雪あそびとやきもち
「わぁっ!」
期待に胸を膨らませて窓を開けたそこは、白銀の世界。
朝の陽の光をうけてキラキラと眩しい。
雪だ! 雪だよ!
寝る前に降り始めた雪が夜の間に降り積もった。やった!
急いで顔を洗い、紺色の騎士服に着替え、部屋を飛び出していく。
(一面真っ白な鍛練場を一人占めだ!!)
…………などという高まった気持ちは、しぼんで消えてしまった。
鍛練場から野太いはしゃぎ声が聞こえる。まだ早朝なのに、一人や二人では無さそうだ。
たどり着いたそこは、きゃっきゃと笑顔で走り回り、童心にかえって雪を投げ合う大人達の姿。
少年も一人だけ混ざっている。
「あ、リアおはよう」
「……」
鼻の先を赤く染めたレイヴィスに声をかけられるも、挨拶を返すこともできず、私は呆然と立ち尽くした。
真っ白平らだったはずのそこは、そこかしこに茶色が混じり、大きな玉もごろごろと転がっている。
(そんな……そんなのってあんまりだ)
絶望していると、レイヴィスが顔を覗きこんできた。
「リア、この世の終わりみたいな顔しないで。大丈夫だよ!」
「……大丈夫? 何がですか?」
「ほら、あそこ見て!」
レイヴィスが鍛練場の奥を指差した。
「あそこはまだ綺麗だよ。皆でリアの為に残しておいたんだ」
「!!」
……本当だ。 絶望で視界が狭くなっていたけど、遠くの方に真っ白な空間が残っている。
私は一心不乱に駆けていき、ふわふわの上にダイブした。
ぼふっと音がし、むぎゅむぎゅと体が沈んでいく。
ガバッと起き上がると、くっきりと私の形の窪みが出来上がった。
「えへへ……」
これだ。これをしないと始まらない。
「お嬢の形……」
「うわっ、いいな! オレもそこはまりたい!」
「やめろ、リアーナ様が穢れるだろ」
「そう言うお前だって同じこと思ってるだろうが」
「おまっ、それ言うなって」
やいやい騒ぎながら騎士達が寄ってきた。
あなた達はもうやったのだろう。ここは譲ってなるものか。
「入ってこないでください。ここは私が一人占めする場所です」
彼らにこの場所を残しておいてもらった立場なんだけど、楽しみを奪われてなるものか。何としてでも死守してみせる。
「もちろん入らないっすよ!」
「ごゆっくりどうぞっす」
彼らはさすがの大人の余裕で、ぷくーっと頬を膨らませた私に、嫌な顔ひとつせずにこやかだ。
安心して私もすぐに笑顔になれた。
さぁ、次にいこう。
立ち上がり両手を広げて雪の上に飛び込む。それを何回も繰り返し、あちこちにリアーナ型が沢山できあがった。
(ふう、満足だ)
一息吐くと、近くではまだ騎士達が羨ましそうにこちらを見ていた。
まさか彼らはこれをやらずに雪で遊んでいたのだろうか。愚かすぎる。
「雪に埋まるのは満足しましたので、誰か一緒に遊んでください」
「おっしゃ、お嬢も一緒に雪合戦しましょう」
「はいっ!」
じゃんけんで二チームに分かれて、ひたすら雪を投げ合うことになった。
勝敗なんてものはなく、ただひたすら投げまくる。
最初はきゃっきゃと逃げ回っていた人達は、いつの間にか両手を広げて待ち構えるようになった。
おもいきり雪玉をぶつけても、もっとぶつけて欲しいと言ってくる始末。
楽しすぎて皆テンションがおかしくなっている。
とにかくはしゃぎすぎて、頭からつま先までぐっしょりと濡れてしまった。
乾いている所はなさそうだ。
「リア、そろそろお仕舞いにしよっか。着替えた方がいいよ」
「まだ遊びたいです。風邪を引いても癒すから大丈夫ですよ」
冷たいけど、今遊んでおかないと。天気がいいから昼までには溶けてしまう。
「いや……目のやり場がね……」
気まずそうにレイヴィスは言った。
そうか、確かに。全身びしょ濡れの貴族の娘なんてみすぼらしくて見ていられないだろう。
名残惜しいけどお仕舞いにしよう。
「分かりました……」
シュンとして鍛練場を後にしようとすると、レイヴィスに腕を掴んで止められた。
「待って。ちょっとそこでじっとしててね」
「?? 分かりました」
言われた通りじっとしていると、レイヴィスは自分の両手を見つめた。
そして私に両手を向けた次の瞬間、ふわりと温かな風が私を包み込んだ。
「わあ、温かい!」
なんとも絶妙に温かい風。気持ちよさを堪能しているうちに、髪の毛も上着もみるみるうちに乾いていった。
「どう? 全部乾いた?」
「えっと、少し待ってくださいね」
私は上着を脱いで、白い長袖シャツ姿になった。
「中のシャツがまだ濡れてまして、お願いします」
「っっ、分かった」
レイヴィスは目を閉じて集中し、温かな風を再度当ててくれた。
服の隙間からも温かな風が入ってきて、下着もちゃんと乾いた。
そこまで脱ぐわけにはいかないと思っていたところだ。
さすが、気が利くなぁ。
「ありがとうございます。今のは火魔法と風魔法の複合でしょうか?」
「そうだよ」
「すごく気持ち良かったです。またびしょ濡れになったらお願いします」
「…………うん、任せて」
レイヴィスは気まずそうな顔で目をそらした。
二つの魔力を複合させることは、すごく大変なのだろうか。
軽々と頼んで申し訳なかった。
「大変そうなのでやっぱりいいです」
「いや、全然大変じゃないから大丈夫だよ……」
そう言って、レイヴィスはしばらく膝を抱えて休憩していた。
私よりも早くから雪で遊んでいたから、疲れたようだ。
* * *
昼食後の鍛練場で、俺は目当ての人物に駆け寄った。
「マーロウさん、手合わせ願えますか?」
そう声をかけると、あからさまに嫌そうな顔をされた。俺の思惑がバレバレだからだろう。
「えー……お前とやるの嫌なんだよなぁ。全部盗まれんじゃん」
「そんなこと言わず、お願いします」
だって、他の人の戦い方はもう覚えてしまった。
そもそも俺にはパワータイプの騎士達の真似ごとはできない。
そう、この人ほど手本にしたい戦い方をする人は知らない。
王都に行くまでに、マーロウさんから技術を盗めるだけ盗ませてもらうつもりだ。
「やだっつっても、どうせ俺のこと観察するんだろ。それなら手合わせしても一緒だしな。やってやんよ」
「ありがとうございます!」
マーロウさんは両手に木剣を構えた。
やる気が無さそうだった顔は鋭い目付きに変わり、一帯がピリッとした空気に包まれた。
この瞬間が本当にぞくぞくする。
結局、一時間程相手をしてくれた。
俺の体は打ち身と凍傷だらけでボロボロだ。
リアーナから貰って保有していた聖なる光も尽きてしまった。
二刀流の攻撃を何とかするのに精一杯で、氷の魔力を吸収する隙を与えてもらえなかった。
リアーナが暑がってる時に役立ちそうだからすごく欲しかったのに、残念だ。
くださいってお願いしたらくれるかな。
マーロウさんは、『リアーナに癒してもらえよ、じゃあな』と言って鍛練場を後にした。
(あー……疲れた……)
仰向けで寝転がっていると、頭上に影が落ちた。
* *
「レイ、大丈夫ですか?」
「全身隈無く痛いかな」
レイヴィスは、へへへと眉尻を下げて力無く笑う。
あのバカ兄は手加減というものを知らないのか。
呆れながら癒しの光で怪我を治すと、レイヴィスは上半身を起こした。
「ありがと。リアから貰った光のおかげで、マーロウさんと一時間はやりあえたよ」
「それは良かったです……最近よく兄様と手合わせしていますね」
兄は父の執務を手伝ったり視察に同行する時以外は鍛練場にいるけれど、レイヴィスと手合わせしているところをよく見かけるようになった。
「マーロウさんは本当に凄いよね。尊敬しっぱなしだよ。だから無理を言って手合わせをお願いしてるんだ」
「そうですか……」
複雑な気持ちが渦巻く。
兄にレイヴィスを取られたみたいでくやしくて、胸がもやもやとする。
兄は全てに優れているから仕方のないことだけど、くやしい。
「あの……レイのことできるだけ満足させられるように頑張るので、私の相手もしてほしいです……」
俯きがちにお願いすると、レイヴィスは勢いよく立ち上がった。
「もちろんだよ、ちょっと走ってくるね!」
早口で言い終わるとすぐに、彼は走り去ってしまった。
何だか逃げられた感じがする。
レイヴィスの実力はとっくに私よりも上になっている。
(もう私と手合わせをしても意味無いのかな……)
彼の成長を喜ばしく思う気持ちはもちろんあるけれど、置いていかれたみたいで寂しい。
膝を抱えて座っていると、すぐにレイヴィスが戻って来た。
「リア!? 何で泣いてるの?」
「……え?」
言われて初めて頬をつたうものに気付いた。
「もしかして俺のせい?」
「ちがっ、違います。自分のせいです。私が我が儘なだけで……その、もう私は必要無いのかなって不安になって、あなたを兄様に取られたみたいで寂しくなってしまって……」
「…………」
正直に理由を説明すると、レイヴィスが口を押さえて肩を震わせだした。
我が儘すぎて呆れられたかもしれない。
(……あれ? 呆れてる表情じゃない?)
レイヴィスは涙目になり、頬が赤く染まっていく。
取られたって物みたいに言われたことに、怒ってしまったのだろうか。
不安に思っていると、彼は震える声で呟いた。
「うわー……やきもちだぁ……どうしよ、嬉しすぎる。死にそう……」
「嬉しい? 呆れていないですか?」
「呆れるはずないよ、すっごく嬉しい」
レイヴィスは、私の不安をぬぐい去るように優しく笑いかけてくれる。
「俺がマーロウさんとばかり手合わせしてるから寂しく思ってくれたのかな? ごめんね、学園に行くまでに少しでも技術を盗みたかったんだ。あと、リアが必要無いなんてことは絶対に無いから。さっき走って逃げちゃったのは俺個人の問題で……理由はちょっと言えないんだけど……」
最後の方は目をそらして言ったので、そこは追及しないことにした。
我が儘を嬉しいと言ってもらえただけで充分だ。
兄と手合わせできるのは、学園に行く前の今だけだ。仕方のないことだった。
レイヴィスは私が大好きな優しい笑顔と共に言葉を続ける。
「不安にさせてごめんね。リアのこと大好きだよ」
……ああ、私って単純だ。
たった一言で、兄への劣等感も寂しい気持ちも吹き飛んでしまった。
「えへへ、私も大好きです」
恥ずかしいけれど素直に気持ちを伝えたら、レイヴィスはその場にしゃがみこんで、顔を両手で覆ってしまった。
「ダメだ、嬉しすぎる……死ぬ……」
小さな呟きが聞こえた。