第一話 鼠の習性
壁は、高く天井からは、やァカメラさん。高性能で、オレが動くと合わせて、動いてくれるんだなって、変な感心をしていた。
監視カメラがどこもかしこもつけられていて、そこはまるで檻の中だと思っていたよ、当時は。
オレはどうやら「何かの権利」を手にしているらしく、お偉いさんの何処かの馬鹿が「それなら好き勝手研究しろ、同じ権利を得られるかもしれん」ってぇことだったらしい。
後で親父から、後日逮捕された研究所について聞いたよ。
未だにあの実験をしていた奴らが日本人だなんて、信じられなかったな。
兎に角、オレは、閉じ込められていたんだ。真っ白い建物に。
窓からは、オレと同じ年頃の子供が、母親に甘えてひっついて抱きかかえられているのを見かけたりしていた。
オレだって普通の家庭に生まれていたら、こんなに言葉も知らなかっただろうし、知らないままでいられた知識だってあっただろうな。
だけど、知識をそのまま喋るというのはあまりに馬鹿で、自分の知能をひけらかしていい目に出会ったことが何一つない。
少なくともその建物では。
オレがたとえば、その建物で齢五歳で文豪の何かしらの小説を読み切って、暗記して、言葉を使いきれたとしても得することなど何もなかったよ。
真っ白い、服も置いてあるものも、人も真っ白い場所だったよ、そこは。
オレは毎日鎖に繋がれて暮らしていたんだ、ペットみたいだろ。
時折、心電図や大きな機械でトリミングしたりして。
日常生活の一部だと思っていたけれど、それらは全部実験って呼ぶんだって知ったのは大きくなってからだったよ。
何せ、オレには発言権がない。発言が許されるのは実験結果を示す為に、必要なときだけ。ああ、あとは――そうだな、少し恥ずかしいけど、悲しいこともあった。
とある日限定だが、只管にオレの頸を絞めては放ち、ぎりぎり生きているのを楽しむ奴もいたんだよ。どうして、やめて、苦しい、って必死にオレは喚いたね。
でも、そいつがオレに放ったのは、「五月蠅い、人類の敵のくせに」っていう意味不明な言葉だった。
「人類の敵って、何、どう、して」
「お前が、ファージストだからさ。お前だけ、ずるい、なんで、お前が」
目が完全に血走っていて、他の研究員に「上に抹殺されるぞ!」と、怒られてようやく止まってくれたんだ。
周りが心配するのは、それでも研究員のほうだけで。
オレは呼吸を整えるのに必死で、まぁ怖かったなあ。
どうしてそんなことをするのかも、なんでオレはそんな場所にいるのかも判らず、疑問すら持たなかったんだが、徐々におかしいな、って思い始めたさ。
可愛がっていた白いネズミが死んだ時があってな。
可哀想に、と思って泣いていたら、周囲は「悲しむのか、そんなことで」と驚いていた。
まるでオレに感情があるとさえ思っていない態度だった。
そこで誰かがオレを呼び、――「マウス一号」、と呼ばれて初めて自分の存在価値を知ったよ、まぁ無様だよなあ。
オレは、他の人達にとってネズミと一緒だと解り、悲しくなるよりも、怒るよりも先に、「オレはそれならどうしてこの形なのだろう」と疑問が浮かび上がったよ。
この形であることに意味はあるのか、この髪に、目の色に、何か意味はあるのか。
オレは周りの人々と同じ形でありながら、ネズミと一緒の存在であるというのなら、一体オレは何者なんだろう?
人間なのか? ネズミなのか? そんなことばかり考えはじめて徐々に混乱していった。
見かけだけで自分を人間というのなら、中身はどうなのだろう、人間らしいのだろうか。
人間らしい行動って何だろう?
人間らしい行動が何かって言われたとき、自信を持って言えるのって、オレは、さ。
オレは、誰かを愛することだと思うんだよな。
誰かでなくてもいい、物にも、景色にも、何かしら思い入れができること。
オレにとっての愛着は、本だったよ。
研究員から一冊本を与えられ、感動したことがあった。
どんなに虐げられても、友達を信じ続けるという内容の絵本だった。
信じ続ける、という行為は人間らしいとオレの中でイコールとなった。
オレは心に深く刻み込み、以来人間というものを意識し、自分を人間だと思い込むようにしたんだ。
自分が何者か判らなくても、人間という種族と、マウスという種族を知っているなら、どういう扱いを望むかはオレが「人間」を望む行いで判るだろ。
何者だって、本当は良かったのかもしれないな、ただ、オレは本の人物達みたいに、誰かから愛されたかったんだ。
愛に触れるには、まず自分から信頼しないといけないだろ?
誰でも良いから、好かれたかった。五歳だった頃はな。
研究員に罵倒されようと、ぞんざいに扱われようと、鼻で笑われようと、にこにこ笑って「信じている」と伝えると笑われた。
笑われ続け、やがていつしか言葉を自主的に話すのが怖くなっていった。
研究員達から「なんだそんな反応するようになったのか」と笑われたり、「信じないのか?」と茶化される度に葛藤していた。
信じないと、人間になれないって根付いていた、気付けば。
淡く抱いていた期待、いつしかオレも人間になれるんだっていう思い。
ピノキオが星に願うように、オレも願っていたんだ、窓から見える星に。夜になると、いつかオレが人間扱いされる日がくるんじゃないかと期待していたんだよ、当時は。
だけど期待し続けるのは難しく、徐々にしぼんでいき、ついにはどうでも良くなってしまったんだ。
人間後ろ指さされ、笑われ続けると、おかしくなっていくんだな。いや、オレが本当に人間かどうかは置いておいて。
人間を観察して人間の真似をするたびに、「マウスはそんなことをするな」と怒られた。
研究員達にできないことを達成する度に、殴られたりした。
どれだけ感情の起伏があるのか、試されたこともあったな。
徐々に死んでいく心は、からからに渇いていったよ。
いつしか、なーんにも、浮かばなくなった。心というものが、判らなくなったさ。
心ってそんなもの元からなかったのかもしれない、なんて考えたりもしたときもあった。
それをぶち破ってくれたのが、死んだ人だった。
死人さ、死人。オレは、死人に助けられたんだよ。