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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第4章【路地裏の猫】
114/219

4-22


「ちょっと、ジェビン」


 戸惑うオーサーを無視して、ジェビンはさっさとその少年の濡れそぼった身体を抱き上げ、自分の背に乗せた。


「その子……」

「生きてるよ、よく見ろ」


 ジェビンの言うとおり、微かにではあるが、ジェビンの背にグッタリもたれかかるその少年の細い肩は、浅い呼吸に上下していた。

 ジェビンは肩越しに少年の冷たい頬に自身の頬を当てる。乾いた涙の跡が、ザラリとした感触を伝えた。


「……ごめんな」


 知らず、そんな呟きが漏れていた。


「あーらら、随分可愛い子猫ちゃんだね」


 そんなジェビンの感傷など少しも気にかける様子もなく、皮肉たっぷりな視線を投げかけるオーサーを無視して、ジェビンは背中に少年を乗せたまま立ち上がった。


「詳しい事情は、帰ってから話すよ」

「当然だね。じゃなきゃ、親友だと思ってた男は、実は可愛い浮浪者をカドワカするような変態さんだったって、咽び泣きながら今すぐ交番に駆け込むよ」


 冗談とも本気ともつかないオーサーの言葉に、ジェビンは眉間に皺を寄せながらオーサーに視線を合わせる。


「ま、そんな可愛い子じゃ、お持ち帰りしたくなる気持ちも充分に分かるけどね」


 刺々しい視線をサラリとかわして、オーサーはジェビンの背中の少年の寝顔を首を傾げて観察する。


「そんなんじゃない。お前は男もオーケーかもしれないが、一緒にするなよ、節操無し」


 するとオーサーはぷぅっと頬を膨らませた。


「心外だなぁ。博愛主義者って言ってよ。可愛いモノは、みんな平等に愛でたいの!」

「ほざいてろ」


 ジェビンは吐き捨てるようにそう言うと、背に少年を背負ったまま歩き出した。その細く長い影の後を、オーサーを組んだ腕を頭の後ろに回しながら、悠々とした足取りで着いて行った。

 濡れたアスファルトを軽く爪で擦るような音を立てながら、灰色の猫もその後に続く。

 こうして、三人と一匹の不可思議な道行は、月明かりに照らされた薄汚れた路地裏を静かに後にした。



***



「動くなっ!」


 ギリッと音を立てるくらいパーカーの首元を肘で締め上げられ、一瞬で脳に血が行かなくなる感覚に襲われた。

 同時に、コメカミに強く押し当てられた金属の塊が、ゴリッと不穏な音を立てて冷たく食い込んでくる。

 ギュッと目を閉じたまま、抵抗の意思がないことを伝えるため、恐る恐る両手を挙げる自分の姿は、傍から見たら酷く滑稽だろう。

 だが、今パニックを起こしかけているナビの身体は、どんなに滑稽であろうとも、本能的に命を守るためのポーズを取らせていた。

 しかし、次の瞬間、コメカミに押し付けられていた圧力が不意に緩んだ。

 それと同時に、突拍子もない声が頭上から降って来る。


「ナビヒョン?!」


 それは、先ほど一瞬だけ頭の中で想像した、完全に腰が引けた状態で目を瞑り両手を挙げる自分の滑稽なポーズより、滑稽さという点においては上をいくやもしれない、この緊迫した現場で飛び道具を人のコメカミに押し付けている人間にはまるで似つかわしくない、裏返りそうな素っ頓狂な悲鳴であった。

 恐る恐る目を開けてみると、そこには思いもよらない人物――銃口を手のひらで押さえ、カタカタと震えるミンホの姿があった。


「何やってるんですかっ、あなたはっ!」


 あまりのことに身体の震えが止まらないらしいミンホは、見る見るうちに浮かび上がってきた青筋をピクピク言わせながら叫んだ。


「封鎖中だったでしょ? 一体どうやって入って……あなた、本当に猫ですか?!」


 それだけ言うと、急いで銃の安全装置を下ろし、あやうくナビの頭に向けて発砲するところだった黒いリボルバーを、腰に下げたホルダーに捻じ込んだ。


「あ……ジェビン兄貴ヒョンの服を買いに来て……」


 ギラギラと目を光らせ、いつもの小言では済まない本気の怒りを滲ませるミンホの迫力に気圧されながら、壁に追い詰められたままのナビはカラカラに乾いた唇を湿らせて、ようやく声を絞り出す。


「……そしたら、あのKATSUSAの犯人が……って、みんな騒ぐのが聞こえて……」

「それで、何で大人しく誘導に従って逃げないんです?」


 間近に迫るミンホの鬼気迫る表情に、ナビはそれ以上言葉が告げなくなってしまう。

 ジリッジリッと焦げ付きそうなほどの緊迫した視線がナビの黒目勝ちな瞳を捉えていたが、随分長く感じられる緊張状態の後、不意にその視線が緩んだ。


「あーもう……本当に、心臓止まるかと思った」


 ナビの両肩を掴んで、ミンホはガックリとうな垂れる。

 細く長い指が食い込む肩からは、未だ残る小刻みな震えが伝わってくる。


「……ごめん」


 ナビも小声で詫びることしか出来なかった。

 その時、ガクンッと二人を乗せた小さな箱が激しく揺れた。

 その衝撃で、バランスを崩したミンホの大きな身体が、壁にもたれたままのナビの元へ倒れこんで来た。


「う、うわっ!」


 衝撃で、強か壁に頭をぶつけながら、二人でもつれ合うようにして床に倒れこむ。同時に、箱内の明かりが消え、一瞬で視界が真っ暗になった。


「痛っ!」


 暗闇の中で、ミンホの身体がナビの上に覆いかぶさるような格好になり、ミンホと冷たい床に挟まれたナビは、その圧迫感に「ウグッ」と色気のない声をあげた。


「イタタ……大丈夫ですか? ナビヒョン?」


 すぐに身体を起こして、自分とナビの間にスペースを作ってやったミンホが、闇の中手探りでナビの頭に触れる。


「これ、どういうこと? 何で急に、真っ暗……」


 ワケの分からない危機的状況に、無意識にナビもミンホに手を伸ばしながら、上擦った声で尋ねる。


「主電源を切られたようですね」

「え? 何で?」


 ミンホの言葉が理解できず、ナビは不安気に尋ね返す。


「犯人をこのビルの中に閉じ込めるためです。僕らも、この箱の中に閉じ込められました」


 先ほどより、幾分落ち着きを取り戻したミンホの声が、淡々とその事実を告げる。

 一呼吸の後、パニックに陥るのはナビの方だった。




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