147.月子
「おはよう」
階段を下りて来たリィリーに声をかける。
「おはよう。……お茶でも入れるわ」
その顔に浮かぶのは、落胆。
ログインしたら、プリスが元気な声で飛びついてくる、そう願っては叶わない毎日。
オレのメニューから、契約霊であったプリスの情報はすっかり無くなっている。
楽観的に考えるならば、『プリスの魂』が『魔王の体』を得て蘇生した。
その証拠に、オレの契約霊ではなくNPCとして存在している。
そう考えることが出来る。
悲観的に考えると、その逆……。
月子さんは、プリスの部屋に篭もりっきり。
たまにリビングに下りてくるが、二言三言交わし、お茶を飲んで、また、プリスの元へ戻って行く。
そんな繰り返しである。
毎日ログイン制限の限界まで、プリスの横にいるようだがリアルに差し支えないのだろうか……。
時折、プリスの部屋から月子さんの泣き声が聞こえて、居た堪れなくなる。
ふぅ。
意図せず溜息が漏れる。
呼び鈴が鳴る。
誰か、プリスの様子を見に来たか?
プリスが親しくしていた数名にしか教えてなかったが……。
「はい」
ドアの先に立っていたのは、予想外の人物だった。
「やあ、久しぶり」
スーツにメガネ姿。
C2Oの運営責任者、氷川さんだった。
「月子さん、いるかな」
「呼んできます。
向こうに座ってお待ち下さい」
リビングに案内し、階段を上りながらリィリーに通信。
「月子さんに来客。二人分、お茶の追加をお願い」
『了解。誰かしら?』
「運営」
『へ?』
事態が飲み込めないのはオレも同じだ。
プリスの部屋のドアをノックする。
「月子さん、運営の氷川さんが来てます」
「はい。今行きます」
ドアを開け、少し疲れた表情を浮かべながら月子さんが出てきた。
「ジン君。お客様は、来た、じゃなくて、いらっしゃった、よ」
そう、笑顔で注意する。
「わかりました」
階段を下りながら月子さんに尋ねる。
「運営がどんな用件なんですかね?」
「色々相談してたの」
そう、静かに答えた。
運営に相談って……。
原則、プレイヤー側からのコンタクトは受け入れないって聞いているが。
「すいません。お待たせしました」
一礼しながら月子さんがリビングに入る。
リィリーは既にお茶を配り終えていた。
「いえいえ。既にご連絡の通りですが、諸々のご回答をお伝えするために参りました」
「わざわざご丁寧にありがとうございます」
氷川さんが、向かいの席へ月子さんを促す。
「お二方は、どうされますか?」
オレとリィリーを見ながら、そう月子さんに尋ねる。
「一緒に、聞いてもらいます。
私の放蕩息子とじゃじゃ馬娘ですから」
氷川さんは、ゆっくりと頷き「わかりました」と静かに答えた。
月子さんに促され、リィリーと並んで彼女の後ろへと腰を掛ける。
「さて、何からお話した方が良いか」
「まず、私から二人に説明をさせて下さい」
そう言って、月子さんは、オレとリィリーに向き直る。
そして、一度大きく呼吸した後、静かに言った。
「私は、もう長くありません」
は?
突然の、告白。
意味が、理解できなかった。
何も言わない、オレとリィリーに対し、月子さんは更に続ける。
「病に蝕まれた現実の私は、もう起き上がることすら叶いません。
もって、そうね、あと一ヶ月。
そう聞かされています。
黙ってて、ごめんなさいね」
言葉の重さと裏腹に、月子さんは、優しい微笑みを浮かべる。
「……いや……」
リィリーが、震える小さな声で呟く。
「それでね、ここに居る氷川さんに相談して」
「いや、やだ!そんな……」
続けようとする月子さんを、リィリーが遮る。
目からは、涙が溢れていた。
月子さんは、立ち上がり、そしてリィリーを包み込むように抱きしめる。
「泣かないの」
まるで、子どもをあやすように優しく言う。
「だって!プリスだけじゃなくて、月子さんまで!
なんでなの?
なんで……」
頭を撫でる月子さんの胸でむせび泣くリィリーの声を聞きながら、オレはテーブルに置かれたティーカップをずっと見つめていた。
どれくらいそうしていただろうか。
少し、落ち着きを取り戻したリィリーの手を握りながら月子さんが話を続ける。
「それで、この先誰も使わなくなるこのアカウントをプリスちゃんに上げれないかなと思って、氷川さんに相談したの」
そう言って、月子さんは氷川さんを見る。
「皆さん、何度か目撃していると思いますが、このゲームに於ける、魔人召喚。
パワーバランスを考慮し、有効なアカウント、もしくはそれと同等の物と等価交換、というシステムになっています。
同等の物、と言う条件にNPCが含まれるとAIが判断したことは、我々にとって驚きではありましたが。これは余談ですね。失礼しました。
そのシステムを利用し、同様の事を出来ないか、とここに居る月子氏より、相談を受けました。
月子氏の体を受け皿にして、そして、NPCプリシアの魂を入れることは出来ないか、と言う事です。
それが、先月の始めですね。
システム上の可否、プレイヤーからの願いを聞き入れると言う事実、ゲーム世界への運営の直接的な改変。
そう言った事を踏まえ検討し、我々は月子氏の要望を受け入れると言う結論を下しました。
ただ、その結論を月子氏に伝える前に状況が変化しました。
相談事にあったNPCプリシアの魂が、独自に肉体を手に入れ新たなNPCとしての存在が確立されたためです。
結果として、月子氏の提案も、そして我々の検討も全て無駄になってしまったわけです。
しかしながら、例え蘇ったとしてもNPCプリシアは死すべき定めにあります。
そして、月子氏もまた、現実世界で死を迎えようとしています」
「ちょっと、待ってください」
オレは、氷川さんの説明を遮る。
聞き逃せないフレーズが、あった。
「プリスが死すべき定めって、どういう事ですか!?」
若干、怒気が混じっていたように思う。
「失礼。
NPCプリシアとは、予め我々運営が定めた数少ない世界を動かす為のキーアイテムの一つなのです」
どういう事だ?
「彼女は、本来最初のイベントで殺害される予定でした。
ジン君、君が受理した、ルノーチまで送り届けるというクエスト内で」
な!?
「もちろん、プレイヤーが介在するクエストですので結果が100%保証されているわけではありません。
仮にそのクエストで無事であったとしても、次のクエスト、若しくはそのさらに次。
いつかは命を落とすよう、仕込まれていたのです」
「何で!?」
「このゲーム世界をある程度円滑に進行させるために必要だった、としか言えません。
都合の良い言葉で言うと『運命』ですね」
ふざけるな!
そう、怒鳴りつけようとするオレの手を、月子さんがそっと握る。
落ち着いて、そう、言っているかのように。
「ただ、そう言う、こちらの思惑も計画も全て飛び越え、プリシアは今この世界で再び生を受けています。
ただし、この先、プリシアがプリシアでいる限り、世界が彼女を死に追いやる可能性が捨てきれないのです」
「プリスが目覚めないのはそのせいですか?」
そう尋ねたのはリィリー。
「いえ。それはまた別に原因があります。
ただ、結果としてそれが彼女を生きながらえさせているかもしれません」
……。
情報が、多すぎる。
「僕は、今日、運営を代表しひとつの提案を持ってここに来ました。
まず、月子氏のアカウントに関して」
氷川さんは月子さんに向き直る。
「ターミナルケアとしての常時接続の許可が下りました。
更に、今までの行動ログ、およびこれからのログを元に貴女の複製を作成し、生命活動停止後、速やかに切り替わりる様準備を整えます。
また、機関が許す様であれば記憶を含めた全ての生体情報をデータ保存する事も検討しています」
月子さんが、深く頭を下げる。
「混乱を避ける為、今後、貴女は周囲からNPCと認識されます。
開始時期のご要望は承りますので、親しい人との別れなど済ませられましたら改めてお声がけ下さい」
「わかりました。ありがとうございます」
「次に、プリシアですが、彼女にはプリスと言う月子氏の娘という事にし、存在させます」




