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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第4章【路地裏の猫】
109/219

4-17

***


東大門トンデモンで目撃情報よ!」


 捜査課で、額を突き合わせる様に集まっていた男たちに向かってクムジャが発した言葉に、チョルスは真っ先に反応した。

 振り返ったチョルスに合わせて、捜査課の男たちの視線が一気にクムジャに集中する。


「これ、見て」


 事件発覚以来、市民やマスコミ対応で目まぐるしく働かされていたクムジャは、額に薄っすらと浮かんだ汗を書類を持った手で拭いながら、紙の束をチョルスに渡した。捜査課に寄せられたメールや、電話の通話記録をプリントアウトしたものだ。

 破るような勢いで紙の束を捲るチョルスの横に身体を寄せて、ミンホもそれを覗き込む。


「また、随分と大胆な真似を」


 舌打ちするチョルスの手の中には、防犯カメラが捉えた、外国人観光客にも人気の24時間営業のショッピングモールが並ぶことで有名な東大門トンデモンを、堂々と闊歩するリチャード・スミスによく似た白人男性の後ろ姿が映っていた。

 そこへ、まるでどこかで盗み見て計っていたかのようなタイミングで、捜査課にある電話のベルが一斉に鳴り出した。


「……はい、捜査課」

「いえ……はっきりとした状況が掴めるまで、お話できることは何も……」


 クムジャを筆頭にした若い婦警たちが、途端に対応に追われ始める。漏れ聞こえてくる会話から察するに、報道関係者からの問い合わせに違いない。


「いったいどこから、こんなに早く情報を仕入れてるんでしょう」


 呆れを通り越して妙な感心を示すミンホの足の甲を踏みつけてやりながら、チョルスは苦々しい口調で吐き捨てた。


「まったく、この国のマスコミは優秀すぎて嫌になるぜ」

「どうやら、マスコミだけじゃないみたいだぜ」


 別の捜査官が、ミンホとチョルスの間に割って入った。


「見ろよ」


 彼が顎をしゃくった先には、電話対応からようやく解放された婦警が立ち上げたばかりの、ノートパソコンのモニター画面があった。

 婦警が接続キーを押して何事が打ち込めば、そこには「つぶやき」と証した無責任な五千万人の傍観者たちの、真偽取り混ぜた、事件に関する憶測の嵐が吹き荒れていた。


東大門トンデモンで見たあの男は、間違いなくあのレイプ野郎だ』

『俺の妹が働いてる店に、あの米兵が来たらしい』

『いや、もうとっくに高飛びしてる』


 情報の洪水の中には、まれに真実が含まれている場合もあるのだろうが、その大半が誇大なデマである。不自然に煽られ歪められた情報は真実を覆い隠し、結果、捜査に多大な支障をもたらすこともある。それで捜査が難航すれば、民心は一気に警察批判へと傾く。自らが惑わせておきながら、それにまんまと惑わされたと更に批判するのだ。


「出所を全部記録しとけ。罪の無いデマのうちは目を瞑るが、そうそういつまでも甘い顔はしないぞ」


 婦警は厳しいチョルスの言葉にしっかりと頷くと、再びモニター画面に向き直った。


「ミンホ、俺らも行くぞ」

「え?」

「デマでもなんでも、今のところ唯一の手がかりだ。東大門トンデモンに向かう。近くの奴らにも召集がかかってる」

「はいっ!」


 チョルスの言葉に勢いこんで反応したミンホを従えて、二人は捜査課を後にした。





「そんな怖い顔して、見るだけ無駄だよ」


 先ほどから食い入るように、ジェビン所有の店で唯一のノートパソコンの画面を覗き込んでいるナビの肩に、オーサーは何の前触れもなくポンッと両手を置いた。

 ビクッと一瞬強く身体を震わせて驚いたナビは、恨めしげにオーサーを振り返る。


「だーかーらー、そんな顔しないの。せっかくの可愛い子ちゃんが台無しだよ」


 オーサーの両手はまだナビの肩の上に置かれたままだ。


「ほとんどが、面白半分に書き立ててるだけなんだから。台風の前に、まるで祭りの前みたいにはしゃぎたくなるのと一緒さ。自分とは関係ない、映画みたいな悲劇を、高見の見物したいだけなんだから」


 そう言って、オーサーはそのまま手を伸ばし、パソコンの電源を落とした。


「だから、もうおしまい」


そう言ってナビを背中越しに抱きしめがら、短く切りそろえた金色の髪を撫でてやる。


「……先生」

「ん?」


 オーサーの腕の中で身じろぎをしながら、ナビが振り返る。


「本当に、兄貴ヒョンが捜していたあの男じゃないの?」


 至近距離で対峙するオーサーの瞳は、相変わらず三日月型に細められていて、その奥にある真実を上手く隠しているように見える。


「違うよ。言ったよね? 有り得ないって」

「でも、兄貴ヒョンは……兄貴ヒョンの“ナビ”は……」


 言い募ろうとするナビの肩を制して、オーサーは諭すような口調で言った。


「あの男はね、ジェビンにしか興味がなかったんだ。ジェビンを苦しめて追い詰めて自分だけを見るように仕向けた。ジェビンの家族さえも、そのために利用したにすぎない。ジェビンと関係ない他人を襲うような奴じゃない」


 嫌に確信的なオーサーの口調に、ナビの黒目勝ちな瞳が不安に揺れる。


「……先生は、あの男を知ってるの?」

「さあ、どうかな」


 オーサーは肩を竦めて苦笑する。


「少なくとも、ジェビンより長くあの男を見てきたことは確かだけど、奴をどれだけ知ってたかと言われると、自信がないね」


 キャンピングカーの隅にしつらえられた簡易ベッドに横たわるジェビンは、薬のお陰か深い寝息を立てている。

 そっと側まで歩いていったナビは、濡れたジェビンの額に手を当てる。


「すごい汗……」


 プラチナブロンドの髪が、汗で白い額に張り付いている。


「着替えさせなきゃ、風邪ひいちゃう」


 そう言ってキャンピングカーの中を見渡すが、ここのところ雨続きだったせいで、所狭しと生乾きの洗濯物が部屋中に垂れ下がっている。

 ナビは湿り気を帯びたそれらに触れて溜息をついた。


「僕、兄貴ヒョンの着替え買ってくる」

「こんな時間に?」


 腕時計に目を落としたオーサーが驚て尋ねる。


東大門トンデモンなら、開いてる店たくさんあるから」

「まあ、確かに。一緒に行こうか?」

「ダメ。先生は、兄貴ヒョンを見てて」


 ジーンズの後ろポケットに財布を捻じ込んで、ナビはそそくさと出かける準備を始める。


「オーケー。気をつけて」

「先生も。兄貴ヒョンを頼むね」


 まかせて――そう言う代わりに、オーサーは二本に指を上げてナビに向かって軽く振ってやった。それを見届けてから、ナビは未だ小雨が止まない夜の車外へと出て行った。




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