彼は脱衣所を出て、やきもきとリビングで待つジェビンの元へ向かう。
何かとナビの世話を焼きたがるジェビンを押しとどめて、オーサーはナビの隣りをキープすると、本当に食事から歯磨き、寝かしつけまで全てを独占し、最後、鎮痛剤の効果でナビがストンッと眠りに落ちるまで側を離れなかった。
これにはジェビンだけでなく、心配でウロウロしていた灰色猫のオンマも非難ごうごうといった様子で、恨めしげにオーサーをねめつけていた。
ナビを寝かせた部屋の電気を消し、パタンとその扉を閉めて出てきたオーサーに、ジェビンは待ってましたとばかりに詰め寄った。
「おいっ! お前、一体どういうつもりだよ。勝手に風呂まで入れて。ナビは俺の……」
「“ナビは、俺の……”何?」
オーサーにしては厳しく冷たい目で、オーサーを見下ろす。
普段へらへらしていて意識させないが、体つきはジェビンよりもオーサーの方が一回り大きい。
「“飼い猫”? “愛玩物”? それとも、お宅の守れなかった弟の“身代わり”?」
「お前っ……!」
思わず掴みかかったジェビンに一歩も怯まずに、オーサーは更に冷たい声で畳み掛ける。
「自分勝手な“家族ごっこ”にあのコを巻き込んで、罪滅ぼしをしてるつもりなら、考え直した方がいいよ。お宅は、あのコのこと、大事にしてるつもりになってるだけで、その実、何も見ちゃいない」
オーサーの意図していることが分からず、ジェビンは彼の胸倉を掴んだまま戸惑いの表情を浮かべる。
「どういうことだ?」
「……あのコは、女の子だよ」
オーサーの一言は、ジェビンに不意に後頭部を鈍器で殴られるような衝撃を与えた。