008 惨めさ
チェシーを実家に戻し、日を追うごとに寒さは増していった。
さすがに簡易的に修繕をしたとはいえ、元々吹きさらしの物置でしかないここでは、やったところでというレベルにしかならなかった。
本格的に雪でも降り始めてしまったら、さすがに寒くて死んでしまうわね。
暖炉だってあるわけじゃないし。
増設は手持ちのお金では無理よね。
ドレスなどは全て売ってしまったし、宝石だってもうそんなにあるわけではない。
お金がもったいないわけではないけど、いざ何かあった時に手持ちがないと困ってしまう。
何しろ男爵は私にお金などかけるつもりもないのだから。
「問題はこの冬をどう乗り切るかよね。水も凍ってしまったら飲み水にも困ってしまうわ。どうしたらいいのかしら……」
毎日早朝に井戸から水を汲んできて、それをかめに溜めて生活しているものの朝はとことん冷える。
もし井戸の水が凍るようなことがあれば、私は水すら飲むことが出来ない。
食事だって、分けてもらえるのは男爵たちの食べ残しか、固いパン一つだけ。
「あの方は、本当にどうする気なのかしら」
このままでは結婚を前に、私を死なせてしまうことになる。
いくら父が私に無関心とはいえ、さすがに男爵のことを責めるだろう。
だってあの人はそういう人だもの。
人に褒美を与えても、あとからケチをつけてその倍奪おうとするような強欲な王。
そんなこと男爵だって知らないはずもないのに。
英雄失墜も間近ね。
「私がもし死んだら……そうね、少なくともお父様は喜びそうね。あげた褒美以上のモノが得られるのだから」
乾いた声で笑った後、自分でそう言っておきながら、深いため息が漏れた。
死ぬ気はないけど、でももし死んでしまったら、チェシーくらいは悲しんでくれるかしら。
結婚すれば、あの誰もが私を見ようとすらしない世界から解放されて、愛してもらえると思ったのに。
現実はまったく何も変わらなかった。
むしろあの時以下って、もう笑うしかないわね。
「お母様の言った通りね。人はキチンと目を見て判断しないとって。優しそうに見えても、その腹の中は違うものだって……」
分かってはいたけれど、でも選ぶ権利すらなかったのだからどうしようもないわね。
幸せになるということが、こんなにも難しいとは思わなかった。
私だけの人なんて、本当はいないのかしら。
全部は絵本の中だけ。
そう諦めてしまうのは簡単だけど……でも、まだ諦めたくない。
冬を乗り越えて生き延びるためにも、水の確保と寒さをしのぐ方法を考えなくちゃ。
んー。
男爵にも私が死んでしまっては不利益になると説得出来たら、冬は何とか越せるかもしれない。
問題は私自身が本邸に出入り禁止ってことよね。
きっと勝手に入って行ったら、怒鳴られてしまうし。
「それに……あの大きな声も嫌いなのよね」
蔑むような目は大して気にならないけど、あの大きな怒鳴り声は苦手だわ。
昔から大きな声だけは本当に苦手なのよね。
んー。どうしたらいいのかしら。
手紙を書くにも紙もないし。使用人もここには寄りつかないものなぁ。
どうしたらいいのか、誰かに聞くことも頼ることも出来ない。
そんなところだけ王宮と同じでなくてもいいのに。
「こうなったら、怒られても強行突破するしかないかな」
いくら考えたところで、どうしようもないなら行動するしかない。
城でもそうやって生きてきた。
罰を与えられても、よほど酷いことはしないだろう。
何せ、この国一の英雄様ですからね。
私はいつも着ている母のワンピースにケープを羽織り、そのまま小屋を出た。
日が落ちかけた外は、落ち葉を巻き上げるほどの風が吹いていた。
吐いた息は白く、同時に吸い込んだ冷たい空気が、体の中から熱を奪っていく。
「こんなケープだけでは耐えられない寒さね。今にも雪が降ってきそう」
見上げた空は高かったものの、分厚い雲が隙間なく埋め尽くしていた。
身震いする体を動かし、私は使用人たちが使う勝手口から屋敷に入った。
時間が遅いせいか、使用人たちの大半はもう仕事を終えて下がってしまったらしい。
やや薄暗い室内は、あの小屋よりは十分暖かいものの、それでも人がいないせいか肌寒く感じた。
「確か、男爵の執務室は一階の一番奥だったわね」
チェシーがまだいてくれた頃、食事などを取りに行った際に道に迷ったフリをして中を見学してきてくれたのだ。
何かあった時のためにと、簡単にその造りを教えてくれた。
彼女が去ってから数週間しか経っていないものの、もう随分会っていない気がする。
変な感じね。
あんな短い期間しか一緒にいなかったというのに、いないと寂しいだなんて。
チェシーは今頃家族と幸せに暮らしているかしら。
そんなことをぼんやり考えながら廊下を進むと、あっという間に執務室の前まで来てしまった。
ドアの隙間から光と、温かな空気が流れている。
おそらく暖炉に火が入っているのだろう。
本当だったら私も、この温かな中にいられたはずなのに……。
いざその現実を目の前にすると、惨めさがこみ上げてきた。
私はドアに手をかけたものの、不意にこみ上げてきた涙を拭うために一度その手を離す。
ギュッと噛みしめた唇からは、血の味がした。




