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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第4章【路地裏の猫】
112/219

4-20



***


 9年前――



 うつ伏せにベットに倒れこんで、枕とベッドの間に頭を捻じ込む。

 幼い頃からの癖で、自分でもどうしてそんな不自由な体制で寝てしまうのか分からない。

 母に「寝苦しくないのか?」と半場呆れられながら尋ねられても、無意識の癖なので治しようがなく、寝苦しかろうと何であろうと、大人になってどんなに泥酔して帰ろうとも、朝気がつくといつもその姿勢に戻っているのだ

 恐らく、音に敏感な自分の性質たちが、安眠を得るために枕で耳を覆い外界の音をシャットアウトしているのであろうと思う。

 その日もいつものように――まだ夜も明けきらぬ凍てつく冬の早朝に、非常識に携帯を鳴らすやからから自身の大切なまどろみを守るために、オーサーは枕とベッドの間に、自らの頭を突っ込んで寝ていた。


 除隊後大学に戻ってからは、オーサーも年若い青年の常として、多くの大学生がそうするように、娑婆の楽しみ――主に酒と女――を貪りたい気持ちはごく普通に持っていた。しかし悲しいかな、医学部生はそうもいかない。

 ある意味軍を除隊して別の軍に入るような、趣の異なる試練の日々が続くのである。だがその先に、韓国の“ブラックジャック”になる道が開けていると、オーサーは信じて疑わなかった。

 何だそれは? と無知な同級生に尋ねられれば、オーサーは日頃の勉学と同じくらいの熱心さで、日本の漫画のソレの布教に努めた。アメリカで家族と暮らしていた少年時代、隣りに住む日系の幼馴染の少年の家で運命の出会いをはたして以来、オーサーの夢は“ブラックジャックのような医者になること”一辺倒だった。

 まさかそれが“無免許”という特質性まで、似る羽目になろうとは、その頃は夢にも思っていなかったが。


 除隊後も、我ながらストイックに努力してきたと思う。

 アメリカ生まれのアメリカ育ちの自分は、例え両親が生粋の韓国人で、自らも韓国名を持っていようとも、アイデンティティは完全なる外国人だった。

 親元を離れ海を渡り、韓国の医学部へ進んでも、口にこそ出さないが自分が異分子であるような疎外感は常にオーサーに付きまとっていた。

 生来、根暗な性質でこそなかったが、彼の人を喰ったような話し方や、人生を達観しているような軽薄な口調は、少なくともこの時期に異文化の中に自らを溶け込ませるための、彼なりの処世術の表れでもあった。

 だが、そんな努力も、一年前に全てが頓挫した。

 表向きは“自主退学”であったが、実際は四方から道を塞がれ攻められた挙句に、追い出されたと言った方が正しかった。

 それまでストイックな生活を送ってきた人間が、急に自由の中に放り出されると陥りやすい状態に、オーサーも見事なまでに嵌まってた。

 することもなく、将来への展望もなく、日がな一日酒をくらい、暗い一人の部屋に帰宅して、泥のようにベッドに突っ伏して眠る――自堕落を絵に描いたような日々が続いた。


 幼い頃からの寝相の癖は、そんなオーサーを外界の哀しみから守ってくれる砦でもあった。

 枕のクッションを通して遠くの方から聞こえてくる電子音に、オーサーは夢の中で舌打ちしながら、早く鳴り止めと頭の中で祈り続ける。

 オーサーの祈りが届いたのか、しつこく鳴っていた携帯は、自動で留守番電話サービスに切り替わると、諦めたように切れた。

 オーサーは涎を垂らした口の端でほくそ笑むと、ムニャムニャと再び深くベッドと枕の間に沈んで行く。

 しかし、携帯電話は再び、酒で疲労したオーサーの脳天に突き刺さるような不快な音を立てて騒ぎ出した。


「……こんな時間に……何だっての」


 呻くように呟くと、電話は留守電への切り替わり時間いっぱいまで鳴って、また切れた。

 だがすぐに、三度目のコールを始める。

 根負けしたのは、オーサーの方だった。後ろ手に手を伸ばし、手探りで震え続ける携帯を掴む。

 携帯ともども枕の下に引っ張り込んで、柔らかい砦の中で、酒焼けでガラガラになった声を絞り出した。


「……もしもし(ヨボセヨ)?」

「子猫を探してくれ」


 受話機の向こうで、突然不機嫌極まりない低い声がそう告げた。


「……あ?」


 オーサーがそう答えるのも無理はなかった。名も名乗らず、非常識な時間帯を詫びることもなく、ただ呟かれたその一言は、タチの悪い悪戯電話だと思われても仕方のない内容だった。


「ちょっと……どういうつもりか知らないけどね……こっちは、悪戯電話に付き合ってやるほど暇じゃ……」

「大学も辞めてるのに、暇じゃないって?」


 その一言で、オーサーは頭の中にかかっていたアルコールと惰眠の靄が、一気に消し飛んだような気がした。


「……お前、誰だ?」

「たった二年で、もう俺の声を忘れたか?」


 電話の声はますます不機嫌な色を滲ませる。その氷の針のように刺々しくも、クールで甘い声の持ち主の姿が、急速にオーサーの脳内で一つの像を結びつつあった。


「……ジェビン?」


 枕の砦を取り払ってそう呟くと、受話機の向こうから呆れたような溜息がそうだと答えた。




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