失礼を言いますが。
「失礼を言いますが、ユーリ様が将来誰かを好きになって婚約破棄され捨てられる可能性を疑っております」
「ははっ、マリアンヌは本当に僕に失礼だね! いっその事清々しい」
ユーリ様は爽やかに微笑んで、紅茶を飲んでいる。
私、マリアンヌは王宮の中庭でお茶を楽しんでいた。
もちろん、婚約者で王太子のユーリ様とだ。
つい最近までただの辺境伯の娘で、伯爵令嬢しか肩書のなかった私だ。
王太子の婚約者でなければ、あまり王宮に入る機会などないだろう。
それが……
この前開催された舞踏会で、ユーリ様に一目惚れされた。
王太子様から一目惚れ。
嘘でしょうと思う。
私なんか、お姉様が熱を出して代わりに出席しただけなのに。
私なんかよりお姉様の方が綺麗で優しい。
「信じられません。またどなたかに一目惚れするのではないですか? あ、一目惚れが分かってないのでは」
好きだからと、舞踏会の後にそのまま王宮に引き留められている。
このままユーリ様は一目惚れした娘でハーレムをつくる可能性も十分あり得る、と思う。
何か抜け道があるはずだ。
「もしもし、マリアンヌ。分かっているだろう。王族は結婚さえしてしまえば神の力で裏切らない」
「だから婚約破棄をするのでは、と」
「割と急がせて3ヶ月後に結婚だよ?」
ユーリ様がゆるく首を振った。
でも、信じられない。
そう、この国の王族は結婚したら離婚はできない。
何故ならこのハーツネス神王国は、愛の女神ハーツネス様の加護の元に栄えているからだ。
王族は愛の女神の名の下に結婚し、2人の愛を愛の女神に捧げる。
『死が2人を分かつまで愛し合う事を誓います』と。
すると、物理的に離婚できない。
お互い他のものと重婚もできない。
しようとすると、急病、落雷、異常気象……。
その後は、神の怒りをかうので検証が進んでないそうだ。
「はっ、そうだわ! こちらから婚約破棄すれば、ユーリ様からは婚約破棄されない!」
私ははしたなくも立ち上がり、名案に声をあげた。
そうしたら私はもうユーリ様を疑わなくていい。
「そちらからは婚約破棄を言い出せないからね。念のため言っておくね。婚約は王も認めてるから」
ユーリ様が落ち着いた声にテンションが下がった。
私はゆっくりと椅子に座り直す。
チョコレートを味わって食べる。
脳に糖分が染み渡るわ。
まだ手はある。
「ここで秘密兵器の登場ですわ!」
私は勝利を宣言した。
「ユリアンネ・ド・タージ・ノクリス様がいらっしゃいました」
控えめな女官の声が響く。
「私のお姉様ですわ。通していいですわね」
「突然だね。いいよ。ご挨拶しなくては」
王子の許可で、お姉様が光り輝きながら入場した。
今日もお姉様は美しかった。
光魔法の使い手だから、物理的にいつも少し金色に輝いているし、まるで人形めいて美しい。
お姉様は少し困った顔をしながら、私たちの側まで来て、王子に向かって礼をした。
「ユリアンネ・ド・タージ・ノクリスでございます」
「顔を上げて。僕はユーリ・ド・ハーツネスだ。大事な妹御と結婚するが、よろしく」
ユーリ様がお姉様に向かって、割としっかりと頭を下げた。
私は慌ててユーリ様に駆け寄る。
「ちょ、ユーリ様。臣下に頭を下げてはいけません。私はそんなつもりでお姉様を呼んだわけでは」
「いいじゃないか。結婚したら、僕にとって義理の姉上だ」
駆け寄った私の頭を、ユーリ様が優しく撫でた。
「どうですか? 私のお姉様は美しいでしょう! 好きになりましたか?」
「この状況で肯定する人っているのかなぁ。マリアンヌは本当に面白いね」
なんかユーリ様はいまいち手応えがない。
私はそれが不満で頬を膨らませた。
「だめよ、あまり殿下を困らせては。いつもマリアンヌは私を美しいと褒めてくれるけれど、それだけではだめなのよ。美しいだけなら人形で事足りるでしょう」
お姉様が、ユーリ様が私を撫でた後に私の頭を撫でてくれた。
「お姉様は美しく優しく賢いわ」
「ふふっ、ありがとう。マリアンヌもちゃんとしようと思えばできるのだから、殿下と仲良くね。あなたが結婚する前に会えて良かったわ」
お姉様は私と少しお話しした後、あっさりと帰ってしまわれた。
ついでに、王都でないとできない仕事も済ませてから帰るそうだ。
私はややあってから、思い切って口を開いた。
「失礼を言いますが、結婚したとしても。いくらこの国の王と王妃が愛の女神の加護で、お互い以外と添い遂げる事ができなくても。それでも、心は縛れないでしょう」
「ははは、神様にも失礼とか、マリアンヌは攻めてるね」
とうとう言ってしまった神への不敬にも、ユーリ様は柔らかく笑っている。
私みたいなひねくれた女を選ぶなんて、ユーリ様は本当に何を考えているのだろう。
「失礼ですが、何を信じられるというのですか。婚約も女神様も信じられない。心さえも信じられない」
何も信じられるものなんてない。
私なんて、美しく優しく賢いユリアンネお姉様のスペアだ。
スペアらしく、珍しく熱をだしたお姉様の代わりに舞踏会に出たの。
皆、『あれ? こいつは誰だ?』って顔をしていたわ。
エスコートしてくれた叔父上も、『今日だけ頑張ればいいんだから』って。
まあ、私は次期伯爵になるお姉様の指示に従ってタイミングを見て嫁げば良いだけだから。
舞踏会で男を見つける必要もない。
そう思っていた。
だけど、王族の入場が宣言されてユーリ様を見たら……。
私は……。
「僕は君の心を信じてるけどね。割と。婚約破棄なんてされたくない。捨てられたくない。神の加護に頼らないで心から愛して欲しいっていう、君の僕を愛する心を信じてる」
ユーリ様は私の気持ちを分かっていた。
いつの間にか、ユーリ様が私の顎を少し持ち上げて、目をじっと覗きこんでいた。
「失礼ですが、私はユーリ様よりユーリ様を愛しております。この気持ちはユーリ様より負けません。ユーリ様を形成する一つ一つを愛しています」
そう、私はユーリ様を一目見て好きになってしまっていた。
王太子としての孤独な眼差し、でも完璧に見える微笑み、まろやかな曲線を描く頬。
ユーリ様を包む空気の雰囲気。
そして、そんな私の視線に気づいた時のユーリ様の微笑みは私の心を射抜いた。その跡は、甘い痛みとなって今も私の心に残っている。
「ははっ、それを真顔で言うのがマリアンヌらしいよね。いつまでも飽きないなぁ。そんなマリアンヌが好きな僕をそろそろ信じてくれてもいいのに」
ユーリ様のからかうような声音に、私はそっと目を閉じた。
「疑い続けます。死が2人を分かつまで」
「僕は何回でも言うね、マリアンヌを愛してる。死が2人を分かつまで」
ユーリ様の唇が私にそっと触れた。
瞬間。
辺りが光に包まれ、
「2人の愛に祝福あれ」
と女神ハーツネス様と思われる声が響いた。
後で、王様や宰相様が
「結婚の儀の前に結婚してしまうなんて!」
と嘆いていた。
「いや、あの、マリアンヌがとても可愛くて」
と、ユーリ様が珍しく焦ったように言って、真っ赤になっている私を背にかばった。
という事は付け加えておこう。
いつも泰然とした様子を崩さないユーリ様が、焦ってる様子も素敵だった。