第二話 生きているのか死んでいるのか
ずっとずっと、いつかオレはあのネズミのように死ぬのだと死期を待っていた。
何も、変化のない日が続いていた――はずだった。
真っ白い住処に、少年がきた。
少年は、この住処に通う人全てがへこへこと媚びを売る程に、偉い存在なのだと、徐々にオレは判っていった。
何せ少年が椅子について、ただちょっと座り心地悪そうにしていただけで、一瞬で様々な椅子が用意されたから。ああ、この人の機嫌だけは損ねてはいけないんだと、周囲の機微に気付いたよ。
あとは茶菓子やお茶を用意って普通はするよな、そんな偉い人なら。少年は、お茶を見るだけで、目に見えるくらい苛立っていたので、すぐにそれらは取り下げられたんだ。
オレより十歳くらい年上の、世間一般で言う少年の外貌をした存在だった。
金色の髪、眼帯をしてる為独眼で、一つだけの眼差しは強気で爛々としてたかな。
だがオレは少年の瞳を見て、過ぎった想いがあったよ。
気のせいかな、って言い聞かせておいた。
気のせいであってほしいと願いながら、影からこっそり見つめていた。
研究員達が皆、少年を王様相手にするように恭しく扱うので面白いと同時に、酷い茶番のようにも思えたな。
とても丁寧に扱って、ご機嫌取りをし、子供をあやすような馬鹿さ加減の丁重さ。兎に角、重要人物であり、髪の一本にでも傷を付けたら、研究員達は青ざめるんだろうなぁって思ったよ。
研究員はオレを必死に隠そうとしていたが、たった一瞬、オレが「こっちを向いて」と願った都合の良い瞬間に、少年と目が遭ったんだよ。
目が遭った瞬間、オレは、この人は――どうして? やっぱり、気のせいじゃあないって確信した。
オレの考えている内容は、大当たりなんだ、って。
少年はオレに向かって歩いてきて、笑いかけてきた、気さくだったよ。オレ以外には笑みなんて見せてなかったのに、オレには気安く優しい笑みをむけてくれたんだ。
「佐良 龍臣で合ってるか?」
「おれはたつおみっていうの?」
疑問に疑問で返すのは気が引けたが、オレは驚いたよ、だってオレがいる場所では皆はオレを「マウス一号」としか呼んでくれなかったんだ。
少年は一瞬目を丸くして信じられない者でも見るような目つきをしてから、オレを哀れんだよ。哀れんだ目で見つめて、戸惑っていたな。
オレが名前を知らなかったからなのか、オレに与えられた役目を話しかけていたから哀れんでいたのかは、今も判らない。
オレにとって少年はいつまでも、謎のままだったんだ。
「お前は大事な、ファージストだからな」
「ファージスト? 何ですか、それ」
「……――いつか、世界の王になれる権利、かな。セカンドっつーのも、あるんだ。それも、ファージストに近しい」
言葉の意味が判らなかったよ、もしかしてオレ、馬鹿なのかなーって。
オレが自分の名前を知ったのは、何処かの大人が片付け忘れた、オレについての書類を今盗み見てからだった。
少年は顔を顰めてから、オレの頭を撫でて傍にあった「マウス一号の生態」と書かれた紙をびりびりと破り捨てて表情に怒りを顕わにしていた。
「まともに名前すらも教えてねぇのか……あいつら、嘘吐きやがって」
「おにーさん?」
「――龍臣、此処から出て行けるよ。オレについてきな」
「――でも、貴方は」
「心配するな、オレには皆を黙らせる力がある」
心配ではなく、貴方は――。
少年の外貌をした存在は、オレに笑いかけてから、後ろに控えている白衣を着た大人を睨み付ける。
大人は、ひぃっと声を漏らすと、身体を震わせている。
「お前はこんなとこにいちゃなんねぇ――君塚の子孫が、こんなとこなんかに」
「でも、おれはファージストなんでしょう? 人間じゃないんでしょう?」
「そんなことまで……あいつら! ……お前は、ファージストが何か知ってるのか?」
オレは首を左右に振る。
少年はほっと安堵して、オレの手を握りしめた。
「お前が、そうだな――十八才になった頃に、もう一度会おう。それまでは、お前は人間でいていいんだよ」
「……ファージストが何か判らないのに? 教えてもくれないの?」
「教えた瞬間に、お前はこの世界の平和全てを背負う運命にある――誰も代理なんてできない、重たい運命が待っている。無知の時間があってもいいと思うんだ」
「むち?」
「まぁ要するに、今のお前には教えられないってこった。お前が十八歳になったら、教えてもいい」
「――じゃあ、それまで人間でいる」
こくんと頷いて、少年と白い壁ばかりの建物を出て行く。
誰一人、少年に対して頭を上げることなく、只管に怯えてお辞儀をしていた。
それだけ、少年に権力が宿っているのだと判った。
(どうして? だってこの人は――)
白い壁ばかりの建物を出て行くと、一軒家まで案内された。
一軒家に着くと、オレと同じ年頃の子供と、若夫婦がいた。
若夫婦は泣きながらオレを抱きしめて、少年に礼を何回も告げた。
なのに、少年は土下座したんだ。
「本当に、すみませんでした――オレの知らないところで……こんな事件があったなんて」
「いいえ、貴方様のお陰で龍臣が我が家に帰ってきました! 本当に、有難う御座います……龍臣だけじゃなく、忠臣まで……」
同じ年頃の子供と目が合う、この子供が忠臣らしい。
名前が似てるから、すぐさま兄弟なんだって判った。
忠臣はにこっとオレに笑いかけてから、少年に懐いていて、土下座を何回も頼んで止めてくれた少年の腕を引っ張る。
「刃鐘さん! 一緒に遊ぼう!」
「それは、お前が十八才になってもオレを覚えていたら、な」
少年は、それじゃあ、と立ち去ろうとしていた。
忠臣は少年――刃鐘さんが去ると判るや否や、大泣きして、若夫婦を困らせていた。
若夫婦は何かを察して、女性は忠臣を泣き止ませようとし、男性は刃鐘さんに声をかけようか悩んでいた。
「君塚さん、十八歳まで、ですね?」
「ああ」
「塔に適合するまでは、平凡でいいんですね?」
「その決断を下して良い権利が、オレにはある――お前達の先祖にかけて」
「……立派に、立派な子に育てて見せます! 有難う御座いました!」
オレは、刃鐘さんの背中をいつまでも見つめていた。
オレは、気づいたことを口にしてはならない空気を察した。
(あの人は――死んでいる。死んだ人だ、あの瞳は。でも、幽霊じゃない。繋いだ手も冷たかった――じゃあ、何故存在できるんだ?)
当時のオレには判らなかったが、オレは死者に助けられたんだという――思い出。