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白い屋根の下で  作者: 釜鍋小加湯
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二話で終わる小説を書いてみました。

 渇いたアスファルトに黒い皮靴を踏み入れ、西岡広明は会社を出た。

 仕事を定時で終え、鞄を片手に駅へ向かう。

 一日中室内で座り仕事をしていたせいか、身体が怠い。歩きながら手で肩を揉み、首を動かした。

 今日も上司に叱られてしまった。向こうサイドからいわせれば注意なのだといっているが、語気が強くなればそれはもう怒っている風にしか聞こえない。

 怒る理由もわかる。パソコンでデータ処理の仕事をしていて、しょっちゅうミスを犯しているからだ。逆の立場だとしても、同じ態度をとっていたかもしれない。

 ミスをしないように努めているが、あとになって見落としが発覚する。

 そんな日々が始まって四ヶ月が経過した。一月(ひとつき)が長い。一週間も。一日も。午前も午後も長くて仕方がない。

 はしゃいでいた大学時代を思い出すこともあるが、そんな日はもうこない。

 歩きながら、西岡は空に目を向けてみた。曇天の空が広がっていた。そう時間も経たないうちに、一雨降りそうな気がした。

 急ぐか。取り敢えず駅までもってくれれば、あとは電車に乗って帰るだけだ。もし降車したとき雨が降ってたなら、駅近くのコンビニに寄って傘を買っていけばいい。

 西岡は足を速めた。人気のそれほどない町を。

 夕方だというのに、通りは賑やかではない。田舎のメインストリートなどこんなものだと思っていたが、五十を過ぎた上司が数十年前はもっと人通りも多く、店も繁盛していたと聞いた。

 通りには床屋に携帯ショップ、喫茶店や飲食店などが建ち並んでいる。老舗なのだろう。なかには、赴きのある店も幾つか営まれていた。

 しかしながら、果たしてこの賑わいで客が入っているのだろうか。商売として遣り繰り出来ているか疑いたくもなる。

 シャッターの閉じられた店も何軒かあり、町は数十年の間に様変わりした。

 昔の方がよかったなんて上司は言っていたけど、こっちは今しか知らない。

 歩いていると、前から近づいて来る髪の長い女が、赤い傘を細い足の前に出しバサリと音を立ててさした。

 灰色のアスファルトに、黒い点がポタポタと落ちてきていた。

 駅まではまだ遠い。走るか、と思ったときには、雨が音を立てて一気に降ってきた。アスファルトを湿らせていた黒い点々は、忽ち黒い絵の具で塗られたように変わった。

 鞄を脇に抱え、西岡は全力で走った。

 運動不足もあって、走っていくらもしないうちに息切れがしてきた。ペースが落ち、自然に顎が上がる。下半身も次第に重くなり、脳内は走りたくない思いで埋め尽くされた。

 身体中ずぶ濡れになり、仕方なくシャッターのしてある店の軒下に入ることにした。白い布の屋根がせり出していて、雨を凌ぐことはできそうだ。

 シャッターの前に立ち、西岡は鞄からハンカチを取り出した。顔から順に濡れた肌を拭いていく。腕を拭きながら、上半身から下半身へ視線を落としていくうちに、その表情は苦いものに変わっていった。

 半袖のYシャツが雨水を吸い、中に着ている白いTシャツが透けていた。足踏みをしてみたら、黒いズボンは太ももにくっつき、片方の靴から音がカポッカポッと踏む度に鳴った。走っている最中、迂闊にも片足が水溜まりに入ってしまい、靴の中に雨水がもろに入ってしまっていた。

 服を着たままプールで泳いだのと変わらないな。西岡は、最近癖になったため息が自然に出た。

 鞄を片手に持ち、ハンカチをズボンのポケットに突っ込んだ。(おもむろ)に後ろの白いシャッターに首を向けてみる。掃除をした形跡がなかった。店が潰れて、放置されたままになっているのだろうな。

 指でYシャツの先を摘まんで湿らせ、溝に沿って触ってみた。粉っぽいものが付着し、人差し指と親指で擦りほろった。

 

 一車線のアスファルトには、今も穴があくのではないかというほどの勢いで雨が打ちつけている。自動車が時たま行き来しては、水しぶきを上げて往来していた。

 歩行者道路においては、髪の短い男が傘をささずに走っていったり、白いミニスカートを履いた女が、傘をさして駅の方へスタスタと歩いていく姿があった。

 西岡は、ひたすら縦に降る雨の景色を眺めていた。無意識に、目の奥で会社にいるときの情景が映っていた。なんだってこう上手くいかないんだろう。

 苛つき靴先で地面を蹴った。足元に流れてきていた雨水が、僅かに飛び散った。

「今年の新入社員は優秀だ」

 そういって、目尻を下げた上司の言葉が記憶に残っていた。一月以上前に聞いた言葉なのに、耳にこびりついて離れない。

 とても己には当てはまらない。そんな見方をされても困る。

 日に日に力をつけている同期入社の行動はテキパキしていて、自信が感じられた。返事からして違う。挨拶ひとつ取っても覇気がある。仕事で人はこうも変わるのか。それも短期間で。とても同じ日に入社したとは思えなかった。

 そのうちに、誰からも見向きされなくなるのかもな。自然に項垂れる格好となり、黒い地面に向けて重い息を吐いた。

 暮れなずむ空。一人の男が西岡と同じように、身体中に雨を浴びて白い屋根の下に走って入ってきた。

「あーひでっ。酷すぎるよこの雨」

 男は呆れた声を発して、おでこに垂れた前髪を手で左右にどかしていた。

 黒ずんだ丸顔から雨水が垂れ、頭の毛はてっぺんが若干薄かった。

 中年男は持っていた鞄を地べたに置き、濡れた腕で顔を拭いていた。

 二人はそれぞれ、潰れた店の端と端に立っていた。白い屋根にバチバチと激しく当たる雨音を聞きながら、通り道を黙って見ていた。

 

 十五分くらい経ったろうか。雨は今も、止む気配なく降り続けていた。

 白い屋根の下には、いつしか七人がびしょ濡れの状態で雨宿りをしていた。

 背の低い痩せた男、黄色いTシャツを着た若者、髪を赤く染めたパンク女、三十代と思われる女二人。そして、頭の薄い中年男と西岡。誰もが知らない者同士だった。

 一人また一人とやって来て、七人のうち六人が一塊になり話をしていた。

 ポツンと離れた位置に立ち、西岡は一人降りしきる雨を相変わらず眺めていた。置物のように殆んど動かない。直立不動にも近かった。

 雨の音で話の内容までは聞こえてこないが、彼らがこの瞬間を楽しんでいることは伝わってきた。笑い声や、はしゃいで手をパチパチ叩いている音を耳にしたからだ。

 西岡は、濡れた髪の毛を掻きむしった。

 悔しさが込み上げてきていた。何をしても楽しめない。自分が嫌になるときは、いつもこんな瞬間だ。職場にいるときと似ていた。

 四ヶ月前。入社した頃は、新人同士で話しをよくしていた。先輩や上司に呑みに誘われて、連れていってもらったこともあった。

 仕事が上手くいかない日が次第に増えるにつれ、休憩中に新人同士が集まって話をしても一人浮いていた。

 仕事を終えてからも、上司や先輩と呑みにいくことも減っていった。今では、一人で駅まで歩いて帰るのが当たり前になった。

 一人でいることが普通になり、それが苦ではなく楽に感じるようになっていった。

 就職を決めたとき、こんな日々を望んでいたのか。いや、違う。思い描いていたものとは、全く逆の方向へ進んでいっている。頑張りが足りないのかな。

 暗い夜空を見上げたとき、星はひとつも見えなかった。無数の雨粒が、ただひたすら勢いよく落ちてきていた。

 はははははっ。雨音に混じり笑い声が響いた。一塊になって話す輪の中からだった。てっぺんの薄い、中年男の声に似ていた。

 その声からは白い屋根の下に来たときの気分など、既に消え去っているように思えた。

 みんなそれぞれ楽しんでいる。それは、ここも会社も同じなんだ。

 会社はまだ辞められない。しかし、ここは別に離れてもなんてことはない。

 濡れるのは嫌だけど、さっき目の前を横切っていった男のように走っていけばいい。

 ライトのついた自動車が、水しぶきを上げてスピードを落とすことなく通り過ぎていった。通りに並ぶ店は、シャッターのしてある店を除いて、灯りがついていた。

 目の前にある喫茶店に入ろうかと、西岡は少し前から思っていた。客もいなそうだし、雨が止むまで時間を潰すにはいいかなと。

 ところが躊躇しているうちに、一本の傘をさした男女が店の前にやって来て傘を閉じた。女は幸せそうな顔で男と目を合わせていた。

 男が女の肩を抱き店の中に入っていくのを見ているうちに、西岡の行く気は失せた。男の紺色のスーツは、殆んど雨で濡れていた。

 別にいい。給料日前でそれほど金もない。先週電器店で、自動掃除機ルンバを買ったばかりだ。六万近くした。残らないものに、金はなるべく使いたくない。

 家に帰ろう。まずシャワーを浴びて夕飯を食べる。その後は、映画でも見て寝よう。帰ってからの楽しみを作れたことで、今帰る理由ができた。

読んで頂きありがとうございました。

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