01
ーー私は、愛されていた?
カンカンカンカン!
けたたましい鐘の音が聞こえ、死んだように地べたに横たわっていた人々が、ゆっくりと起き上がった。
そこにいた一人の少女もむくりと起き上がり、周りを見渡す。十名の老若男女が、わけがわからないといった表情でキョロキョロと周りを見ていた。
わけがわからないのは少女も同じであった。自分の名前はなんとか思い出せそうな気がするが、それ以外は全く記憶がない。
少女がいる建物は廃工場のようで、大きな機械が置いてある。どれも古びていて、もう動かないであろう。それにどこからも日光が射していない。
目の前にあった鏡に少女の姿が映っていた。年齢は十五程で、金髪が肩まで真っ直ぐ伸びている。服装は真っ白な長袖のつなぎで、胸元に大きな黒い字で「LIZA」と書かれている。
(ライザ…私の名前?確かそんな風に呼ばれていたような…)
根拠はないが、少女はそれが自分の名前であると理解することにした。
他の人も皆同じ服を着て、胸元には名前らしき文字が書かれている。どうやらどれも同じ字で、雑で汚い筆跡だ。
ライザは恐れてはいなかった。何も理解できないこの状況で、不安や絶望の一つも感じない。他の人が怯えたような顔をしているのに疑問すら抱いた。
他人の顔をまじまじと見ていると、ライザの隣にいた少年が突然話しかけてきた。
「君は…ライザっていう名前なの?」
少年は見るからに不安そうな顔をしている。垂れ目は伏せがちで、パーマのかかった柔らかい茶髪を持っていた。
「…さあ。でもそうなんだと思う」
少年は目を丸くし、驚いた様子でライザを見た。
「ずいぶん、落ち着いているんだね。僕の服にはこう書かれているんだけど…」
少年は自らの胸元を指差した。そこには「TONY」と書かれている。
「僕の名前は…トニーなのかな?」
ライザにはそんなことわからないが、そこに書かれているということは、そういうことなのだろう。
「さあ、そうなんじゃない?」
「…そうか。じゃあ僕のことはトニーって呼んでね」
トニーはまだ不安そうではあったが、さっきより少し気の抜けた笑顔を見せた。
その時だった。
「なんだこれは!!」
突然誰かが大声をあげた。
一人の大男が、一枚の紙を持って立っていた。「CHRIS」と書かれたつなぎを着たその大男の顔は真っ赤だ。
「クリス…なんて書いてあるの?」
クリスの前に座っていたツインテールの小柄な女は急いで立ち上がり、クリスの大きな腕にしがみついた。胸元には「SUE」と書かれている。
「スー…これは…」
クリスはスーの顔を見て表情を歪めている。
「…全員、集まってくれるか。とりあえず、全員で輪になろう」
そう提案したのは、色白で細身の男だった。クリスの横に座っていて、胸元の文字は「VINCE」。縁無し眼鏡が知的な雰囲気をつくっているが、髪は無造作にはね、頬はやつれていて、どこか貧相だ。
「まあ、その紙に何かしらの情報が書かれている様子じゃしな、皆集まろう」
ヴィンスの提案に真っ先に応じたのは、白髪の老父だ。だいぶ年寄りに見えるが、腰はぴんと伸び、滑舌もしっかりしていた。胸元の「WILL」という文字は少しかすれているような気もする。
そして皆ぞろぞろとクリスの元へ集まり始めた。ライザとトニーもそれに続く。
クリスの元に集まったのは九名。
「おい、そこの女。早くこっちへ来んか」
ウィルは少し苛立った様子で、集まろうとしない一人の女に呼び掛けた。女はビクッと体を揺らすと首を振った。
「…聞いているから…ここにいさせて」
弱い声でそう呟く。女は髪が長く、胸元の文字が隠れていて名前がわからない。顔もはっきり見えないため、好印象ではない。誰も名前を聞こうとはしなかったし、もう一度呼ぼうともしなかった。
「はぁ、それよりその手紙はどうしたの?」
明るい声で叫んだのは小さな少女だった。
「これは…クリスのつなぎのポケットに入っていたの」
クリスの代わりにスーが小さな声で答えた。
「ふーん」
少女の見た目は十歳ほどで、綺麗な黒髪は腰まで伸びている。そして彼女には、両足の膝から下がなかった。そんな彼女の胸元には「TONI」の文字。
するとトニーが彼女の文字を見たのか、急に声を出した。
「君もトニーって名前なの?」
少女はトニーを一瞥するとため息をついた。
「私はトニーなのかわかんないけど、こんな名前、嫌よ。私のことはアリーって呼んで」
そう言った瞬間、アリーは自分の指を噛みちぎって、吹き出す血で「TONI」を消し、真っ赤な字で「ALLY」と書いた。
誰もが息を呑んでそれを見ていた。
「さ、手紙を読んで!」
「でも、嬢ちゃん、血が」
アリーの横に座っていた中年の男が、心配した様子でアリーの手をとろうとした。しかしアリーはそれを払い除ける。
「触んないで、おじさん」
中年の男はおじさんと言われたのがショックなのか、一瞬顔を歪めてから、やれやれと言って話し始めた。
「僕はこの通り、ダニーだよ。おじさんはやめておくれ」
彼の胸元には確かに「DANNY」と書かれていた。
「あっそ」
アリーはそう言って、ダニーに背中を向けた。ダニーは赤に近い茶髪を掻いて、困った表情でいた。
「手紙を読め」
一瞬緩んだような雰囲気を掻き消し、そう言い放ったのは一人の男だ。黒髪が片目を隠し、全身から殺気を出している。胸元に「LES」の文字。
機嫌を損ねていたアリーはまじまじとレスの顔を見て、それから満面の笑みで言った。
「そうよ、早く読んで頂戴」
「あ、ああ…」
クリスはあまり気が進まないようだが、しぶしぶ話し始めた。
「ようこそ、囚人共。愛を与えることの出来ない惨めで残酷な者達よ。愛を与えることができない、それはお前たちの欠陥だ。お前たちは失敗作だ。神はお前たちを望まない。だがそんなお前たちの歪な愛でさえも求めている者がいる。誰からも愛されなかった孤独な者がいる。そいつを愛することが出来たなら、お前たちの存在価値も、少しは見出だせるはず、そして神に少しは望まれるだろう。しかしその愛を邪魔する者は消す覚悟。それが本気の愛というものさ」
「…はぁ?どういうこと?」
アリーはわけのわからない文章に怒りを感じているようだ。
クリスは手紙を続けて読んだ。
「…神に望まれる最後のチャンスをやろう。愛を知らない孤独な者を探し出し、愛を示せ。ただしそいつを真に愛せるのは一人だけ。その他の者は運命により、その命をもって、失敗作としての罪を償え」
「命をもって…って、結果的に、この中の二人しか生き残れねえってか」
ダニーが呟くと一瞬沈黙が訪れ、そして皆がざわめきだした。
「はあ?おじさん、なんでそう言えるわけ?今の、意味わかったの?しかも信じるの?」
アリーは呆れ果てた顔でダニーを見る。
「しかし、記憶がないんだ。何が正しいのかなんて、わかりゃしない」
ダニーは至って冷静そうな様子である。
「先程少しこの辺を歩いてみたのだが、出口らしきものはなかった。あったのは上に続く階段ぐらいじゃった」
ウィルはそう言って白い顎鬚を弄る。
「クリス…私、怖いわ!」
「スー…大丈夫。きっと大丈夫だから」
クリスとスーは、先程会ったとは思えないばかりの信頼を持っているように見える。
「はぁぁ?もうなんなのよ!」
アリーはこの上なく苛立っていた。
ライザは冷静に分析をしていたが、どうも思考が追いつかない。
(この中に誰からも愛されなかった者が一人。その者は愛を与えることが出来なかった者から愛を示されるのを待ってる…。でもここにいる人達は記憶がないんだろうから、自身が愛されてきたかどうかもわからない…。難しいな)
「ライザ…ライザ、大丈夫?」
トニーは出会った時より更に不安そうな顔をしていたが、口元は自然に微笑んでいた。
「…」
ライザは周りを見た。
それぞれが感情を剥き出しにしている。ライザには理解し難い状況であった。
(悲しんでいたり、怒っていたり、笑っていたり…。私にはわからない…誰のことも。恐らく私は…)
「まあ、全員で固まってるのはあまり良さそうではないな」
ウィルが伸びた腰をトントンと叩きながら立ち上がり、歩き出した。それに続いて皆が立ち去って行く。アリーも慣れたように手で支えながら、膝で歩いて行った。
(あまりバラバラになると、良くないと思うのだけれど…)
ライザはそう思ったが、口には出さなかった。彼女自身には特に動く理由もなかったため、ずっと座っていた。ただ予想外だったのは、トニーも動こうとしなかったことだ。
「…ライザ、僕もここにいていい?一人じゃ心細くて」
「心細い…?」
「うん…ごめんね。男なのに、弱虫だよね。僕、記憶はないけど、きっとみんなに呆れられちゃうような男だったんだろうね」
「呆れる…?何故呆れるのかわからない」
トニーは切なげな瞳を伏せた。
「…わからない、か」
気付けば元居た場所には、ライザとトニーしかいなかった。
ライザは眠ると危険だろうとは思っていたが、睡魔に逆らえずに、眠りに落ちていった。




