決して誰のモノにもならない貴方
婚約破棄、悪役令嬢、転生、聖女、ドアマット、ざまぁ……。
色々なジャンルがあるけれど、今この物語は何かしら。
私に微かに残る前世の記憶に、様々な物語のあらましがある。
前世の詳しいことはよく憶えていないのだけれど、おそらく時間の許す限り多くの物語を読み漁っていたのだろう。
今世の私は、エスメラルダ゠メイファス。
メイファス伯爵家の長女で、今目の前にいる男性、リュクス゠テランバート公爵令息の婚約者。
更にその横にいるというかしがみついているのが、私の実妹クリスティン゠メイファス。
そのクリスティンがいつものワガママをまくし立てている。
「いいなぁ、お姉様は素敵な婚約者がいらして。リュクス様が私の婚約者だったらって何度思ったことか」
そう言いながら、クリスティンは無礼にもリュクス様にしなだれかかり、端なくも自分の胸を押し付ける。
「ねぇえ、婚約者を私に代えませんこと?家同士の繫がりのことでしたら、お姉様でも私でも変わりませんわ」
クリスティンはいつも「お姉様はいいなぁ」と言って、私の物を奪っていく。
最初は私が自分で買ったリボンやお気に入りのペンだった。
渡すのは嫌だったけど、まだ替えが効くものだったしすぐに手に入るものだったから、私の方が年上だからと我慢して渡していた。
多分それが良くなかったのだ。
クリスティンはどんどん増長して、友人になった御令嬢から頂いた流行りのお菓子、お祖父様のお土産の髪飾り、両親から誕生日に貰ったブローチ、そしてとうとうリュクス様から頂いた大切なブレスレットまで……。
そして今、最後にリュクス様本人まで奪っていくというの?
「う〜ん、婚約者の変更?どうしようかな。書類の差替えとか、当主の署名とか色々手間だよ」
リュクス様は事務の観点からクリスティンを諭そうとする。
「でもぉ、私はそれでもリュクス様のお嫁さんになりたいわ」
「へぇ、それは何でかな?そんなに公爵夫人が魅力的?」
「もう、意地悪言わないで下さいっ!公爵夫人は確かに魅力的ですけど、何より私がリュクス様を愛しているからですわ……って、私ったらつい」
思わずといった様子で片手を頬にあて恥じらってみせるクリスティン。
もう片側の手はまるで逃すまいとリュクス様の腕を掴まえているので、可憐さは無い。
「ふぅん『愛している』ね。そんなに私が好き?」
「もちろんですわっ!」
「何があっても、私を好きでいてくれる?」
「当然ですわっ!!」
クリスティンはフフンと鼻を鳴らすくらいの勢いで、勝ち誇った顔を私に向けた。
「そっか、じゃあクリスティン嬢、君は完全に私のモノになるかい?」
「はいっ!嬉しいですわっ」
「ではそれに相応しい書類を用意して、そうだな、一週間後に再びこちらを訪ねるよ。エーメ、御父上には君から話しておいてくれるかい?」
こちらを向いたリュクス様の眼差しはいつも通りで、クリスティンへの愛欲も感じられず、今もなお愛称で呼ぶ私を切り捨てそうなものでもない。
「かしこまりました」
思慮深いリュクス様の頭の中を読むことなど不可能。私はあくまで現婚約者として、両家の橋渡しのために出来ることをしましょう。
一週間後、リュクス様は再び我が家を訪れた。
契約の立会人として、国家資格を持った法務官と共に。
お父様へは今日の訪問についてあの日のうちに報告はしていたけれど、後日テランバート公爵とリュクス様連名のお手紙が届いていたらしい。
それを見たお父様は眉間に皺を寄せ、ぐぅと唸っていた。
その様子はただ婚約者の変更といったものよりも、苦渋の決断を思わせるただならぬ雰囲気があった。
「メイファス伯爵、お時間を頂きありがとうございます。本日の契約につきましては、父が私に一任致しました為、父が不在であることご容赦願います」
言葉尻は丁寧だが、家格の差を考えると我が家に否やを唱える資格は無い。
冷や汗を垂らす父の隣で、クリスティンは今か今かとリュクス様が話を切り出すのを待っている。
先日の時点からクリスティンはもうリュクス様の婚約者気取りで、この一週間私へのマウントが酷かった。
普段は冷静で、姉妹間のことにはあまり口を挟まない兄まで辟易して苦言を呈したほどだ。
しかし昨晩父が兄にも手紙を見せたところ、今朝の兄はずっと先日の父と同じ顔をして静かだった。
母は手紙を見た日からしばらく部屋に籠もったままだ。
「では早速、メイファス伯爵家次女クリスティン嬢における全ての権利を、私テランバート公爵家嫡男リュクスへ譲渡する契約を締結致しましょう」
「へ?まずはお姉様の婚約破棄からではなくて?は?譲渡?」
父は何も言わずにペンを手に取った。
そこには既にリュクス様の署名がある。あとは父の署名のみで完結する。
父はクリスティンの方を一度も見ることなく、ぐっと両目を瞑った後、覚悟を決めたように普段より力強く署名をした。
「ではクリスティン嬢の身柄は、本日から私リュクス゠テランバート預かりとなりました」
リュクス様は父の署名を確認し、それを法務官に渡した。
後程、法務官はそれを専門機関の金庫に保管し、公爵家と伯爵家其々に控えとなる証書を届けることになる。
「では、こちらを」
リュクス様が様々な書類や手紙の束を父に手渡した。
「こっ、こんなにも……」
父は目を見開き、紙束を持つ手は小さく震えていた。
「ちょっと、何ですの!?一体、何がどうなって。お父様っ!!」
クリスティンが父に詰め寄るが、父から漏れた声は小さい。
「もう、父と呼ぶのはよせ……」
「はぁ!?」
「さあ、クリスティン嬢、行こうか。君の居場所へ」
リュクス様が軽く手を挙げると、彼の従者が意を汲んでクリスティンの元へ移動する。
「さあさ、お立ち下さいませ」
「え?ちょっ、話がまだ」
「先に帰っていてくれ、私はこちらでまだ話があるから」
リュクス様のその言葉を自分の都合の良い意味に捉えたのか、クリスティンは途端にいつもの勝ち誇った表情をして部屋を出て行った。
クリスティンの退室後、僅かな静寂が訪れるがそれは父の掠れた声で打ち破られた。
「すまない、こうするしか我が家を守る方法が……」
父は受け取っていた紙束をテーブルに広げ、頭を抱えて俯いた。
紙束の差出人は様々。高位貴族から公共機関まで。中には金額の書かれた、おそらく請求書のようなもの、品物名が明確で無いことから賠償請求や慰謝料であろうか。
「全ては次期公爵の私の名の下に、和解かつ清算済みとなっております」
「この度は、お手数をお掛けして申し訳ない」
「いえ、私としてはいずれ公爵夫人となるエスメラルダ嬢の実家が無くなっていては困りますから。それに彼女には出来るだけ苦労をして欲しくないですからね……これからは」
穏やかな声色なのに、全く優しく聞こえない。
「そう言えば、伯爵夫人は此度のことで心身に変調をきたしておられるとのこと、どうぞご夫妻で支え合ってお早い快復をお祈りしております。それから優秀と評判の我が義兄殿の早いご活躍を、テランバート公爵家一門皆心待ちにしております」
それは実質的な、当主交代命令だ。
父は項垂れたままの頭を更に一段ガクッと落とした。
意気消沈を通り越してもはや茫然自失の父をその場に残し、私とリュクス様はお茶の準備のしてあるテラスへ出た。
外は暖かな日射しと爽やかな微風に、季節の花の香りが漂い平和そのものだった。
「エーメ、気分はどう?辛くないかい?」
「大丈夫ですわ」
「私のこと、嫌いになってない?」
先程までの怜悧な公爵令息の面影はどこへやら、リュクス様は不安そうな眼差しを私に向けていた。
「ふふっ、嫌いになるはずなんてありませんわ」
「良かった。どんなに嫌がられても、離れる気はないからね」
「まあ」
リュクス様は腕を伸ばし、ティーカップに触れていた私の手を取り両手でギュッと包み込んだ。
「愛しているよ、エーメ。私には一生涯君だけだ」
「私も…」
「その先はまだ言わないで。まだ完全に準備が整っていないのに、今日君を連れ帰ってしまうから」
「かしこまりました」
婚約者として、慎ましやかな微笑みを返す。
「全てを片付けたら、すぐに迎えに来るよ」
リュクス様はいつも通りの、優しく穏やかな笑みを残して公爵家へと帰って行かれました。
◆◆◆
時は少し遡り、テランバート公爵邸にて。
「ねぇ、リュクス様はいつになったらお帰りになるの?ご一緒ではいけませんでしたの?私、お姉様が婚約破棄されるくらいの時間でしたら、お待ち致しましたわ」
クリスティンは、ここまで案内してくれた従者と侍女へ向けて矢継ぎ早にぶつけた。
しかし二人は答えずに、ただ与えられた役割を果たすために静かに立っている。
「もう、あなた達では埒が明かないわっ!」
婚約者になったのに、実家から身一つで連れて来られそのまま放置なのだ。クリスティンとしては、もっと丁重な扱いを望んでいたのだが、如何せん最高位の貴族のお家事情など知るはずも無く、中途半端な癇癪しか起こせない。
これまでなら、実家の中はもちろん如何なる場所であっても、我儘を通させてきたのにだ。
クリスティンがリュクスに会えたのは、翌日の昼のことだった。
しかもクリスティンのいる部屋にリュクスが来るのではなく、わざわざ応接室に呼ばれたのだ。
まあ公爵家としては、まだ婚姻前だから邸内とはいえ軽弾みなことは出来ないということなのかしらと、癇癪を抑え込んだ。
「リュクス様、昨夜はお会い出来ず寂しゅうございましたわ」
クリスティンは精一杯可愛く見える角度で、甘えた声を出した。
「そこへ座れ。君の今後について話がある」
「君だなんて、クリスティン、もしくはクリスとお呼び下さいませ」
リュクスは無言で、目の前のソファへ視線で促した。
従者も侍女も微動だにせず、クリスティンは諦めて腰掛けた。
「さて君の現状についてだが、君は既にメイファス伯爵家の令嬢ではない。昨日除籍の承認も済んだ」
「えっ?」
「ただ、単なる平民というわけではない。完全に私預かりのモノだ」
思わず絶句するクリスティンの前で、リュクスは淡々と事実を告げていく。
「今後の身の振り方だが、まずは我が領地の最北にある土地で綿花の栽培、採取、加工を行ってもらう。いきなり鉱山よりはマシだろう」
「ちょっ、勝手に何を言って…」
「ちなみに、こうなったことに対して心当たりは?」
「あ、あるわけないでしょっ!」
まるで罪人のような扱いに、身分差も忘れて激昂した。
「王立図書館の備品や本の破損及び司書への威圧。カフェにて予約席の横取り、それによりゲイン子爵家とアンダンテ男爵家の縁談顔合せの延期」
「は?何のことかしら。低位貴族や平民のことなんて知ったことではないわ。高位貴族には譲るものでしょう?」
クリスティンは被ってきた猫を捨て、異居丈高に言い放った。
「なるほど。では茶会にて、ローゼン侯爵家のアマリア嬢へ紅茶をかけたのは?」
「あれは事故よ。わざとではないわ」
「へぇ、同日王城の庭園に咲くロイヤルローズを手折ったことは?」
「元々茎が折れていたから、手を添えたら取れちゃったのよ」
「ふぅん。ジグルド侯爵令息に言い寄ってタイランクル伯爵令嬢との婚約を壊したのは?」
「それは誤解よ。言い寄ってきたのはあちらの令息」
「君の方から思わせ振りな態度を取ってきて騙されたと憤慨していたが?」
「勝手に盛り上がって自分の婚約者に対して婚約破棄を突き付けようとしていたから止めたのよ。むしろ感謝して欲しいくらいだわ」
「ははっ、流石だね」
「なっ、なによ!」
クリスティンはこれまで様々な問題を起こしてきたが何とも匙加減が絶妙で、身分差から直接伯爵家へは訴えられないもの、状況的に非はクリスティンにありそうなものの今ひとつ物的証拠や証人が足りなく言い逃れが出来てしまうようなギリギリのラインで好き勝手やってきた。
そうして行き場の無い不満が積もり積もって集まり、メイファス伯爵家と浅からぬ縁のある最高位の貴族家としてテランバート公爵家へ嘆願書として届けられたのが、昨日メイファス伯爵が受け取った紙束だった。
無論その場でメイファス伯爵に伝えた通り、既に話をつけテランバート公爵家が仲裁に入ったとして全て和解、賠償、補填済みである。
「関係各所との和解の条件は、今回の騒動の元凶であるクリスティンを二度と関係者の視界に入らないようにすること。だから、最北に行ってもらうよ」
クリスティンは絶句した。
「今回掛かった賠償金や示談金の分は君の働きから回収させてもらうね。まあ全然足りないけど、エーメとの生活の先行投資と思えば仕方ないかな」
エスメラルダの名を呼ぶリュクスは、信じられないくらい優しい眼差しになる。
クリスティンが姉から奪いたかったのは、まさにこの眼差しだ。
このためにジグルド侯爵令息をはじめ他の令息も誰も本命にせず、頃合いを見て捨てて来たのに。
「話が違うわっ!お姉様との婚約は破棄したのではなくて!?」
「ん?そもそも、婚約破棄をするなんて言ってないよ」
「はぁ!?だって私はリュクス様のモノなのでしょう?でしたらリュクス様だって私のモノだし、もっと大切に扱われるべきだわ。最北に行くなんてありえませんわっ!」
思わず立ち上がって訴えるが、返ってきたのは冷たい眼差しと重い沈黙だけだった。
クリスティンは同じように声を荒げず静観するリュクスに不気味さと居心地の悪さを感じて、再度ソファに座り直した。
「確かに、君は私のモノになった。しかしそれは私が望んだことじゃない。君の被害者達の望みを叶えるため、更には公爵家と伯爵家の未来の為のただの通過点に過ぎない」
クリスティンは初めてリュクスを憎らしく思い睨みつけた。
「それに、私は君のものになった覚えなんて無いよ」
「ふ、ふぅん。じゃ、貴方はお姉様だけのものとでも言いたいのかしら」
クリスティンは精一杯の強がりで当て擦る。
「いや、私は誰のモノにもならない」
思いがけない返答に、クリスティンは一瞬虚を衝かれた顔をした後再び勝ち誇った顔で笑った。
「なんだ、結局お姉様も手に入れられなかったのね。私より時間も機会も存分にあった筈なのに鈍臭いこと。さすがお姉さ……っ」
エスメラルダを罵る言葉を聞きたくないリュクスの視線を受け、従者はクリスティンに猿轡をかませた。
「もういいだろう。最北へ連れて行け。問題を起こしたら即配置換えで良い。その際悪質なら一気に最下層に放り込め」
「御意」
従者は藻掻くクリスティンを涼しい顔で連れ出し、扉前にいた護衛の一人と共に玄関へ向かった。
「さて、後片付けももう少しだけだ」
◆◆◆
クリスティンが出ていってから、メイファス伯爵家を取り巻く流れが変わってきた。
まずはこれまでクリスティンのせいで遠巻きにされていた家からポツポツと茶会や夜会への招待状が届き始め、兄の縁談も纏まりそうになったのだ。
それから父は兄に爵位を譲る書類を整え始め、今は関係機関で手続きの真っ最中だ。
クリスティンを溺愛していた母は呆けてしまい夢現の区別がついていないようで、近々療養のために領地の田舎へ引っ込むことになった。
譲位して落ち着いたら、父もすぐに追いかけるという。
「エーメ、元気だったかい?あれから困ったことは無い?」
あの日から二週間が過ぎた頃、リュクス様がメイファス伯爵邸を訪ねてきて下さった。
「はい。おかげさまで」
「それは良かった。それはそうと、彼女の部屋はまだそのままかい?」
「はい。母が出立するまでは、触らないでおいてあります」
「そう」
リュクス様は感情の読めない瞳で前を向いた。
何か気に障ったのかもしれない。
いつも共に過ごす応接間を通り過ぎ、リュクス様は珍しく2階への階段に向かっている。
私は大人しく付き従った。
「彼女の様子は気にならない?」
「お聞きして良いのですか?」
「もちろん!エーメに隠し事は無いよ」
「では……」
私は続きを促し耳を傾けた。
「彼女は今テランバート領の最北にいるよ。そこで様々な作業を手伝ってもらっている。今は綿花を栽培している頃じゃないかな。貴賎を問わず多くの人の中で、様々なことを学んでくれたらと思うよ」
てっきり厳しい罰を受けるか、修道院に送られるのかと思っていたけれど、予想以上に真っ当な扱いのようで安心した。
「御心遣い、ありがとう存じます」
「いや、エーメのご家族には辛い決断をさせてしまったからね。これくらいは当然だよ。ただ他の家々との兼ね合いや約束があるから、二度と会わせてあげることは出来ないけど」
リュクス様は申し訳無さそうに眉尻を下げる。
「いえ、爵位の維持さえ危ぶまれた我が家を救って下さった上に、妹の面倒まで……感謝してもしきれませんわ」
「さて、最後の仕上げだよ」
辿り着いたのはクリスティンの部屋の前。
中はあの日から何も変わっていない。
リュクス様の視線を受け、彼の従者が扉を開けた。
「何を?」
私は隣に立つリュクス様を見上げて首を傾げた。
「うん?エーメが奪われたモノを取り戻さないとね」
そこでやっと思い出した。これまでどうにもならなさ過ぎて、どれだけ嘆いても無駄で諦め考えないようにしていたのだ。
「さあ、君を邪魔するモノはもういない。大事なモノを取り返しておいで」
そっと優しく背中を押され、一歩クリスティンの部屋へ足を踏み入れた。
この部屋に入ったのは実に何年ぶりだろうか。
たくさんの品物を奪われるようになってから、クリスティンは取り返されまいと私を一切部屋に入れてくれなくなった。
私は少し感慨深げに、主を失った部屋を見渡す。所々に飾られた品物の中には、本来私に贈られた品も混ざっている。
「エーメ、大事なモノは何だった?君が一番取り返したかったモノは?」
その言葉に、私はキョロキョロと部屋を見渡す。
少し古びたクマのぬいぐるみに私が初めて買ったリボンが結ばれ、トルソーには私のお気に入りのネックレスが合わないドレスと共に飾られている。
文机の上の本には、私が大事にしていた薄い金細工の栞。
小さい頃に奪われたお気に入りのペンやドレスは、さすがにもう捨てられてしまったかしら。
でもそれらは私が求めるモノとは違う。替えが利くものではないの。
そう気がつくと私は急に居ても立っても居られなくなり、突き上げる衝動のままにドレッサーの引き出しを開け、クローゼットの扉を開けて夢中で中を漁った。
「あった……」
クローゼットの奥の隅に忘れられたようにそれはあった。
リュクス様の婚約者になってから、初めての誕生日に頂いた私の宝物。
それの入ったケースを胸に抱き締め、リュクス様の傍に戻る。
「それがエーメの一番大事なモノ?」
「はい」
優しく尋ねる声に、私も満面の笑顔で答えた。
「よく出来ました。おかえり、私のエーメ」
「え?」
リュクス様はケースを手に取って開け、中からブレスレットを取り出して私の腕に着けた。
「良かった。どこも壊れていないようだね」
久しぶりに身に着けたブレスレットは、あの我慢と諦めの日々の終わりを象徴するモノのように思えた。
「このブレスレットを身に着けてくれなくなった頃から、エーメはどこか達観したようになって笑顔に翳りが出てしまうようになったよね」
言われてみれば確かに、これを奪われた瞬間私の中で何かがプツリと切れてしまい、あまり感情を表に出さなくなった。
満面の笑みを浮かべるなど、一体何年ぶりのことだろうか。
「申し訳…」
「いや責めているんじゃ無いんだ。初めて出会った時のあの、私が恋焦がれた笑顔を取り戻したかっただけだから。これからはその笑顔で、ずっと私の傍に居てほしい」
「はい」
深い愛の言葉に嬉し涙が浮かぶけれど、取り戻したばかりの笑顔に変えて応えた。
「そう言えば別れ際の彼女に、『私は貴方のモノになったのだから、貴方も私のモノだ』と言われたよ。もちろん否定はしておいたけど」
「まあ、それは失礼いたしました」
思わず元妹の非礼を詫びた。
「彼女にも伝えたのだけど、私は誰のモノにもなる気は無い。所有権があれば、所有者はそのモノを好きに扱って簡単に捨てることが出来るだろう?」
リュクス様は徐ろに私の手を取りブレスレットを撫でる。
「エーメ、君を愛しているからこそ、絶対に君のモノになんかならないよ。もし君に手放されてしまったら、私は生きていけない」
ああ、そうか。リュクス様はブレスレットに自身を重ねていたのだ。
自身の想いを込めた贈り物を、私が簡単に手放したように見えたのだと、私が彼よりも妹を優先したのだと思ったのかもしれない。
彼の心の傷に、今更ながらようやく気付いた。
でもここでただ謝っても、心の傷は塞がらない。
私は重ねられたリュクス様の手を、私の胸へ導いた。
「では私は、リュクス様にこの心臓を捧げますわ」
これはリュクス様への信頼の証、私の心も命も全てを捧げ、万一裏切ったならリュクス様のその手でいっそ……という覚悟の誓い。
「ああ、エーメ……」
この物語のジャンルはドアマット?ざまぁ?……いいえ、これはヤンデレ令息による溺愛の物語。
ブレスレットとお揃いのアンクレットを初めて晒した素足に装着され、まるで手枷足枷のようとの思いが過ぎったことすら曖昧になるような夜を知るのは、これから半年後のこと。




