プロローグ1
国の名前とか明記しませんけどなんとなく察してください。
その魔族にとって、人間とは食料だった。偉大なる『魔王』は人間を労働力として活かし、文明を築かせ、得られる快楽を魔族が収穫することを理想としていた。概ね魔族はその理想のもとに邁進し国を支配してきた。しかしどうにも満ち足りない。というより、欲求の行き場がない。なんせ『魔王』はこういった。
「壊すな、奪え。殺すな、屈服させろ。絶やすな、交配させろ。楽しめ、溺れるな。」
滅亡させることは許さないと、そう言ったのだ。意味が分からなかった。なぜ家屋を壊して大地に均してはいけないのか?なぜ生かして管理せねばならないのか?なぜ劣等種を淘汰してはならぬのか?娯楽と耽溺は同一でよいではないか!
力と序列の差ゆえにはっきり口にすることは出来ないが、いつかこういった不満を提言するたびに、その魔族は功績を積み上げていた。魔族らしくもなく建築物を残し、殺戮を兵士のみとし、逃亡した女子供は見せしめの処刑程度に止めたのだ。だがそのたびに心は軋み、歪んでいた。なぜ他の『七魔殿』は異を唱えぬのか?同族は本当にそれで平気なのか?なぜ本能の赴くまま振る舞ってはならないのか?奪った『ヒメナリ城』を任せられるほどの信任と武力を得たが、渇望は深まるばかり。
ゆえに倒錯したのだろう。原因は偶然。切り殺した『ヒト』の首を掲げたとき、一滴の血が口に入った。甘美だった。切り離された体から心臓を抉り、噛り付いた。味わい深かった。ひさしぶりに滋養が体を駆け巡るような、生きている実感が迸った。本当の自分に戻った、そんな気がした。
だから、部下と息抜きをすることにした。ヒトの子供の肉をヒトの料理人に調理させてみよう、そして喜びを分かち合おう。これは『魔王』に対する明確な背信であったが、部下が告げ口をすることも反対することもなかった。皆もわざわざ奴隷の監視をするのが億劫だったからだろう。安堵した新兵のように、無邪気に賛同した。『勇者パーティ』なる者どもが最近この『日ノノボル国』に攻め入ってきたというが、どうでもいい。むしろ我らの士気を高め、返り討ちにしてやればいいと思っていた。
〈プロローグ ヒメナリ城奪回〉
天守閣の最上階、七階から五階まで、魔族たちの狂騒に満たされていた。それは小雨の降る音では到底消しきれないものだ。
「俺たち、魔王様のいいつけを破っちまうんだぜ!」
「ギビジ様、胆力がちげえよ。」
「やっぱヒトのモツ喰ったからかなあ。」
しとしとと瓦に伝う雨水は、本来の主人を殺され、辱められた城の涙のようで、白いはずの城壁の彩色は、ところどころ血の跡が滲んでいた。しかし魔族はヒトの美を解さない。恥も躊躇いもない。掟を破ると決めたなら、全速力で欲望の歯車を回す。城下の警備も最低限。今いるやつらを満足させたら交代する手はずだった。
魔族の中でも歪んだ男、ギビジ。今は腰衣一枚で晒している肉体も精強で、髪で隠れた眼光は飢えに光っているが、こんな饗宴を何度もやれば、いずれ肥えて外見も相応しく堕落するだろう。しかしそんなことは彼らが本質的に持つ欲の前では些事なのだ。ギビジは部屋の上座に座ったまま紫色の唇を大きく開く。
「我ギビジ、いずれは七魔殿に座し、なに恥じ入ることもなくヒト食いできる時代を作ろうぞ!」
「オオオォォォー!」
もうすぐ人肉を喰えるのだ。喜悦に染まった喝采は、かつて敵地に攻め入った鬨の声よりも高らかであった。その声に呼応するかのように、雷鳴が響き渡る。ドゴオオォォォー……。
「ん?雷鳴?こんな薄い雲模様で?」
「だれか雷撃魔法でも景気づけに撃ったのかー?」
「それなら音が違うだろ。」
「そもそも雷が鳴る前の光、あったか?」
「どちらかっつーと東から音がきたような。」
それは不自然な雷鳴だった。雨の勢いはヒトが傘をさしながら走れる程度であった。もう一度雷鳴が鳴り響く。ドゴオオォォォー……。魔族は一時静まり返り、皆が呆けて東を向く。なんだかわざとらしい。なんせ雷光が見えない。何度も何度も響くが音はまるで同じリズムで、間の抜けた歌劇の音響のようだ。最初は自らの渇望に呼応して、雷鳴を天が遣わしたのだと酔いしれていたギビジも、白けて東を睨む。
その瞬間、雷光の代わりとでも言うべきか。烈火の如き気迫がその場に飛来する。瓦を蹴り上げて飛翔してきたその六つの腕の男は、闘気、殺気、憎悪の念を背後から魔族一匹一匹に飛ばし、口を開く。
「警戒ご苦労、死に晒せ。」
舞台のど真ん中に舞い降りた主演は、刹那のうちに6匹のクズを屠った。
両手に握るグレートソードが縦に並んでいたクズ2匹の頭蓋をそれぞれ砕き
両肩から伸びる右義手の手斧が間抜けなクズの腹を裂き
左義手の槍が阿呆なクズの心臓を抉り貫き
広背筋から伸びる左義手の握る鉄槌が馬鹿なクズの脊椎を砕き
また右の義腕に握られた刀は哀れなクズの両足を太ももから切り裂いた。転がされた上体の首は踏みつぶされている。
「「「「「「は?」」」」」」
「口開くな、殺されたくなきゃ塞いで窒息しやがれ。」
次いで再演するかのように、またクズが6匹死ぬ。魔族の血が吹きこぼれる。修羅が如きその威容の勇者は、機械づくりの副腕から、キシィキシィと音を鳴らす。その音は気づくことなく殺された魔族の代わりに悲鳴を上げているようでもあり、嘲笑のようでもあった。
12の同族を殺され、ギビジはようやく反応し、腰衣に携えた刀を抜く。それはかつて城主が差していた刀だったが血脂に汚れ刃こぼれし鈍らになっていた。刀のなによりの不幸は、新たな主がそれもわからぬクズなことだ。
「なんだお前はァ!」
「勇者って呼ばれてる。殺されちまうぞお前。」
飛び掛かったギビジの一太刀を、義手に握られた槍と刀をクロスさせて受け止める。その時初めて、まともに勇者の顔を認識する。30前半といったところか。切れ長の瞳はそのまま刀身のようで、肌にシミはないが疲れたような顔立ちだった。しかし、血色は燃えるようで、髪質も暗黒の黒というより、黒炎を思わせる。そう、燃えるよう……、筋骨隆々とした体はチェストプレートを砕かんとするかのように怒気で膨張している。普段であれば引き締まった肉体なのだろうが、内側でなにかが炸裂しているかのようだ。その姿にギビジはこの城の宝物から奪った武神と戦神ふたつの木像の姿を思い出す。しかし蹂躙したこの地の民族とは顔立ちが違うような気がした。
「馬鹿かお前は。」
「ガァッ!!!!」
義手の武具でつばぜり合わせてる間に、肉体の右腕でグレートソードを持ち上げ、横腹に叩きつける。何度伸ばし、折り返され、鍛えられた業物なのだろうか。一般的な兵士が使う両手剣の10倍は下らぬ重さと厚さの刀身は、一撃で相手を吹き飛ばし壁に沈ませる。ギビジの型が刻まれる様はもはや滑稽ですらあった。かろうじてつないだ意識で、ギビジは悟る。
あいつは、自分より殺戮が上手い。
踏ん張るための腹筋は断裂し痙攣している。壁に埋まった体を堀り起こすのも苦戦している。
「俺はクズでな。戦場にガキ連れ込んじまってる。だから全速力で殲滅する。」
自虐的な笑みだ。それにすら油断は許されない。
【天雲の摂理に逆らい、我が指先より地を奔れ稲妻よ!】
魔族も己が上官をズタボロにされ黙っていたわけではない。雷の魔法を唱え勇者を襲う。それを見透かしていたかのように、勇者も超反応で魔法を詠唱する。というより、ここまですべて予想していた展開なのだろう。
《かつて、刀を以て雷を受け止め、天へと返した武人がいた》
それはこの『日ノノボル国』の伝承にあった超人芸。彼の扱う魔法は自然現象を呼び起こす凡夫のものとは一線を画す。歴史に実在した過去の人物の技を現象として再現するという特異な魔法。それは大地の法則から逸脱するほどの強い自己愛が生み出す、『我法』とも呼ばれる力だった。
「ギビャあああああああああああああ!」
「言ったはずだ、全速力で殲滅する。」
向かってきた雷撃を刀で術者に返し、義手を大きく開いて威嚇する。勇者の4本の義手に神経はない。鉄の骨子と丈夫な糸で作られた人工筋肉のみのシンプルな構造だ。ただ取り付けただけでは木偶より使い勝手が悪いだろう。しかし彼は義手を自らの一部と認識し、それぞれに過去の武人の技を再現させているのだ。もはやそれだけなら詠唱すら脳内で済ませられるほどの域に『我法』を定着させている。彼自身の技ではないが、武器を打ち合うごとに歴史を検索し達人の適切な動きを持ってくる思考速度と反射神経が、その戦歴を証明している。まさしく、修羅だ。
【我が吐息を火種として、炎よ、猛るのだ!】
感電死した魔族の隣の殲滅対象が、愚かにも追撃の魔法を紡ぐ。
「火種になる吐息?くさそうだな。《過去にいつか、町を燃やす大火事を一息で鎮めた豪傑がいた》」
勇者の肺に歴史が宿り、猛然と迫りくる火球を長い深呼吸で押し返す。そして炸裂させ、多くの魔族を巻き込んだ。
「クソクソクソクソ、こんなやつが今ここに来るなんて聞いていないぞ!」
戦線に復帰した哀れなギビジはけたたましく愚痴る。
「この国に来てから、出会うやつ、隠れるやつ、逃げるやつ、例外なく仕留めてきた。お前ら軍事連絡が途絶えても疑問に思わねんだもんなあ。頻度がもともと少なかったのか。西や北の魔族はまた違うんだが。」
「ナニィ!?」
実際、この国を蹂躙した魔族は力任せで粗野な魔族が多い。それはかつてのこの国の守護者『四天王』たちの個人の武勇に対する対抗策だった。そして今、眼前には『四天王』に匹敵するが如き修羅が存在する。まずい、数と質が足りない!心中でギビジは吐き出す。
「ギビジ様ァ、どうなされた!なっ…。」
下の階の部下たちが救援に駆け付け、部屋の惨状に絶句する。焼け跡、死体、満身創痍の上司、そして空間を支配する修羅にして勇者。それらを目撃し、新たな犠牲者が死地に突進する。
「人間如きがァ!」「ぶっ殺してやるッ」「死ね!」「食らわせろ!」「そんな腕こけおどしだろうが!」
敗北など一切予想していない。爛々とした瞳は数秒後の勝利をからっぽの頭で確信している。
「やめろお前らァ…!」
ギビジは最期の命令を口にする。
《かつて剣の切っ先に立ち、美しく踊った舞子がいた》
お前らのその怒りの瞬発速度は尊敬するよ、勇者はそう胸中でつぶやく。そして舞踊の歴史を呼び起こし戦場を詰ませにかかる。
「な!?」「へ?」「ぐッ」「ゲバアッ!」「は?」
ジャンプし回避した勇者は振りかぶられた敵の武器を上空から蹴り、天井すれすれで宙に舞う。時に蹴った武器がそのまま魔族の頭に刺さる。体重と武装の重さを考えればありえないことだが、彼の我法は現象の再現。重力を無視して舞い踊る。杜撰な隊列を上から踏んで進み、ギビジに一直線で迫る。
「よお、お待たせしたフルコースだ。」
「くるなあああああああああああ!」
ギビジの肢体をそれぞれの武装が貫き、砕き、切り裂き、抉り、ばらす。
「ああ…」
喪失と痛みに涙し嗚咽する野望の魔族。
「召し上がれ」
その口内を、グレートソードが刺して潰した。
さて、こんな大立ち回りに比べれば少々地味だが、時間を戻し城下に目を向けよう。戦いには事前準備があるものだ。城下町を巡る15mほどの深さの堀の橋の下、雨を凌ぐ笠を頭に被り勇者パーティは戦意を確かめていた。
「よしストラ、雷鳴を出す準備はいいな?始まったらシオリ様から離れるなよ」
「うん、アーティス。」
修羅の勇者アーティスは、16才の少年と作戦を合わせる。殺戮劇の開演前の彼は兵士らしい緊張感を持ちつつ、人間らしさを残していた。義手は武器を握りつつも垂れ下がっており、彼の覇気がなければだらしなく見えたかもしれない。
「心配せずとも、きっちり放しませんので。自分の戦場だけ考えてください。彼はいい子ですもの。」
かつての四天王にして勇者パーティ新参のシオリの雰囲気は怜悧かつ穏やかだ。不可視の城壁を生み出す『我法』を持ちながら、魔族に囚われ、国の最南端の港でヒトの侵攻を塞ぐのに利用されていた。勇者たちに救い出され、半年の間をともに戦っている。最初の2か月は復讐に燃え、同じ強者であるアーティスとしか話さなかったが、今はいくらか周りを見るようになった。
「年下だけど、先輩は僕だ」
あまり力むのも間抜けな気がしたのが、ストラは低く威厳のありそうな声を出した。彼もまた攫われ海で運ばれていた時に救われた。救出時に示した音を操る『我法』を見込まれて、必要な戦場、勝ち目の濃い作戦に参加している。加入時期だけでなくそういう経歴でも先輩で、つまり似たもの同士だった。2人は年もほど近く、友人だった。ただストラがシオリの黒髪を目で追いかけたり、白い指先の所作に見ほれたりするだけのこと。シオリの方はストラの音の操作に絶対の信頼を置いているだけのこと。それ以外に特筆することのない関係だ。
「女を間違えて私の持ち場に来るなよ?仲間だけ選んで加減など器用な真似はできん」
「まるで僕がすごいクソ男みたいじゃん」
「いざ戦いになればそういうパニックもあるだろうという話だが?心当たりか?ほう、ほう」
「変な言い回しをしながら自己完結しないでほしいな!?」
唯一この中で『我法』をもたないが、破壊能力では彼女が随一。魔女イルシウスの魔法は『出力と持久力ともに魔族が上』という法則をたやすく覆す。ストラはおろかシオリより小柄だが、唯一アーティスに肩を並べられる戦闘力を持つ。灰色の髪、色素の薄い肌は人生を魔法に捧げている証左で、幼い顔立ちながら経験を感じさせる雰囲気だった。魔法の探求のためアルビノに近くなっているらしい。魔女らしく、と常にかぶっているウィッチローブは常によく手入れされ新品のようで、総合して幼さよりミステリアスが勝つと言える。口から出てくるのはだいたいハラスメントギリギリだが。
「うし、テンポよく、緻密に、殲滅だ。いつも通りだが慣れるな。戦闘を俯瞰し押しつぶせ。」
勇者アーティスの言葉に全員切り替わる。
「まず私とアーティスが奴らの気を引く。その際音は城の上層に届かないようにストラが操作する。」
「僕とシオリが子供たちが囚われている東の天守に音を消しながら突撃、その位置で音量低下を解いて雷鳴を起こす。」
「俺がそのまま天守閣上層に突貫する。不意打ちじゃないとさすがに撃ち落される。雷鳴は何度も頼むぞ。」
シオリと目を合わせる。彼女の瞳は翡翠のように光っており、我法発動のタイミングを待っている。この時の彼女の瞳をなによりも美しいとストラは思っていたが、その表情の苛烈さも尊敬していた。
「国の隠密部隊も借りて下準備はした。正規軍も今頃は南の要所を攻めてる。」
ストラが戦場の音量を操作できるようにするため、城郭を線とした強化の魔法陣を張っている。シオリに言わせれば結界術と呼ぶそうで、土地を起点とした大規模な儀式だ。これを張る為にアーティス母国の隠密部隊とストラとイルシウスで三日かけて城に工作をしたのだ。シオリは自国の武士たちがそこにいないことを悔しがっていた。
「結界術の魔力消費は私が負担するとはいえ、救出にあまりモタモタするなよ?」
「わかってる。迷惑はかけない。」
「いやお前の我法は趣味じゃないから最低限の利用でとどめたい。お前そのものは愛着あるがな?」
「ええ……」
どうにもイルシウスは我法使いのことを邪道だと思っているフシがある。
「俺は頼りにしてるさ。いつもの頼む。」
「うん、《マナーモード》」
アーティスの足音を消す。靴が濡れる程度に水の張られた堀のなかで足音を気にせずにいられるのはストラのおかげだった。
「私にはこの城下町の人々に、すべて取り戻したと報告する義務があります。どうか皆様、ご助力を。」
事前確認の済んだタイミングでシオリが音頭を取る。彼女が加入してから、肝心な時の主導権がアーティスからシオリに移っているような気がする。シオリの姫としてのカリスマなのだろう。
「ああ、いくぞ!」
《弁えろ、平伏しろ、しかして首を上げ、その身の程を知れ!》《マナーモード!》
「え?ォォオオオオオオオオ!?」
シオリが生み出す透明な城壁は地面から付きあがるようにして顕現する。当然発生する場所に立っていた魔族は勢いに吹き飛ばされる。地を抉って厚さ80cm、高さ30mの不可視の城壁は本来、轟音とともに生成されるが、ストラの我法が消音する。さっきの悲鳴も本人の脳内にしか存在しない。圧倒的質量による不意打ちがここに完成した。グシャリっと吹き飛ばされ頭から着地した魔族の破砕音もおまけでかき消し、事前に調べていた死角の通路を疾走する。時にシオリとストラの足元に城壁をゆっくりと顕現させ、足場として利用する。もとよりこの国全体を守護する四天王だったシオリは城の構造にアタリをつけられるため、スピーディに侵攻する。
「なぜ応援が来ない!?」
最後の一人はそのようなことを言ったのを読唇術で読み取る。次いでそいつは自分の口が音を紡がないことに絶望してまた不可視の城壁に吹き飛ばされる。
【汝、地に還るとき、その源を奪いと《黙れ》……ッ!」
偶然二人の存在を視認した魔族は急ぎ魔法を紡ぐも、ストラに声をかき消され無効化される。中断された魔法は必殺で、持ち主も鍛えれば七魔殿に並びうる逸材だったが、ストラの前には無力だった。直接的な攻撃はシオリが行えばいい。また一人、上空にたたき上げられる。
「目的地が見えましたね。ここからは静音は不要。あらかたイルシウスさんの方に向かったでしょうし、もう雷鳴を鳴らしてください。あえて音を出して、厨房内の子供たちと調理人に異常事態を知らせます。」
「了解、合図を鳴らす」
なぜ雷鳴なのかと言うと、アーティスにストラが救出された状況が荒天の海だったからだ。荒れ狂う海面を素足で疾走し、落雷を両手剣で受け止めて魔族を薙ぎ払う彼の姿は、ストラの魂の原風景だ。ゆえに雷鳴を再現するのが得意なのだ。
突如として鳴り響き始めた地を抉る轟音と天よりの雷鳴ともに、食糧庫の門番を吹き飛ばす。駆け抜けて来た勢いのままシオリは扉を蹴破った。カギはされていなかったが、されていても砕き開けられる勢いだった。
「ご無事ですか!?」
「……!?その翡翠の瞳と怪力は、まさか、シオリ様……?」
調理人に選ばれた者だろう。その男はぎりぎりまで抵抗していたのか。顔はあざだらけで腫れあがり、背中には撫で斬りされた痕があった。机に縛られた子供の関節はいくつかが逆向きになっており、意識はあるものの瞳は濁っていた。
「申し訳ありません、四天王でありながら私が囚われていたせいで!」
自国民の惨状に意識を割かれたシオリに代わり、ストラは確認する。
「他の子たちは?」
「あそこに……。」
調理人の指の示す方。そこには地獄が広がっていた。誰一人として血は流れていないが、骨を折られた子供たちが、山なりに積み上げられていた。気絶した者、心を破壊された者、みな共通して惨状だった。目の濁り方は死体にも見間違うほどだ。
「そんな……」
「ひどすぎる」
直視に絶えない光景だからこそ、二人は救出すべく走り寄る。どうにかして全員運びださなければ。しかしその瞬間、子供の山が少し蠢く。
「つまみ食いにきたつもりが、トンだ大金星だなァ!」
隙をついたつもりか、子供の山をかき分けて、やたらと小柄な魔族が手斧をもって飛び掛かった。最初からつまみ食いのために忍びこんでいたが、解除された音を聞き伏兵として隠れたのだろう。
「ッ……!」
先ほどまで気づかれず魔族を蹴散らしてきた二人にとってはあまりに杜撰な不意打ちだった。しかしここで不可視の城壁を顕現させては、子供ごと吹き飛ばし、屋根を崩落させてしまう。緑に光らせた瞳を消し、シオリは歯を食いしばる。
「お姫様に武器をむけるなァ!」
代わってストラが抜刀する。腰の剣を戦場で抜くのは初めてだったが、緊急の事態ゆえ、一切の雑念なく型が嵌る。アーティス仕込みの居合斬りは訓練の想定通り相手を切り裂き、小柄な魔族は二分されて床に散らされた。
途端、ストラの心臓が跳ね上がる。今までサポートに回っていた自分による初めての殺しだった。肉体を裂く感触の嫌悪感。それを自分の技で成した全能感。血流とともに昏い感情が未成熟な全身を駆け巡り、呼吸が異常なリズムを刻む。僕がやった、その実感は想定以上の混沌を脳に齎す。筋肉が強張り視線が揺らぐ。涙腺がわずかに緩んで涙が頬を伝う。どころか、唇から唾が伝っていた。走り抜けてかいた汗とは別種の、冷たい汗が背中を濡らす。それらがより根源的な興奮を加速させ、人間性を引っぺがそうとする。
「ハッ……ハッ…ハ、ハッ…グゥッ」
「ッ、今はいけない!私を見て!ありがとう、大丈夫だから!」
遠のく意識をつかむが如く、シオリはストラの肩を抱いて見つめる。今ショックに呑まれてはいけないし、殺しの感触が癖づくのもダメだった。これほどの衝撃とは想像していなかったが、ストラの方も準備はしていた。呼びかけに視線で応じ、なんとか呼吸を取り戻す。
「フッ……くッ、大丈夫、やれる……!」
復帰の速度が尋常ではない。アーティスにストラがどれだけ仕込まれているかが伺える。唯一まともな調理人だけが、子供たちが兵士として完成しているという事実に慄く。
「……ここは私が城壁を張って守ります。イルシリウス様の状況はわかりますか?」
「待って、風の中から彼女の声を拾ってみる」
我法を行使し、数百m離れたイルシリウスの音を風から探す。結界術を通して魔力消費を負担してもらっているため、感覚的につながる要素がある。いつもやっている逃亡した魔族の追跡よりかは技術的に楽だった。
「見つけた。音量を拡大するよ。」
《フハハハハハ!!躊躇いのいらない暴力は愉しいものだなあ!!焼けただれろ、凍てつき停止し、五臓六腑を晒して死ねッ!!埋まれッ溺れッ潰れて絶えろオ!!!》
それは確かにイルシリウスの声だった。
「もういいです止めてください。大丈夫そうですね。」
「強くはなりたいけどこうなりたくはないんだよな。」
ストラも殺しの瞬間に一歩間違えればこうなっていたかもしれないが、幸いにも反面教師に恵まれていた。
そんな愚痴を聞いていたかのようにイルシリウスの担当する区画から天を貫かんばかりの光の柱が発生し、風圧で髪が反る。それは相反する属性をぶつけ合わせる反発から生み出される、反物質魔法だ。あそこではもはやイルシリウス以外の一切が消滅したことだろう。天を貫くどころか世界の法則に挑まんとするかのような超越的な光。世界が終わるときには、きっとあんな光が発生するのだろうとその場にいる全員が思った。あまりの力の放流に虐待で壊された子供たちが何人か活力を取り戻している。心をそのまま閉ざしてしまうよりかは、破壊に魅せられる方がまだマシかもしれなかった。
「取り戻した後はまたこの城を拠点にする手筈なのに……。」
「櫓と城郭ががっつり欠けましたね。空間にヒビまで入ってます。どうするんですかねあれ、私の国の城ですよ?」
勇者パーティが少数で動く理由の一つは、イルシリウスの破壊規模が大きすぎるからだ。彼女の破壊が信奉者すら生み出してしまうし、危険すぎて恐れられることもある。
「彼女に近づくと危険なので、アーティス様に言伝をお願いします。粗方片付いていますが、音は消して。彼のそばまで行けば安全です。」
「わかってる。」
魔王を四度しりぞけたアーティスに助けはいらないだろう。だが連絡要員こそストラの天職だった。アーティスのそばが一番安全である、という共通理解がパーティ全員にあった。
天守閣最上階、戦闘の果てに壁に空いた大穴から、アーティスは風景を眺めていた。その背面にはおびただしい量の死体が無造作に転んでいた。全滅、皆殺し。そんな地獄絵図とは対照的に、平原と雨模様は美しかった。なんか下から凄まじい光の柱が立って、とんでもない風圧が来たし、何もない空間に裂け目が入る瞬間もあったが、イルシリウスとともに戦うとはそういうことなので、あとのことは考えないようにした。
────俺はクズでな。戦場にガキ連れ込んじまってる────
戦いの高揚感が、罪悪感を吐き出させた。わかっている、子供を守るのが戦士の仕事だ。だが荒天のあの日、ストラと出会ったあの船でのこと。魔族の詠唱を《黙れ》の一言で止めたストラにこう思った。
こいつは使える。
それまでは勇者と呼ばれようとも単独無双に条件が必要だった。補給はいるし不利相性もある。もっと兵士に混じって戦っていた。だから勇者である自分を生かすためにたくさんの兵士が犠牲になった。いくらかの戦いでは「勝つために死んでくれ」と、口にしたこともあった。だから、思ったのだ。子供一人の献身で、数百人が助かるならいいじゃないか。なんせ、その犠牲になる兵士にも家族がいて、誰かの親で誰かの子供だ。足し算と引き算の話。必要なことをしただけだ。これは絶滅戦争なんだから。
「言い訳だな、俺は……。」
ただ、犠牲にしてきた兵士、死んでくれと言った兵士の家族に、こう言われるのが怖かった。
────ありがとう、あなたのために死ねて、きっと我が子も光栄でした────
そんな言葉から逃げたくて、本来なら安全地帯にいるはずの子供すら巻き込んで、少数での戦いを選んだ。必要な場所に自分たちを売り込む傭兵という形をとった。勇者パーティの本質は、そんな彼の後ろめたさだった。
そんな感傷を、しかし『七魔殿・序列二位』は見逃さない。
「……!くるか!?」
それは魔族の中で『魔王』に次ぐ『魔天アルスーラ』が、6000km離れた地点から放った失速することなく加速し続ける鋼鉄の一矢。遠ければ遠いほど強力になる我法の一撃だ。どこから放たれたかなど到底予測できないが、修羅の勇者は磨かれた戦闘センスと第六感で知覚し、構える。
「来やがれェ!!!」
今日この日、最大の闘志で必死の一矢を迎え撃つ。回避はありえない。加速により圧倒的な破壊力を持ったであろう一撃は城の構造を破壊するだろう。そうして数千km離れた狙撃にもかかわらず狂いなくアーティスに向かってきた一矢とグレートソードがぶつかり合う。
《かつて大岩を砕いた大男がいた》
《過去に大船を持ち上げた偉丈夫がいた》
《太古遡れば、その両足で象の突進を受け止め耐えた者がいた》
怪力の歴史を我法で次々呼び起こし、拮抗する。そして仕上げに
《かつてその一突きで、嵐を貫いた槍の王がいた!》
横から義手に握られた槍が弓矢を貫き落とし、修羅の勇者は死線を超えた。
『魔天アルスーラ』は我法を二つ持つ唯一の存在だ。『物体を加速させる力』と、『地上のあらゆる場所を見通す万里眼』。全ての大地を視界に収めているため、あとはどこに集中するかで焦点を選ぶことができる。それでも目標に向かっていく弓の技術は自前の物で、加速し続ける矢の軌道を演算する思考回路は驚異的だ。開戦当初は多くの為政者、将校、武芸の達人が訳のわからぬままアルスーラに殺された。絶滅戦争開始時に人間同士での暗殺があるのはないかと誤解が起き、陰謀論も流行し大混乱だった。四天王の一人や多くの我法使い、精鋭が一致団結しアルスーラを特定して全滅と引き換えに片目を潰すことで以前ほどの虐殺は起きなくなったが、それでも1日に一矢、必ず戦局を揺るがす人物を世界中から選んで放っている。
「俺はストラを……守れるのか?」
視界しか広くないアルスーラはストラの我法を認知できていないだろう。しかしアーティスはストラを鍛えるつもりだ。見立てが確かなら、自分を超える、ある種の魔族特効の存在になれると期待していた。しかしストラが完成したそのとき、アルスーラの照準が彼を貫く。あり得る話だった。
そんな未来を想定しながら、修羅の勇者アーティスは階段を下る。この城は再び人に委ねられたが、彼の心は不安に揺らいでいた。
「アーティス、終わったんだな!」
そんな心を知ってか知らずか、ストラが合流してきた。
「……お前、シオリ様はどうした?」
「あんたのそばにいるのが安全だってさ!」
そもそも戦争に使っておいて?そんな自嘲を心に押しとどめた。
「それに、見てくれよ!」
ストラは抜刀し、刀身を見せびらかした。そこには魔族の血がこべりついていた。
「僕、やったよ!初めて魔族を殺して、シオリを守ったんだ!」
「…ッ…そうか。よくやった。」
無邪気な笑顔だった。返り血に塗れた俺を見ても、平気な顔で話をするようになったのは、いつからだ?そうアーティスは考える。我法で歴史を検索すれば一発でわかるが、それはできなかった。
「補給部隊を連れ込んで、城下町の住人に解放を伝える。後処理が終わるまでが作戦だ。」
「あ……そうだよね!」
自分がストラという少年を戦争で染めた。自己嫌悪を噛みしめ、修羅と勇者の境目にいる男は、再び歩き始めた。
感想とか評価くれると嬉しいです。なろうの右も左もわからないのでご指南ください。