第2幕:『顕現の踊り場』
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踊り場の空気は、時を閉じ込めた絵の匂いで満ちていた。
洋館の階段を登るたび、足音は闇に吸い込まれ、蝋燭の炎がわずかに揺れる。
壁に掛けられた肖像画──ペネロープ。
深紅のドレス、曇天の庭園、顔の部分だけが割れた鏡で覆われ、何も映さない。
画家は鏡を剥がし、筆を走らせる。
頬の曲線、唇の艶、瞳の深み──それは、夜の花のように咲いた。
階段を軋ませ、道具商が現れる。
手には黒光りする懐中時計──ペネロープが鏡を割った時の凶器だという。
「これを、絵に添えるといい」
画家が頷くより早く、額縁が軋み、絵から白い指先がにじみ出る。
次の瞬間、深紅の裾が闇を払い、ペネロープが額縁を抜け出した。
金糸の髪は炎を宿し、肌は雪よりも冴えている。
瞳は深海の闇を含み、見返すたび空気が凍る。
彼女は時計を受け取り、針がカチリと動いた瞬間──館の影が一斉に濃くなる。
カチ… カチ…
館中の時計が同時に動き出す。
振り子時計の低い唸り、壁掛け時計の針の音、置時計の乾いた息。
長く止まっていた時間が、一斉に歩き始めた。
その響きは館を越え、庭を抜け、石畳の路地へと広がる。
丘の上にそびえる古い時計塔が、鈍い鐘を打った。
一度、二度、三度…
夜の街の屋根を渡って鐘の音が流れ、人々が窓を開ける。
だが、誰もその理由を知らない。
ただ一人、館の踊り場に立ち尽くした画家だけが知っていた。
この街の時は、ペネロープと共に再び動き出したのだと。
ペネロープは道具商の胸元の金の戦闘機のブローチに視線を滑らせ、妖しい笑みを浮かべて摘み取る。道具商はなすがままだった。
ペネロープが踊るような足取りで階段を降り始めた。
深紅のドレスの裾が一段ごとに揺れ、足音は絵の具が乾く音のように静か。
背後に残ったのは、絵の香りと、時間が揺らいだ気配だけだった。
階下の闇に溶ける直前、彼女は一度だけ振り返った。
その瞳は、男たちの胸の奥を探り当てるように光り──そして、すべてを自分のものにした者の目で、微笑んだ。
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