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ハルラン~雨を呼ぶ猫の歌~  作者: 春日彩良
第4章【路地裏の猫】
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4-8



***



 行き交う通行客は、植え込みからニョキッと突き出した長い足を怪訝な顔で振り返りながら通り過ぎる。

 中にはその足に躓いて、暴言を吐き捨てながら去っていく者もいる。

 ミンホは泥だらけになりながら、先ほどから植え込みの下に潜り込み、枝や葉や砂利を掻き分けて落し物を探していた。

 図書館の前のコンビニで傘を買って持たせてやってから、この先の路地でナビと別れた。角を曲がってナビの姿が見えなくなるまで背中を見送っていたから、ナビが携帯を落としたとすれば、自分の目が届かなくなったこの路地からの筈だ。

 警察業務を生業とするミンホらしい発想で、ナビの携帯の在りかに目星をつけ、植え込みの下を片っ端からシラミ潰しに探していた。


「……あっ」


 ふとミンホの目の先で、白いフリッパ型の携帯の背が、半分土に埋まる形で光っていた。


「あったぁ!」


 携帯を掴んで勢いよく頭を起こしたとき、枝がサクッと頭に突き刺さり、ミンホは腰を突き出した姿勢のまま身悶える。


「……痛ぁ」


 呻きながらも手にした携帯はしっかりと握り締めたまま、ミンホはズルズルと植え込みから這い出してきた。

 ズボンの端で泥だらけになってしまったナビの携帯を丁寧に拭いてやる。パカッと蓋を開けると、微かだがまだ電池が残っていた。

 他人の携帯を見るのに一瞬のためらいはあったが、自分の恥ずかしいメールを消してしまいたくて、ミンホは受信ボックスを開いた。

 だが、そこにミンホのメールはなかった。

 あるのは『送信者:ジェビン兄貴ヒョン』の名前と、インターネットカフェのお得情報メールだけだった。受信したままに、削除も整理もしていないところが、いかにもナビらしかった。


 ミンホは首をかしげながら、自分の携帯を取り出す。

 ミンホの送信ボックスには、ナビ宛のメールがきちんと送信済みとして残っていた。

 何の原因で届かなかったのかは分からないが、勢いで送ってしまったあのメールを、ナビが見ていないという事実に、ホッとするのと同時にとてもガックリしてしまう気持ちはどうしようもなかった。


 それに、携帯を落としてから五日間も無くしたこと事態に気付かないなんて、ナビが別れてからずっと、ミンホへメールを送ろうと思わなかったということだ。

 それを思うと、ミンホは先ほど枝を頭に突き刺した以上の衝撃で、頭を殴られたような気がした。


 失恋決定か?


 だがすぐに、いやいやいや――と首を横に振る。

 まだそうと決まったわけじゃない。

 ミンホはナビの携帯を丁寧に自分のズボンのポケットにしまう。

 ナビは興味の矛先が一点に集中しているときは、他のものが目に入らない。それは、明慶大学に潜入して一緒に過ごしたあの二週間の間でも、イヤと言うほど思い知らされた。

 この五日間、ナビの意識の先が他のものに向いていただけ。時期が過ぎれば、充分にチャンスはある。

 そこまで考えて、ミンホはふと我に返る。


 失恋決定?

 チャンスはある?


 まるで、好きな相手を墜とすための作戦を練ってるみたいじゃないか。

 ミンホは自分の脳内会議の内容に、激しく異論を唱える。

 僕は別に、ナビヒョンを好きなわけじゃない。

 兄貴ヒョンのくせに、危なっかしいあの人を、放って置けないだけだ。

 第一、童顔で子どもみたいで……ちょっと……本当にちょっとだけ、可愛いからって言ったって、あの人は男だ。

 恋愛対象である筈がない。

 確かに、オーサーとか言うあのもぐりの医者も、『ペニーレイン』の美貌のオーナー、ジェビンも、みんな寄ってたかってあの人を甘やかし、猫可愛がりしているけれど。


 ジェビンの顔を思い出した途端に、ミンホの心は暗く沈んだ。

 この前、『ペニーレイン』で思わず携帯を無くしたというナビに詰め寄った時、ナビを庇うようにミンホの前に立ちふさがったジェビン。

 ミンホを見据える冷たい目と、苦しげな息の下で何の迷いもなくジェビンの胸に縋るナビの身体を抱く力強い腕のギャップに、言いようのない疎外感を感じた。


(君の負けー)


 オーサーのふざけた声が蘇ってくる。

 悔しいが、確かに完敗だった。

 オーサーの言うとおり、とても昨日今日知り合ったばかりの自分が、あの二人の間に割って入っていける気はしなかった。

 泥酔したチョルスを引きずるようにして帰りながら、ミンホは酔っている時がチャンスとばかりにチョルスに聞いてみた。


「チョルスヒョンは、あのオーナーとどういう関係なんですか?」


 ミンホに肩を担がれたチョルスが、ヒックとしゃっくりしながら顔を上げる。


「前に言ってたでしょう? ちょっとした事件の関係者だったって」


 簡単に口を割るかと思っていたチョルスは、しかし口を真一文字に引き結んで、そっぽを向いた。


「それは、言えねぇな」

「え?」


 ミンホは少なからず驚いてチョルスを見る。


「どうしてですか?」


 チョルスはミンホから目を逸らし、アスファルトを睨みつけるようにしながらキッパリと答えた。


「あいつの名誉に関わることだから、いくらお前にでも言えない」

「名誉?」

「ただ一つ言えることは、あいつは完全な被害者だったってことだ」


 歩みを止めてチョルスと向き合おうとしたミンホの目の前で、チョルスは突然両手で口元を押さえた。


 ウップ…… 


 弱々しい声をあげて、路地の隅に駆け込み身体を二つに折り曲げて激しく嘔吐する。

 ミンホは情けない先輩の背中を呆れた顔で見守りながら、オーサーの言葉を思い出していた。



(……君は『痛み』ってやつを、どれだけ知ってる?)





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