(一)
雨上がりの雲間から覗く太陽が熱い眼差しを大地に送り、それに
応えるように大地の息吹きが蔽っていた梅雨雲を吹き飛ばし
て、山里にも初夏が訪れようとしていた。嘗てなら比応なく夏本番
の到来を今か今かと待ち望んだものだが、昨今はさてどういう因果
なのかこの時期には必ずと言っていい程どこかで豪雨による水害が
発生し、唱歌「夏は来ぬ」に唄われた活き活きとした初夏は水害と
猛暑をもたらす忌まわしい季節へと変わってしまった。何れ「夏は
来ぬ」の「ぬ」は打消しの助動詞だと思われる日が来るのかもしれ
ない。そうなれば二番の歌詞、
「五月雨の そそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ」
(作詞:佐々木信綱)
も、
「ゲリラ豪雨がそそぐ休田に
お年寄りが首まで浸り
玉萎え憂うる夏は来ぬ」
(作詞;ゆーさん)
と、替えなければならない。しかし、それらのことは我々の「怠(お
こた)りを諌むる」自然からの警告ではないだろうか。もしも、
雨を降らせる神様が居るとしたら予め決められた量の雨を一度にまと
めて降らすというのは随分と荒っぽい仕業ではあるが、その荒っぽい
仕業に仕向かせたのは紛うこと無く我々の仕業なのだ。我々は、雨は
天の恵みだと思っているが、実は、大地の恵みなのだ。夜明けと共に
上がった雨は、山々の樹木の新緑の若葉を洗って活き返らせ、透き通
った大気の中を真っ直ぐに届いた朝日を浴びて、若葉の一枚一枚がそ
の葉脈までも際立たせ、今を生きる歓びに震えながら初めて吐いた酸
素が再び大気に還った。そして、甦った大気は新緑に萌える樹木や遠
くの山々をも輝かして、その大気の中をホトトギスの甲高い鳴き声が
隠し切れない歓びを忍ぶことなく辺りの山々に響かせていた。木々を
洗った五月雨は大地に落ちて上流の渓谷を駆ってきた雪解け水と合流
して荒々しい通奏低音を奏でていた。若葉に遮られた影は微かな動き
も逃さないように小刻みに揺れて大地の草々を撫でていた。ああ、何
と美しい世界だろう!此処に在ること以上の歓びなどあるのだろうか。
「我々は何と過った幸せを追い求めているのだろう」
木漏れ日が煌めく緩やかな山道を登りながらそう思った。
(つづく)