魔女たちの一日
翌日、朝食を食べて学園に向かう。昨日夜更かししていたせいか少し眠い。教室に入ろうと引き戸に手を掛けたその時、
「実際さ、あのネクがどこまでやれると思う?」
「相手って白魔法クラスの天才らしいよ」
「何も出来ずに負けじゃない?」
「白魔法クラスに舐められんじゃん!!やだなー」
聞こえてきたのは陰口。思わず俯いてしまう。事あるごとにちょくちょく笑われることはあったため気にしないようにはしていたが寝不足も相まって少し辛い。
勢いよく入口が開け放たれる。木製の引き戸が鈍い音を起てた。ネクが開けたのではない。その隣に立っていたケイトが開けたのだ。
「今言ったの誰よ」
静かに、しかし怒りを持って問う。
「ケイト落ち着いて……」
「あのね、こんなのに慣れたり黙ってる必要なんかないの。大体にしてこうやって聞いてもマトモに出てこない卑怯者なんてろくな生まれじゃないわ」
ずかずかと教室へと入るとケイトは煽りに煽る。
「なんですって!?」
その言葉に釣られて陰口の主が声を上げた。
「誰もアンタの事なんて言ってないわよ、メアリー。その取り巻きのえー……なんだっけゴメン、素で忘れた」
メアリーと呼ばれた女生徒とその取り巻きはわなわなと震える。
「それともメアリーちゃんは生まれが悲惨なのかしら?昼御飯に中庭のホットドッグでも奢って差し上げましょうか?」
「ふ、ふざけんじゃないわよ!!そこの出来損ないをバカにして何が悪いのよ!!」
「出、出来損ない……」
ネクが更に俯く。
「いや、彼女は出来損ないなんかじゃないわ」
ケイトは断言する。その言葉が嬉しくてネクはケイトの顔を見上げる。
「ネクはその天才とやらに勝つわ、絶対に」
「え?」
雲行きが怪しい。明らかにケイトが今変なことを言った。勝つ?私が?シャーリーに?
「そんなの無「やってみなさいよ!!」「やってやるわよ!!というかネクには出来るわよ!!」
「約束よ!!」
メアリーが声を荒げる。
「上等よ!!」
ケイトが啖呵を切る。
「え~?え~?」
ネクが壊れる。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
老婆が嗤った。
「ひどいや」
昼休み、中庭でネクはベンチで項垂れ地面に視線を落としていた。
「いやー、メンゴメンゴ、止まらなくなっちゃってさ」
軽いノリでケイトが困ったように笑う。
「先生も途中から見てたなら止めてくれたらよかったのにさ……」
先生ときたら面白がって端から見てるばかりだったとネクは不満を漏らす。
「まぁ、やってみるだけやってみようって。ほら、これでも食べて元気出してよ。いつものにしてあるからさ」
ケイトは紙袋を一つネクへと差し出した。紙袋の香りと共に中からは香ばしい匂いがする。
「この代金奢ってくれるなら許す」
「それくらいなら軽いものよ」
袋の中身はホットドッグであった。ネクのホットドッグはマスタードを少な目、ケチャップ多目のオーソドックスなものである。時々、学園の中庭には移動販売の車が来る。ホットドッグの移動販売は味も良く懐にも優しい価格で学生にとって謂わばアタリと呼ばれるものであった。
「いただきまーす。美味しい!!」
いつもと同じ、自分好みの味付けでついつい顔が綻ぶ。それを見たケイトは安心したような表情を浮かべた後、自身のホットドッグに口をつけた。
「そういえばさ」
ある程度食べ進めたケイトがネクに話題を振る。対してネクは、んぅ?と鳴いてもごもごと昼食を食べていた。
「あの魔法障壁なんか上手くいかなくてさー」
「んぐ、昨日のやつ?」
「そーそー、何か違うっていうか、違和感があるっていうか」
「なんでだろうね」
ネクはまた一口、昼食を頬張った。
「また手伝ってよ。あともうちょっとっぽいからさ」
「おひゃふいほようで」
「なんて言ってるのよ……」
若干呆れ気味のケイトが目線を前に向けると変わった顔が目に入った。ウェーブがかった金髪に白いローブ。
「あれが例の天才って娘?」
「ん、あ、シャーリーだ。あんなとこで何してるんだろ?」
シャーリーは移動販売車から離れた位置でそれを見つめている。
「声かけてみる?」
「確かに興味はあるわね」
二人は立ち上がりシャーリーに近づくと、程なくして向こうも此方に気付いたようで深々と礼をした。
「ごきげんよう、ネクさん。ええと、そちらのお方は……」
「ケイトでいいわよ。ところで何してるのよ?こんなところで」
ケイトは相も変わらずラフに話しかけた。やはり友人目線からしてもコミュ力は高いと思う。怖いもの知らずとも言えるのかもしれないが。
「いえ、とても良い香りがしたものですから。ホットドッグ……というのですか?あの食べ物は」
シャーリーは移動販売車の前にあるメニューの看板に目を向けた。
「ホットドッグ食べたことないの?」
ネクが聞くとシャーリーは頷いた。
「マジ?」
ケイトが素で驚く。
「ええ、見るのは初めてです」
「ねぇ、この娘の家どうなってんのよ?かなりの名家なの?それともメアリーと同じスラム出身なの?」
ケイトはネクに耳打ちをした。どう考えても前者しか無さそうだと思ったので一つ提案することにした。
「食べてみる?」
「そうですね……昼食もまだですし、それに興味もあります」
見た目によらず好奇心旺盛な娘であるとネクは思った。
「そうね、モノは試しってやつよ。お金は持ってるんでしょ?」
シャーリーは頷いて答えた。
「じゃあ車のおじ様にホットドッグ一つって言って支払うだけよ。ああ、トッピングのオススメはハバネロレッドチリソース大よ」
「わかりました」
シャーリーは何の疑問も持たず車へ向かおうとする。ケイトがそのまま見送ろうとする。
「待って!!ケイトが辛党なだけだから!!普通のでいいから!!」
「いただきます」
いつもの二人にシャーリーが加わり、三人でベンチに腰掛ける。シャーリーは食事の所作の一つ一つでさえ高貴さを感じさせられた。
「美味しいですね、これ」
「そりゃ良かったわ、今度は辛いのも試してみてよ」
本に目を落としつつケイトが話す。ネクも昔一口だけケイトのを貰って食べたことがあるが、燃えるような辛さで無理だったことを思い出した。
「その本……何の本かよろしければ教えて頂けませんか?」
ケイトが読み込んでいる本に興味を持ったシャーリーが問いかけるとネクがそれに答えた。
「魔法障壁の本だよ。やっぱり対抗戦で身は守れたほうがいいかなって思って二人で昨日から読んでるんだけど……」
「これがさっぱりわからんのよ!!あーもう!!」
ケイトがベンチに体を大きく預ける。
「あの……」
シャーリーがおずおずと手を上げる。
「私にも見せてくれませんか?」
ネクとケイトは顔を見合わせた。
「なるほど……」
「なんかわかりそう?」
ネクも本を覗きこむがよく分からない。シャーリーは本の末尾を見ている。
「わかりました」
「ホント?さっすが天才!!」
体勢を崩していたケイトが勢いよく起き上がる。さっきまでのだらしない格好から嘘のように背筋を伸ばしシャーリーに向き直る。
「恐らくですけど二人向けの本ではないかと……」
「え、何、喧嘩売られたの?今?」
ケイトの整えた体勢が崩れる。
「ケイト落ち着いて!!」
「語弊が有りました。申し訳ありません。ええと、この本の著者なんですけど有名な人なんです。ただ、白魔法業界においてなんですけど」
シャーリーは本の末尾にある著者の経歴を指差す。確かに白魔法の権威らしかった。
「お二人の専攻は黒魔法ですので上手くいかなかったのかと……」
「はー、なるほど。確かに著者までは気にしてなかったわ」
たはは、とケイトが笑う。
「で、応用して黒魔法でこれに似たものを作れないかなと考えたんですけども」
ポケットから手帳を取り出し付属の鉛筆で何かを書き込んでいく。どうやら術式、魔方陣の類いのようだ。
「シャーリーって黒魔法もわかるの?」
「多少なら……あくまで基礎の範囲内ですけど。これ試してみて下さい」
ネクはメモを手渡される。それはシャーリーらしく綺麗な文字で丁寧に書かれた陣であった。ネクは書かれた通りに陣をなぞり、詠唱すると紫がかった上半身を覆えるほどの魔法障壁が発現した。
「え、すごい!!何これ!!」
「はー、良くできてるもんねぇ」
ケイトが魔法障壁をコンコンと叩く。見た目はガラス細工のようでありながら、それなりに強度もあり安定しているようであった。ネクは魔法障壁を消滅させシャーリーに向き直った。
「ありがとう!!すっごい助かったよ!!」
思わず手を握って礼をする。シャーリーは若干照れくさそうにしながら礼を受けとる。
「私からもお礼言わせてよ、ホントありがとね」
ネクに続けてケイトも感謝の意を述べる。
「いえいえ、そんな……お二人には美味しいものを教えていただきましたし……」
「え、それでチャラにしていいの?どこまでいい娘なの?」
ケイトは調子が掴めないでいる。そっか、ケイトみたいな人でもこういうタイプには少し弱いのかとネクは思った。
「あ、そうだ。シャーリー、明日学園は休みでしょ。私達は学園に来て練習とかしようと思うんだけど一緒にどうかな?」
ネクが提案するとシャーリーはどのように答えたら良いか迷っているようだった。
「シャーリーはどうよ、もし良かったらなんだけどさ」
ケイトも賛成する。寸刻悩んだ後に
「私でよろしければ……」
と答えた。
「うっし、じゃあ明日の10時頃にこの辺で待ち合わせってことで」
「明日もよろしくね、シャーリー。もうすぐ講義だから私達行くね」
ケイトに続きネクもベンチから立ち上がる。シャーリーも腰をあげ二人に別れの礼をした。昼休みの始まり同様、気品さを感じさせる所作であった。
「綺麗だなー」
自室へと帰り食事を終えて講義の復習をする。その中でシャーリーに教えてもらった魔法障壁の練習も行う。紫がかった魔法障壁の表面を指でなぞっていく。
「アンタ、まだ起きてたの?」
風呂からケイトが帰ってくる。完全に乾ききっていない髪を乱暴にタオルで擦る。
「ちょっと復習しててさ。……誰かのせいで勝たなきゃならなくなったし」
少し含めた言い方をするがケイトは普通に会話を続けた。
「そうね、勝たなきゃならないわね。それかアンタがアイツらに対してなんか……こう……ぎゃふんと言わせることをするかの二択ね」
ベッドに乱暴に腰かけるケイトにネクは溜め息をついた。
「……ねぇ、ネクはさ」
「ん?」
なんとなく声の雰囲気がいつもと違う友人に違和感を覚えた。
「悔しいと思わないの?自分を貶されて」
少しは思う。けど彼女たちの言うことの中にも事実が多少なりとも含まれている以上、ネクの性格では言い返すことができなかった。
「アタシはさ、ネクが貶されて悔しかったな。でもこういうのは本人の問題でもあるからさ……とにかく今日のはホントにゴメンなさい」
友人がこちらを向く。私の言葉を待っているようだった。
「別に、もう気にしてないよ。大変なことになっちゃったけど、ケイトが問いただしてくれた時は少し嬉しかったな」
「そっか。……さぁて!!明日は約束があるんだからさっさと寝ますか!!」
布団をがばっとかぶってお休みなさいと言うケイト。
「うん、お休みなさい」
その姿を見て、やっぱり彼女は私の友人なんだなと思うネクであった。