兄が帰って来たよ
「たっだいまー! 帰って来たぞー」
昼過ぎの辺境伯家の屋敷にバカ声が響き渡る。
もっと静かに帰ってこれないものか。
声の主は兄のマーロウ。
学園を卒業して王都から戻ってきた。
長期休みにも面倒くさがって一度も帰ってこなかったので、会うのは三年ぶりである。
「あー……やっぱここが落ち着くなぁー……」
彼は帰って来て早々、居間のソファーでだらけだした。
三年前までよく目にしていた懐かしい光景だ。
「兄様……まったく成長したように感じないのですが」
元々高かった背は一層高くなり、顔つきはキリリと涼しげ。黙っていれば貴公子な見た目はさらに上がったけれど、中身は少しも変わっていない。
兄はソファーでぐでーっとしながら、やる気のなさそうな顔だけこちらに向けた。
「そんなことないってぇー。俺、めちゃめちゃ頑張ったんだからな、ほんと。お前が学園に通うようになったら、俺がどれだけ頑張ったか分かるって。マジでー」
「そうですか」
全く信用ならないが、本当であってくれることを祈るほかない。
夕食時は久しぶりに家族四人が揃った。
バカ兄といえども何だか嬉しい。
「マーロウ、本当に頑張っていたみたいだな。王都の友人達から話は聞いてるよ」
「ええ、いい噂しか聞かなかったわ。よく頑張ったわね」
父と母が兄を褒めている。どういうことだ。
「本当ですか? お父様もお母様も一度もそんな話をしたことがありませんよね」
「話したところで信じないだろう」
父の一言に、ああ確かに、と納得する。
今でもまだ半分疑っているし。
「ホントなのになぁ、ははっ。あ、ついでに俺婚約したから。相手は来週こっちに挨拶に来るからよろしく」
「……え? それも初耳なのですが」
「話したところで信じないだろう」
確かに。相手に会ってようやく半分信じるぐらいだ。
仮に本当だとしても、大丈夫なのだろうか。
「そのお相手、兄様の本性を知っているのですか?」
「もちろん知ってるって。じゃなきゃ詐欺っしょ。何かさ、ギャップが堪らないとか言ってたぞ」
「そうですか」
それならいいが。
しかしなるほど、公私の差の激しさに惚れたのか。
(え、ギャップにも程があると思うんだけど。大丈夫なのかな……)
また違う不安がよぎる。
* * *
一週間後、兄の婚約者が我が家にやって来た。
「お初にお目にかかります。モニカ・マクレーンと申します。よろしくお願いいたします」
「初めまして妹のリアーナです。こちらこそよろしくお願いいたします」
ラウンジにて、兄の婚約者と対面する。
ウェーブがかった長い焦げ茶色の髪に水色の瞳の、おっとりした色気のある美人さんだ。
スタイル抜群、お胸はたゆんたゆんである。
彼女からいろいろと話を聞く。
何と、兄は本当に学園では貴公子の皮を被り続けたらしい。
『氷の貴公子』と呼ばれ、ファンクラブなるものも存在したとか。
氷の貴公子……何とも恥ずかしい呼び名だ。
そんな呼ばれ方をして、兄は平然としていたのだろうか。
よく馬鹿笑いを我慢できたなと、感心した。きっとものすごく堪えたに違いない。
モニカさんと兄はクラスメートとして仲がよくなり、三年生に進級する前にモニカさんの方から告白したそうだ。
兄の方も彼女のことを特別に思っていたそうで、告白を受け入れる前に、きちんと本性を見せたそうだ。
「あの時のことは忘れられません。誰もが憧れる貴公子のだらけきった姿を見て、私は感動にうち震えました」
「はは、ほんとおっかしいよなぁ。幻滅して泣いて震えてるのかと思いきや、感激の涙だったなんてな」
(本当によく幻滅しなかったな)
奇跡としか思えない。
「幻滅なんてしません。完璧な立ち振舞いと麗しいお姿にだけ惹かれたわけではありませんから。むしろ、肩の力を抜くこともあるのだと安心しました」
「そうですか。兄の場合、肩の力を抜くにも程があると思いますが……」
私がそう言うと、そのギャップが良いんですよ!と、兄の素晴らしさとやらを延々と熱く語られることになった。
聞いている方が恥ずかしくていたたまれない。
そろそろ止めてほしい。
何度も思いながら、じっと耐えた。
なんにせよ、兄とモニカさんは本当に好きあっているようで、それは安心した。
兄がこんなにも優しい眼差しを誰かに向けているのを初めて見た。
私に対する態度と全然違う。
時おり目があった二人が見つめあいだし、こっちがちょっとドキドキした。
そういうのは二人きりの時にやってくれ。
モニカさんは二日間滞在して、マクレーン伯爵領へと帰っていった。
来年からここで一緒に住むようになり、結婚の準備を進めるそうだ。
義理の姉になる人が素敵な人で良かった。
* * *
今日も今日とて鍛練に励む。
レイヴィスと走ってから鍛練場へと行くと、光を纏った私は両手を広げて無防備な状態で立ち、そして懇願した。
「レイ、さぁお願いします」
「本当にいいの?」
「いいって言っているでしょう。ほら、思いっきりいってください。できるだけ強くお願いしますね」
「……分かった」
レイヴィスは気が進まないといった表情をしながらも、私の頼みを呑み込んでくれた。
行くよ、と言われた次の瞬間には、私の腹部に一撃が入っていた。
「っ、わわっ」
覚悟していた数倍の強烈な蹴りに、私はずいぶん後ろに吹き飛んだ。
上に蹴り上げられていたら宙を飛んでいただろう。
レイヴィス、本当に強くなったなぁ……と、何だか感慨深い。
「リア、大丈夫?」
彼はすぐに心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「はい。さすがに衝撃はどうにもできませんでしたが、でもダメージは全く無いので大丈夫ですよ」
「よかったぁ」
レイヴィスはへにゃりと笑った。
「かっっ……!」
かわっ、かわわわわ。
「えっ、やっぱりどこか痛い?」
「いえ、大丈夫ですよ」
にっこり笑ってごまかした。
レイヴィスのかわいさは留まることをしらないようだ。
この子は王都の学園に行ったらモテモテだろう。間違いない。
それはさておき、ダメージがないとはいえ、物理攻撃を真正面から食らった時の衝撃はさすがに消せない。
無抵抗で腕を組み、『ふははは効かん』という無敵アピールをやりたかったのに。残念だ。
「ねぇリア、無抵抗は無理でもさ、相手の力を利用して逆にダメージを与えられたら良いと思わない?」
「そうですね。それなら相手の力が強ければ強いほど、相手にもダメージを与えられそうですけど……」
とは言っても、そんな技術を身に付けようが無い。
ここの騎士団は力でゴリ押しタイプの脳筋ばかりなので、そんな戦闘スタイルの人はいない。
母はそういう戦い方をするけれど、水の魔力があってこその技術だ。
「俺さ、教わるのに一人心当たりがあるんだけど……」
「?? 誰ですか?」
「マーロウさんだよ」
「……え? 兄はそんなタイプでは無いですよ」
「取り敢えず話を聞きに行こうよ」
笑顔のレイヴィスに手を引かれ、有無を言わさず兄の元へと連れて行かれた。
「は? 相手の力を利用する戦い方?」
レイヴィスに聞かれた兄は、何言ってんの?
というような顔をしている。
そうだよね。兄は馬鹿力で相手を攻めるタイプだ。
「……何で俺に聞くんだ?」
「だって、マーロウさんはそうですよね」
ちょっと真面目な顔になり声色も低くなった兄に臆することなく、レイヴィスは淡々と穏やかに話す。
二人はしばらく無言で見つめ合う。
そして、兄は観念したように大きく溜め息を吐いた。
「お前……よく分かったな」
「この前、騎士達と素手で戦っているところを見て気づきました。マーロウさんは自分の力はほとんど使わずに戦ってるなって」
「はーっ、観察力すげぇな。その通りだよ」
(何? どういうことだ?)
意味がわからない。
兄は 学園から帰ってきてから、手合わせしている相手を投げ飛ばしたりしていた。
会わなかったこの三年間で筋力がすごくついて馬鹿力になったなと恨めしく思っていたけど、違うということだろうか。
「自分の力使うとか疲れるじゃん。できるだけ楽したくてさー、何となくでやってたら、いい感じに自分の力で倒してる風にできるようになったんだよね、ははっ」
(何だそれ。ほんとムカつくな)
嫉妬の炎がメラメラと燃え盛る。
ムカつくけど、この人に教わるのが一番な気がして、それもまたムカつく。
何だこの才能の塊は。もう嫉妬することすらアホらしい。
「兄様、私にやり方を教えてもらえませんか?」
「あー? 別にいっけど。俺、人に教えんの下手だからな」
「それは知っているので大丈夫です」
「そっか。そいじゃまぁ教えてやるよ」
「よろしくお願いします」
そうして、私は不本意ながら素手での戦い方を兄から教わることになった。