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機械生命ノ血ト涙

作者: 依静月恭介

「よいっ、しょ……っと」


 ベルトコンベアを流れてくる直方体を弄り終え、男は背後に設置された納品用の棚へ半ば投げる様に置く。


 男のいる場所は、殆ど全ての物が無機質な金属の銀色で構成されている。


 流れてくる一辺六センチメートル程度の直方体、それを運ぶベルトコンベア、右側に存在する、ベルトの源流たる『マグノリアの(はこ)』も――それぞれ明暗の微妙な差異はあれど、一様に銀色と呼んで差し支えないであろう配色をしている。


「……」


 そこで作業は一段落終えたのだろうか。ベルトコンベアが何も載せない事を不思議に思い、男は右側の巨大な匣を見つめる。


 ――二十一世紀の突入から数百年経った頃、科学技術の進歩は一つの極点に到達した。

 その到達点は、人間の魂を肉体から解放する技術であった。


 古来より「不確かな物」とされてきた魂――個人個人の思考や性格等の傾向――を電気信号により精密に再現し、器体と呼ばれる機械の身体に再現する技術。

 脳に刻まれた記憶や経験といった物のコピーアンドペーストは既に確立されていたため、それと併せて完全なる『魂の解放』が行えるように――は、ならなかった。


 人格の移し替えによって「感情の発露」が不可能になる事が、人体実験によって判明したのである。

 否、正確には不可能なのではなく、器体への移行から暫くすると感情が失われてしまうのだ。


 理論上では人格を移すだけで問題なく行えた感情の発露には『特殊なエネルギー』が必要である事が判ってからは、問題の解決は早かった。


 いち早く肉体から器体に乗り換えた科学者の一人が『感情炉』と呼ばれる、感情の発露には必要なエネルギーの精製に加えて「感情のパーセンテージ」が調整可能なパーツを開発したのである。


 そのパーツは直ぐに量産体制が整えられ、マグノリアの匣と呼ばれる感情炉製造装置が生産された。


「止まったか……まったく」


『マグノリアの匣にジャムが発生、作業一時停止』


 一分ほど何も運ばずに動いていたベルトコンベアが停止し、作業の停止を知らせるアナウンスが直接聴覚に届く。


 作業をしていないと退屈なのか、男は無感情な悪態を吐き納品用の棚に持たれる。


「ジャムか……二週間ぶりだな。アルフも一本どうだ?」


 向かい側で男――アルフと同様の作業をしていた同僚のヴェットが電子タバコを勧めてくる。

 通常の紙巻きタバコや電子タバコとは違い、何となく風味を再現しているだけではあるが、嗜好品としての人気はかなり高い。


「あぁ……いや、俺は遠慮しておくよ」


「そうか。ところで最近どうだ。何か変わった事とかあるか」


「そうさな……あるとすれば、ここ最近妙な割合を求められる事が多いくらいか」


 アルフとヴェットは予期せぬ空き時間を、取り止めのない世間話で潰そうとする。


 二人はこの工場で、感情炉の『感情割合』を設定する仕事に従事している。

 マグノリアの匣の中で『特殊なエネルギー』を精製できるようにした直方体を弄り、喜怒哀楽や好奇心、羞恥心等の様々な感情の大小や有無を調整し、完成品の感情炉にするのが彼等の仕事だ。


 当のアルフの感情炉も調整が施されており、恐怖や怒りといった感情が起こらない様になっている。


 ただの人間であった時代は、よく緊張して技師として伸び悩んでいたアルフであったが、今では感情の制御によって最も複雑な技術を要する仕事に就く事ができるようになった。


 この感情炉のシステムは『誰が開発したかは知らない』が、アルフがこの仕事に就けたのもその感情炉のお陰だ。その事を考える度、アルフは開発者に感謝する一方で、どこか誇らしさを感じる。


「そういやそうだ。この前なんて凄かったぞ。怒りの割合が八割のオーダーがあったんだ」


 感情炉は後付けパーツであるため、付け替えが可能になっている。

 そこそこ高価な価格設定になっているものの、業務や作業に必要のない感情を切り捨てるため、また好奇心や気紛れで付け替える者も少なくない。


 ――肉体を棄てた者達とはいえ、意志は存在するのだから。


「怒りか……とてもオンにしようとは思わないな。自分が何に怒るかなんて判ったもんじゃない」


「まったくだ。オマケにエネルギー効率も悪いから、怒ったところで持続しない」


 アルフは機械の身体へと魂を移して、もう数十年も経つ。怒りや憎しみといった感情をオフにしてから、自分がどういった事に怒りを抱くかなど、時の流れに置き去りにしてしまった。


「ま、興味が無いと言えば嘘にはなるかな……ん?」


 電子タバコを咥えながらマグノリアの匣に視線をやるヴェットが、何かに気付いたのか疑問符を浮かべる。


「修理工か。いつもの奴等とは違うのか?」


 自分達がいる側の反対――アルフ達側から見てマグノリアの匣の奥――の扉から、臙脂色の作業服に身を包み、同色のバイザーを被った数人の作業員達が入ってくる。


 臙脂の服はマグノリアの匣の修理工たる証だ。だが見慣れた筈の面々は顔こそ見えないが、体格がいつもの作業員達と違う様に見受けられた。


 そんな二人の疑問に目も留めず、作業員達は巨大な鉄箱の横側に設置されたメンテナンス用の出入り口に入っていく。


「そういやよ。製造自体はマグノリアの匣に任せっきりだから判んねえけど、感情炉って何で出来てんだろうな?」


「さあな。お前今日はやけに気にするな」


「判るか? ふと気になって、自分で自分の感情炉弄ってみたんだよ。好奇心がちょっとだけ湧く様にな」

 言って、ヴェットは頭を親指で差す。


「お前それ職権濫用じゃ……」


「細かい事言うなよ。俺達そういう事よくやってきただろ?」


「……お前何を言ってるんだ? 俺は職権濫用紛いの事なんて……」


 言いかけたところで、アルフの聴覚に聴き慣れない音が入ってくる。ドン、という篭り気味の音であり、マグノリアの匣内から発せられた音である事が窺える。


 次は嗅覚だ。何かが焦げた様な不快だが懐かしい臭気が、アルフ達の元に漂う。


「なんだなんだ、マグノリアの匣から音が鳴った事なんて、ジャムの修理の時すらなかったのに」


 ヴェットが興味深そうに身を乗り出してベルトコンベアの先――マグノリアの匣の方へ視線をやる。


 そこで、ベルトコンベアが再起動する。まだ修理工が中にいるのにも関わらず、マグノリアの匣からヴェット側のベルトに何かの物体が吐き出される。


「お、何だ……?」


 いつも見ているのと変わらない、金属製の直方体。

 何の変哲もない感情炉と見るや、ヴェットは嘆息混じりに椅子に座り、作業を再開しようとする。


 アルフが自分の方にも早く運ばれて来ないかと匣の方を眺めていると、直ぐ近く――ちょうどヴェットのいる方――から轟音が聞こえてきた。


 熱風を浴びつつヴェットの方を見ると、彼の上半身は吹き飛び、擬似血液を飛散させて鈍色の義骨が剥き出しになっていた。


「ああ、爆弾だったのか」


 無機質な納得の声を漏らし、先程と同じく自分の方のベルトに載せられた直方体を見つめる。


「あいつらか」


 修理工の服を見に纏った何者か達が、駆け足で立ち去っていくのが見える。


 なんとなく――いつかこうなる気はしていた、と。何故かそう思いながら。


 アルフは目前の物体が爆発するその瞬間まで、そこから逃げる事なく座り続けていた。




 ――生命の失くなったその工場の一室では、赤黒く染められたベルトコンベアが無機質に虚空を運ぶだけであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 世界観の多くが語られず、肉体を捨てた人達の日常と末路が端的に描かれているのが良い。 今の感覚からすると不気味さや理不尽さを覚える作中の結末も含めて日常的に行われることを示唆するところも、短…
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