二人だけの秘密と眠れない夜
「凄い急な話なんだけれども対抗戦をやることになった」
といった話が入ってきたのはホームルームにて出欠確認を行った直後であった。話によれば白魔法クラスが黒魔法クラスと合同演習をやってみて今後の研究に生かしたいと持ちかけたところ、黒魔法クラスの先生が「どうせだったら力をぶつけ合う形式にしよう」と方向性を完全にねじ曲げたらしい。学生からは迷惑としか言いようがないと誰もが思った。
「アタシら黒魔法勢に対する宣戦布告だよ。誰か血気盛んな奴はいないかね?」
当然の如く誰も手を上げない。というより喧嘩を吹っ掛けたのはどう考えても目の前の老婆であるし、言ってしまえば表に出ることはしたくないし目立ちたくないのだ。学生がとったのは無言の抵抗である。
「悲しいねぇ、実に悲しいよ。このままだとクジで決めちまうよ!!」
多くの学生にとってそれは好都合であった。自分が当たるという確率はかなり低いと考えられた。学生がとったのは無言の肯定である。
「じゃあ最高に運がわ……良い学生を選ぼう!!」
そう言って先生は机のしたから箱と数字のかいたボールを取り出した。魔導学園にも関わらずまさかのアナログである。
「じゃあ出席番号の十の桁……1!!」
歓声と喚声。残りの10人は顔がひきつる。
「いい表情だよアンタたち!!とどめいくよ!!一の桁は」
誰もが祈りを捧げた。その願いは、
「3!!」
ただ一人の願いを除いて叶った。出席番号13番のネクは唯一人、口から泡を吹いて医務室へと運ばれた。
眩しくてゆっくりと目蓋を開ける。
「大丈夫?」
真っ白のシーツが敷かれたベッドの横では親しい友人が安く軋む音を漏らすパイプ椅子に腰かけていた。
「まぁ……その……なんだ、ドンマイ」
ケイトは苦笑いを浮かべている。
「思い出させないで……」
全てを思い出したネクは思わず悲観にくれて顔を隠した。
「ごめんごめん、まぁ、こうなったからにはしょうがないよね」
ケイトはそう言って椅子から立ち上がる。
「アタシもなっちゃったさ、対抗戦のメンバーに。流石にネクだけじゃ大変だろうし」
「ケイトぉぉぉ!!」
思わず親友に抱きついてしまう。親しい友人を持てたことを神に感謝した。ケイトは優しくネクの頭を撫でている。
「よーしよし、怖かったねー。でもちゃんと頑張ろうね。手なんか抜いたら承知しないんだから」
ネクはケイトから離れて、ガクガクと勢い良く首を縦に振った。
「じゃあ寮でまた会おうね。少しトレーニングもしなきゃ」
と言うとケイトは医務室を出ようとした。
「あ、そうだ。隣のベッドにも誰か寝てるから医務室の先生が戻るまで待っててほしいんだけど」
「わかりました!!」
ネクの反応に苦笑しながら医務室を出ていくケイト。残されたネクはぼんやりと、これからどうしようかと考えていた。そういえば隣に一人寝ていると聞いた。気になってそちらを見ていると隔てていたカーテンが急にシャッと音をたてて開いた。見えたのは美しいウェーブがかった金髪。
「あっ」
金髪の娘と目があった。確か名前はシャーリーだ。気まずい沈黙の後に、
「ごきげんよう、ネク様」
と澄みきった声が聞こえた。ネクは初めて人から様付けで呼ばれ狼狽した。
「貴女も対抗戦に出るんですの?」
「はっ、はひぃ、そうです」
やはり緊張した身で話すのはとても苦手で、声が上ずってしまう。
「私も対抗戦に出ますの。その時はよろしくお願い致しますね」
金髪の少女は深々とした礼をした。
「あっ、こちらこそよろしくお願いします」
なるべく自然にを心掛けてネクは応対する。シャーリーは少し困ったような表情をした。
「あの……」
「はい!!なんでございましょう!!」
ネクはどうにか平静を保とうと必死である。シャーリーは気に留めることもなく言葉を進めた。
「先程の貴女と御友人の会話を聞いておりました。その中で疑問に思ったのですが……」
何を聞かれるか、何を問われるか。どのような答えが欲しいのか、どのように答えてあげようか。ぐるぐると頭の中で焦りが渦を巻いている。
「……もっと私は気軽に話したりするべきなのでしょうか」
「え?」
予想外も予想外の質問。思考が停止して寸刻。回復を始めたネクの頭は一つの答えを導き出した。
「時と場合によると思いますよ」
あまり回答になっていない。ネクは自分でもそう思った。
「そうなのですか……とても難しいものですね」
「あ、でも親しい友人と話すときはもっと気楽でいいとは思います。はい」
ネクもどちらかと言えば友達が少ない方の人間である。あくまで一般論的なことを述べる。
「わかりました。貴重な御意見、ありがとうございます。ネク様」
「あ、そうだ。同じ年頃の人には様とか付けなくて大丈夫だと思いますよ」
「では、どのようにお呼びしたらよろしいでしょうか……」
ネクはその言葉に驚きを隠せなかった。どのように育てられればこのような質問が飛んで来るのかが気になった。
「ネクでいいですよ。もし言い辛さを感じるのであれば、さん付けとかどうでしょう」
シャーリーは頷いて、
「わかりました、ネク……さん」
固い声で目の前の少女の名を呼んだ。
「これからもよろしくお願いします、シャーリーさん」
返すように名前を紡ぐ。
「ところでシャーリーさんは何故医務室に?」
「お恥ずかしい話ながら対抗戦の代表者に選ばれた後に具合が悪くなりまして」
ネクは目の前の少女に親近感を感じざるを得なかった。
数分後、帰って来た医務室の先生に回復したなら寮に戻りなさいと言われた。半ば追い出されるようにして医務室を出た二人は学園の正門へと向かって行った。空は夕焼け。辺りを橙色の光で照らしていた。学生寮は学園から少し離れた位置に二棟建てられており、黒魔法学科と白魔法学科で別れていた。他愛もない話をし続けやがて正門に着く頃、シャーリーが気付いて声を上げる。
「閉まってませんこと?」
確かに朝とは違い正門は固く閉ざされている。
「あ、そうだ!!今日はいつもより早く五時半過ぎたら閉まるんだった!!」
ネクはやってしまった、という顔をしている。
「どうしましょう。どうにか開けてもらわないと……」
シャーリーはネクへと視線を向ける。それを受けたネクは顎に手をあて考え始める。たしかに裏口はある。しかし正門とは逆方向で寮と真反対にある。後戻りには相当時間がかかる。ネクはその場で考え込む。ふと、寮で帰りを待っているであろう友人の顔が思い浮かんだ。そして解決策は見つかった。良くも悪くも持つべきものは親愛なる友人であるとネクは悪い顔をしながら思った。
「本当にこんな所に帰り道があるんですか?」
「大丈夫、だいじょーぶ。私も何回か通ってるから」
二人が歩くのは薬草園。学内の外れ、滅多なことでは立ち入らない場所である。緑、赤、紫、黄色、様々な色をした薬草と共にその名を指し示すプレートが無造作に地に刺さっている。
「ここも初めてだっけ?」
「はい、初めてです。凄いですね、本でしか見たことない植物もたくさん……このマンドラゴラなんて……」
「あ……ああ……それね。スゴイヨネ……」
ネクは一年前の実習でマンドラゴラを取扱った際に失神した記憶を思い出してしまい顔をしかめた。やがて二人は薬草園の奥、茂みになっているスペースへと足を踏み入れた。
「たしかこの辺に……あっ!?」
声を上げるネクの後ろからシャーリーが顔を覗かせると、そこには乱暴に金網に括りつけられたベニヤ板。立ち入り禁止と書かれている。
「どうかしたのですか?」
「あっ、うん。ごめんね、ここの金網にちょうど人が通れるくらいの穴が空いててそこから帰ろうと思ったんだけど……」
ケイトと試験対策で遅くまで図書館に残った際、裏口を利用すると時間がかかるという事でケイトがあらゆる人脈を駆使して聞き出した秘密の帰り道であった。しかしその道は固く閉ざされている。
「……これじゃダメだよね」
うつむいて嘆息するネク。その後ろでシャーリーは頬に人差し指を当てつつ考え事をしていた。シャーリーに謝って大人しく裏口から帰ろうと提案しようとネクが思った時、気づくとシャーリーはベニヤ板に触れていた。
「ネクさん」
「はい?」
不意に名前を呼ばれたので声が上擦った。恥ずかしい。
「これ、壊せます?」
「……へ?」
予想外の提案にネクは停止した。
「ホントにいいの?」
「ええ、どうぞ御遠慮無く」
シャーリーはネクの後ろで見ている。ネクは召喚術を唱える。相も変わらず貧弱そうな使い魔達が三匹ほど姿を現す。
「これ、壊してくれる?うん、よろしくね」
ぴー。と声を上げたミイラのような使い魔がベニヤ板へと向かう。その辺に転がっている手頃な石を持って破壊活動を始める。5分も経たないうちにベニヤ板は木片と化し、見覚えのある帰り道が現れた。
「ぴぃ!!」
仕事を終えた三匹は敬礼して出て来た魔方陣へと帰って行く。
「ありがとうございます。じゃあ通りましょうか」
シャーリーは先にその穴をくぐっていく。後に続きネクも同じ穴を通った。一先ず近道へ抜けた二人。
「……やってしまった……」
シャーリーに言われたからとはいえ罪悪感を覚える。明日バレて怒られたりしないかな。
「次は私の番ですね」
シャーリーは金網に近づくと祈るように手を組んだ。ポツリと言葉を紡ぐと組んだ手が光始めた。その手を金網にかざすと木片が空中に浮き、形を作っていく。やがて元通りのベニヤ板となり先程通った穴が完全に塞がれた。
「嘘……元に戻った」
ネクは信じられないといった様子でベニヤ板の表面を確認するとそこには立ち入り禁止の文字。完璧に破壊する前と同じ状況に戻っている。
「これは二人の秘密ってことにしましょう」
シャーリーは唇に人差し指を添えた。
「うん!!うん!!」
シャーリーの提案にネクは勢いよく首を縦に振った。
寮の前でシャーリーと別れて部屋に戻るとケイトが部屋で待っていた。寮は基本的に二人で一部屋である。いつも通り二人で食事を済ませてお風呂に入る。
「気持ちよかった~」
タオルで髪を拭きつつネクが部屋に入るとケイトが魔術書を読みこんでいた。
「それ何の本?」
「んー?魔法障壁の初歩とかいうの」
こんな感じ、とケイトが言うと指の先にガラスの玉のようなものが浮かぶ。
「スゴい綺麗!!というか読んだだけでこれ作れるの?」
「ここからよ」
パリンと音をたて障壁は壊れる。
「これを大きくして、厚くして、安定させないと……」
どうやら難儀しているようだった。
「それ今度読ませてよ」
「いいわよ。ついでに練習に付き合ってもらうから覚悟しなさいよ」
望むところ、と言うとケイトは軽く笑い再び魔術書に目を落とした。
「んじゃ、おやすみー。明日からガッツリとトレーニングするわよ」
日課としている日記を書き終えたケイトがベッドに向かう。
「お休みなさーい」
消灯時刻5分前、いつものように電気を消して布団に潜り込む。
数時間後、
「寝れない……」
夕方に医務室で寝ていたせいか全く睡魔が襲ってこない。しかも対抗戦のことを考えると尚更眠気など何処かへと飛んで行く。ぐるぐる回る思考を他所にケイトの寝息と時計の音が暗闇の中で聞こえる。
「しょうがないや」
ネクは軽く身支度をして夜へ飛び出した。
春になったとはいえ、夜はまだ冬の残り香を残していた。冷える指先に息を吹き掛け暖める。ネクは眠れなくなるといつも月を見ていた。特に意味という意味はないがなんとなく落ち着く、そういった感じである。
「何してるんだい、こんな夜更けに」
「あ、先生」
先生は稀に月を見ているとやって来る。その時は一緒に他愛ない話をして解散することが常であった。だが今日だけは少し違った。
「どうさね、首尾は」
「へ?」
「へ?じゃないよ。対抗戦だよ」
ゆっくりとした口調で先生は聞いてきた。
「……正直、自信は全くないです」
「そうかい。まぁそうでもいいや」
先生は独り言のように話を始めた。
「あんたの相手は白魔法クラスの中でも最強と謳われるシャーリーって娘だ。まともにやっても勝てっこないだろうね」
「そうなんですか……」
あの娘、転入してすぐに最強ってヤバイなと思い体が震えた。
「でもね、アタシはアンタの可能性に賭けてるんだよ。アンタは才能がある。ただちょっと……」
「ちょっと?」
「能力と運が足りないだけさ。特に運って奴がね」
「なんですかそれ……」
ネクは呆れた声を出した。
「ま、自分で気づくのは難しいさね。アタシから出来るアドバイスはこれくらいだよ。さっさと寝な。明日友人と頑張るんだろ?」
ネクは全てを見透かされて驚いた。
「わかりました。部屋に戻ります。ありがとうございました」
礼をして寮へ向かう。
「上手くいけばいいがねぇ」
くつくつと老婆は静かに笑った。